27:ありがとう
健介の誕生日当日、参加メンバーは、修平除いて、終始ソワソワし通しだった。美樹は、健介と話す時、若干声が上ずっていたし、由香里は、最後の授業の際、落ち着きがないからと何度も当てられていた。三子はというと――内心はソワソワしていたのだか、それが分かりにくいのか、声が上ずることなく、教師に当てられることなくその日を終えた。何となく釈然としないものである。
帰りの会が終わると、健介はのろのろと支度を始めた。毎日のようにある部活――テニスコートへ向かうためだろう。が、そんな彼の前に、美樹が立ちふさがる。
「健介、ちょっといい?」
「……何だよ?」
「今日、部活休みだって」
「――は? 誰から聞いたんだ」
「部長。あんたに連絡してくれって言付けもらったの」
もちろん、美樹の言うことは真っ赤な嘘である。今日は男子ソフトテニス部はもちろん部活があるし、さらに言えば女子の方もそうである。のだが、事前に美樹がそれぞれの部長たちに事情を話し、今日だけ休みをもらっていた。
訝しな健介と、嘘であるという事実を微塵も感じさせない笑みで話す美樹。その二人の横を、三子と由香里、修平はこっそり歩いて教室の外に出た。二人よりも一足早く、小教室でスタンバイしておくためだ。
「なんかワクワクするねー」
「喜んでもらえるといいね」
ワクワクを堪え切れない声で話す三子たちと、仏頂面で歩く修平。
対照的な三人は、小教室に着くと、早速準備を始めた。といっても、もう教室の飾りつけは終えてあるので、鞄を置いて、電気を消して、扉の前で待つだけだ。
「クラッカーが無いのが残念……」
「一応学校だしね。さすがにそこまでは許可もでなかったし……」
「おい、来たみたいだぞ」
修平の声に、三子たちは一斉に口をつぐむ。その拍子に、向こう側にしゃがんでいる真剣な顔の由香里と目があい、何となく同時に笑みを浮かべたが、すぐに外から健介達の声が聞こえてきたので、また心を落ち着かせる。
「なっ、なんだよ……こんな所に連れ出して」
「いいからいいから」
とりあえず、部活が休みだという嘘はバレていないようで、一安心だ。早く始めなければ、外から部活の掛け声が始まることは想像にたやすいので、時間との問題だろうが。
「なんか嫌な予感がするな……」
「何か言った?」
なおも疑い深い健介に、美樹がギロッと鋭い視線を投げかけた。健介はそれに縮み上がり、それきり何も言おうとしなかった。
二人がドアの前に立つ気配がする。
「健介、開けて」
「何で俺が」
「いいから」
二人の問答を聞きながら、三子はようやく思い立つ。そういえば、何と声をかければいいのだろう。事前に示し合せも何もしていないので、何と言って迎えればいいのか分からない。普通に考えれば、お誕生日おめでとう! だろう。だが、ハッピーバースデー! という選択もある。おまけに、タイミングも重要だ。一歩間違えれば、文言もタイミングも違うグダグダな始まりとなってしまう――。
ガラガラッと扉が開いた。その時になって、ようやく三子と同じ考えに至ったのか、由香里、修平と目が合う。
「おっ……誕生日おめでとう!」
「馬場君、誕生日おめでとー!」
「お……おめでとう……」
三者三様のノリだ。だが、一応は上手くいった。パチパチとよく分からない拍手をしながら、皆が立ち上がる。扉の前には、ポカンと口を開ける健介と、苦笑いのまま手を叩く美樹。
「あ……えっと、じゃーん!」
健介の反応が微妙なので、由香里は焦って机の上からケーキを持ってきた。大きなホールのチーズケーキだ。上にはイチゴやブドウが乗っており、真ん中にはチョコのプレートもある。
「お、おいしそうでしょ? えっと、美樹ちゃんお勧めの店で買ったんだよね?」
「う、うん、そう。記念日のときとかによく食べるんだけど、すごく美味しくって、だから」
「誕生会しようっていうのも美樹ちゃんの案なんだよ! 最近馬場君の元気がないから、皆で準備したんだけど……ね、美樹ちゃん!」
「は、え? ……ま、まあ、そんなとこ」
「…………」
健介の反応が、微妙である。みるみる由香里のテンションが下がっていく。
「も……もしかして、余計なお世話だった?」
「え、あ、いや……そういうんじゃなくて」
健介の歯切れが悪い。辛抱強く皆が待っていると、彼の口から飛び出したのは、拍子抜けする内容だった。
「俺……誕生日か、今日……」
「ええー! 今更ー!?」
由香里はけらけらと明るい笑い声を上げた。しかし、すぐに三子、修平、そして美樹は、健介の言葉の背景に気付き、うっと言葉を詰まらせた。
普通、誕生日というのは、たとえ当人が忘れていても、その当日に他でもない家族から祝いの言葉を述べられるのではないか。――サプライズでもない限り。
「ほら、ケーキもあるから。主役は座って座って」
事実に気付いていない由香里の明るさに救われながら、皆は順に席に座った。その際、由香里がちゃっかり美樹の背を押し、健介の隣の近くに座らせていた。彼女の気の回しように、三子は内心で感服していた。といっても、健介の席はいわゆるお誕生日席なので、隣ではないのだが。
「はい、じゃあ改めまして馬場君、お誕生日おめでとうございます!」
「あ、ありがとうございます……」
「えっと、じゃあ早速ですが、ケーキを頂きますか。わたし、切ります」
すっかりノリノリで由香里が仕切っている。ゆっくりゆっくりとチーズケーキを切り分け、それぞれの前に一切れずつチーズケーキが置かれる。皿、フォークを余念なく用意できたところまでは良かったのだが、飲み物を忘れた。紅茶やコーヒーを買ってくるのを忘れてしまったため、紙コップには、先日三子と修平が買ってきたオレンジジュースが注がれた。
「じゃあ……えっと、おめでとうございます」
「おめでとうございます」
「……ありがとうございます」
堅苦しい空気の中、皆が紙コップを掲げ、乾杯をする。
誰もが、何だこれ、と思ったことだろう。しかしそれも仕方がない。このメンバーで集まるのは、実質林間学校や特別掃除以来であるし、そのどちらも空気は険悪なままだった。そもそも、この五人は話が合うからと集まったのではなく、利便性のみで作られたグループだ。その中で、共通の話題を今持って来いという方が酷というもの。
気まずい沈黙の中、それぞれがチーズケーキを口へ運ぶ。咀嚼する音だけが響いた。
「さ、馬場君がチーズケーキ好きだっていうのは、美樹ちゃん情報だよね?」
沈黙が痛いのか、由香里が苦笑気味に美樹へ話題を振った。一方で美樹の方は、突然自分に矛先が向いたので、喉にチーズケーキを詰まらせてしまったようだ。コンコンと咳をしながらそっぽを向く。
「べ、つに、腐れ縁だから知ってただけだし……」
「そんなこと言ってー!」
由香里は楽しそうに美樹に茶々を入れているが、対する男性陣は、いまいち反応に困っているようだ。美樹の方もからかいの限度を超えてしまうと、どうなってしまうか分からない。三子は慌てて他の話題を探した。
「あ……あーっと、後で小西先生にもお礼言いに行かないとね! このケーキの代金、小西先生にも少し出してもらったし。その代わり、余ったら自分のとこに持って来てっていう条件付きだけど」
「ああ、そう言えばそうだね。馬場君にはお代わりもう一つで……二切れくらいでいいよね?」
「うん、もう箱の中にしまっておこうか」
そんなこんなで、ぎこちないケーキの時間は終わった。健介が二つ目のケーキを食べている間に、三子たちは次にやるトランプの準備をし、ゲームが始まった。顔を合わせて食べる先ほどの時間とは違い、勝敗が絡むこの時間は、誰にとっても楽しい時間となったようで、自然と笑い声に溢れた。
学校に持ち込める遊び道具はトランプくらいしかなかったので、遊べる種類は少なかったものの、下校までの数時間を楽しむには十分だった。だが時折、ゲーム中、ニハとイチが三子や修平の持っているカードを盗み見、それをそれぞれに教えることがあった。しかし、その中にはもちろん嘘も含まれているため、三子と修平の二人は、由香里達とは別の次元で相手のカードの読み合いがあったことは良い思い出だ。
「あれはないだろ……。最後まで隠し持っておくなんて」
「それも戦略のうちだな。まだまだ甘いんだよ」
「あー、楽しかったねえ!」
「うん、あたしも久しぶりにこんなに笑った」
始めのころのあの緊迫した空気はいずこへ、すっかり五人は打ち解けていた。その和やかな空気のまま、美樹が合間を見計らってそろりそろりと健介へ近づく。
「こ、れ……あげる。誕生日プレゼント」
そう言って彼女が差し出したのは、包装紙に包まれたもの。健介は面食らっていたものの、やがて小さく頭を下げた。
「……ありがとう」
「えー、何が入ってるの? 開けて開けて!」
「そ、そんな大したものじゃないから……。ただの文房具だし」
「ええ、そんなこと言って〜。ね、気になるから早く開けてよ!」
「だ、駄目! 帰ってから開けて! とにかくもうこの話は終わり! 後片付けしようよ!」
美樹は怒ったような顔で机の上を片付け始める。それを制止したのは由香里の方だった。
「あ、待って待って。わたしからもあるんだ」
そして笑いながら自分の鞄を開ける。
「わたしだけがプレゼント用意してたらどうしようって困ってて。美樹ちゃんが最初に渡してくれてよかったー」
「え……俺に?」
「うん。何あげればいいか分からなかったから、とりあえずハンカチを。わたしも恥ずかしいから、家で開けてね」
「…………」
次々に目の前で行われるプレゼント渡しに、三子は人知れず震えていた。
そうだ! お誕生日と言えば、プレゼントじゃないか!
三子は、表面上はにこやかな笑顔を取り繕いながらも、内心は盛大に焦っていた。プレゼント渡しというイベントをすっかり忘れていた三子が、それを持って来ているわけがないからだ。
「……これ」
「な……仁科も……?」
「ああ」
「あ、ありがとう……」
そっぽを向いた状態で、これまたプレゼントを渡すのは修平。
あれだけ嫌がっていた仁科君も持ってきてるの!?
三子は、あまりの衝撃によろよろと後ずさった。しかも、彼が手に持っているのは、まさかまさかの、一昨日に一緒にスーパーに行った際、こっそり買っていたお菓子の詰め合わせではないか!
三子は両手に顔を埋めた。あんまりだと思った。
言ってくれたら良かったのに……! これが、馬場君への誕生日プレゼントだと、そう言ってくれたら私だって慌てて何か探したのに……!
失意のあまり、頭が真っ白になりそうなのを必死で堪える。
この流れで、自分だけプレゼントを忘れていた、なんてことはあってはならない。この空気に水を差すことなど、初友達歴数か月の三子にはできなかった。では、何かプレゼントとなるようなものはないか。
三子は険しい表情で、しかしコソコソと制服のポケットに手を突っ込む。
ハンカチに、生徒手帳に飴玉……。駄目だ、これといったものが何もない。
そう思って、三子は諦めかけたが、奥に、何か手が触れるものがあった。この柔らかい感触は……!
そう思って取り出してみると、何てことはない、三子お手製のティッシュケースだった。
少しだけ、三子に希望が戻る。
これは、つい昨日完成したばかりのものだ。まだ見ようによっては新品とも言える。
しかし、中に入っているポケットティッシュは、今朝机にあった汚れをふき取るためにもう既に開けられていた。冷静に考えれば、誰が使いさしのティッシュケースを嬉しいと思うだろうか……! せめて、せめて中に入っているのが新品のティッシュだったら……!
しかし新しいポケットティッシュもない。これを包む包装紙もない。三子は頬を引きつかせながら健介の前へ出た。そっとティッシュケースを差し出す。
「こ……こんなものしか、ないんだけど……」
「あ……矢代もか。ありがとう」
健介は戸惑ったようにティッシュケースを受け取った。静かな視線がそれに向けられる。
包装紙にも包まれていないティッシュケース。開封されたポケットティッシュ。
その様を見て、彼が何を思ったのかは知らない。観客である、美樹たちも何を考えていたのかもあずかり知らぬことだ。
ただ、彼らの顔が、どこかコメントに困っているような表情になりつつあったのを、三子は気づいてしまった。
うっと羞恥に飲まれる三子を救おうと、由香里が気を利かせて口を開いた。
「――あ、それ、三子ちゃんの手作りだよね! 良かったね、馬場君!」
「あ、ああ。わざわざありがとう。大切にする」
「う、うん。喜んでもらえて、良かった……」
顔も上げられない状態の三子は、自分が何を言っているか、全く理解していなかった。とにかく、早くこの時間が過ぎ去ることだけを考える。
「矢代……」
――と、途端に空気が変わった。数々の贈り物を腕に抱え、健介はどことなく真面目な顔で、三子を見下ろしていた。
「俺……また今度、お前の家に行ってもいいかな」
「え?」
「またお前の婆ちゃんに、お守り作ってほしいんだ」
「あ……」
咄嗟に返事はできなかった。だが、すぐにじわじわと喜びが胸に広がる。
「もちろんだよ!」
三子は大きく頷いた。その拍子に、健介からも笑みがこぼれ、その後ろでは、美樹や由香里、修平すらも、口元に笑みを浮かべた。
教室の窓から夕日が入り始めたところで、誕生会はお開きとなった。
*****
小西に残ったケーキを届けた後、五人は騒がしくしながら帰途についた。ケーキを食べていた頃の雰囲気とは打って変わって、皆すっかり打ち解けており、その間話題が尽きることもない。
しかし、それでもやがて分かれ道が来て、一人、また一人と別れて行き、ついには三子一人になった。だが、彼女の傍にはニハとイチがいた。
『またティッシュケース作らないとねー』
ニハが明るい声で言う。再びその話題が上がり、三子は項垂れた。
「初作品……あんな出来なのに、あげても良かったのかな……?」
『いいんじゃない? プレゼントは心よ、心』
ニハは嬉しそうにトンと自身の胸を叩いた。イチもそれに頷く。
『俺だってさー、こんな身体じゃなかったら、さんこのティッシュケース欲しいって思うし』
思わぬ優しい言葉に、三子は一瞬言葉を失った。その隙に、ニハがここぞとばかり顔を口角を上げてイチをつつく。
『イチ、なかなか言うようになったじゃない。どこでそんな口説き文句覚えて来たのよ』
『くどっ……!? これのどこがそうなんだよ!』
『あらー、口説き文句かどうかの区別もつかないの? やっぱりイチはまだまだ子供なのね……』
『子ども扱いするな!』
わいわい騒ぐ二人の幽霊を尻目に、三子は少しだけ表情を暗くした。
普通に誕生日を祝ったり、プレゼントを贈りあったり。
そんな、生きていたら普通にできたことを、今、二人はできないのだ。
二人は、私の初めての友達なのに。
もしニハやイチが生きていたら、きっと出会うことはできなかったのだろう。今こうして一緒にいることすら、奇跡にも等しいということは分かっている。でも、それでも彼らがもし生きていて、そして今のように友達になることができたら。
きっと、もっと毎日が楽しくなるのだろう。
「…………」
こんなこと、口にはできない。二人には、ひどく酷なことだと思うから。
だが、その思いはその日、ずっと三子の胸の中にしこりのように残っていた。