24:信じざるを得ない
血相を変えて小西が三子に駆け寄った。辺りには窓ガラスの破片があちらこちらに散らばっているが、それを物ともしていなかった。
「何てこと……」
「先生――」
「何も、言わなくていいわ。状況は何となく分かる」
唇を強く噛み過ぎたせいで、小西のそれは赤く血が滲んでいた。
「先生の責任ね。除霊を甘く見ていたわ。簡単に修平君に押し付けてしまって……本当に――」
「いや、俺だけならもう少しスマートにいっていたんですけどね」
なんてことないような顔をして修平は言った。
「不測の事態により、事が大きくなってしまったというか……」
「いえ、私が悪いわ」
修平の言葉を遮って、小西は再度首を強く降った。
「本当にごめんなさい。三人に怖い思いをさせてしまって……」
「いや、でも――」
「とにかく、今は三子ちゃんの怪我の方が先決ね。すぐに病院に行きましょう。健介君も、念のため病院へ行きましょう」
言いながら、小西は携帯を取り出した。
「救急車と、あと保護者を呼ぶわ。三子ちゃん、電話番号を――」
「母には連絡しないでください!」
三子は慌てて小西の腕に縋った。いい言い訳が頭に思い浮かばないので、ただただ必死に首を振る。
「心配かけたくないので、お願いします……」
「三子ちゃん、でもね――」
「……先生」
小さな声が二人の間に割って入った。健介だった。彼は、どこか痛ましい表情を浮かべていた。
「俺からもお願いします。矢代の好きなようにさせてやってください……。今回のことは、全部俺が悪いんです。俺が、矢代の言葉に耳を貸さずに、勝手に旧校舎に侵入して――」
「馬場、君?」
「矢代。……修平も、悪かった。その……今までのことも」
健介は力なく頭を下げた。三子たちは声もなくただそれを見つめる。
あれほど頑なだった健介が、謝った。霊の存在を信じた。
そのことは、衝撃よりも満足感よりも何よりも、なぜだか三子に強い悲しみをもたらした。
どうしてだろう。その理由は全く分からなかった。ただ、謝罪しているにもかかわらず、今までの周りの不可解な行動すべてに合点がいったにもかかわらず、健介自身が、ひどく辛そうな顔をしているからだろうか。
「……分かったわ」
小西は小さく頷いた。が、携帯を持つ手は下げない。そのまま耳に当てる。
「でも救急車は呼びます。何かあったらいけませんからね。そして、もし保護者の方に何か聞かれたら、何があったかちゃんと答えること。至らなかった私の責任も含めてね。保護者の方が納得なさらないようだったら、私に言って。私が責任を持って謝罪をします。三子ちゃん、健介君、そして修平君も。分かった?」
「……はい」
その後、数十分経って、救急車がやってきた。問答無用で中に入れられたのはもちろん三子と健介で、付き添いとして小西も中に入った。
救急車で隊員にあれこれと質問されながらも、三子としては、緊張し通しであった。何しろ、救急車のサイレンの音は思いのほか大きく、しかも車もほとんど通らない田舎の道に、救急車となれば、目立たない訳がなかった。しかも、運ばれているのは中学生である。となると、その噂は街中を駆け巡るのではないか。
もしかしたら、自分は最悪の選択をしてしまったのではないか、と三子はもう既に胃が痛かった。大人しく、母に連絡をしてから行けばよいものを、もしかしたら、母の職場に、間接的に連絡がいくようなことがあれば、母のショックは計り知れない。
キリキリと痛む胃の中、治療を終え、三子は病院のエントランスの椅子に腰かけた。腕と足を少々切っただけで、何も救急車に運ばれるほどの怪我ではないのだが、小西曰く、念のため、らしい。
腕と足に捲かれた包帯を見、三子は何とかこれらが目立たないよう苦心した。制服の袖を引っ張ってみたり、靴下を伸ばしてみたり。が、紺色の制服の中、どうしても白い包帯が目立ち、三子は仕方なしに諦めたることにした。母や祖母にもきっとすぐバレるだろう。大人しく、自分から言い出した方が身のためかもしれない。
『あーもう、ようやく見つけた……』
『早すぎだろ、救急車……』
うんざりしたような顔で、ニハとイチが三子の傍にやってきた。エントランスはシーンとして、人の気配はあまりないが、念のため、三子は声を潜めた。
「どこ行ってたの?」
『どこも行ってないわよ!』
『俺たちだって車ほど早く飛べるわけじゃないんだよ。病院見つけるのに苦労したぜ』
「そうなんだ……大変なんだね」
飛ぶ、と言われれば、何だか万能を想像してしまいがちだが、幽霊には幽霊なりの苦労があるらしい。
『で、怪我の方はどうなのよ? 跡は残るって?』
「跡? うーん、どうだろう。でも数週間したら治るだろうって言ってたよ」
『適当ねえ……。ったく、嫁入り前の身体に傷が残ったらどうしてくれるのよ』
「どうしてニハが怒るの……」
『もう痛くないか?』
「うん、大丈夫。ありがとう、イチ」
ぷんぷん怒っているニハに、心配そうなイチ。その二人の対応に追われ、三子は背後に近づく気配に気づかなかった。
「矢代」
ハッとして三子は振り返った。馬場が気まずそうな顔で立っており、三子は聞かれてしまったのかと冷や汗を流した。
「あ、あの……いや、これは――」
慌てて言い訳を取り繕うとしたが、今の三子の混乱した頭では、ろくなものが浮かんでこなかった。ただ意味のない言葉の羅列を繰り返す。
「誰と、話してたんだ?」
「あ、や……それは、その」
「……幽霊、か?」
「え?」
三子は思わず瞬いた。健介もこれに気まずそうに顔を逸らす。
「いや……だって、一人で話してたし」
「あ、あの――」
「そこに幽霊がいるのか?」
再び聞かれる。はぐらかすのも躊躇われて、三子は頷いた。
「……うん、いる」
「矢代は幽霊が見えるのか……?」
「う、ん……どうなんだろう。私自身には、霊感はないの。ここにいるのはね、私の守護霊みたいなもので、この二人が開いてなら、見ることも話すこともできるの」
「守護霊……」
「あ……っと、ごめん」
思わず三子は謝っていた。三子としても、ニハとイチのことが見えるからこそ、幽霊の存在を信じているのであって、健介の立場なら、信じることなど到底できないだろう。そんな彼に対して、幽霊だの守護霊だの、少し言い過ぎたかもしれないと思った。
「――いや」
健介は小さく首を振ると、三子の隣に腰かけた。
「俺……もう、見ない振りはしないから」
「え……?」
「幽霊は……いるんだな」
どう答えていいか分からず、三子は黙り込んだ。健介は構わず続ける。
「どんな霊なんだ?」
「え……っと、ここにいる二人のこと?」
「ああ」
短く頷く健介に対し、イチとニハがずいっと三子に近づいた。
『それ、俺も興味あるなー』
『あたしたちこと、どう思っているのかしら。聞かせてもらおうじゃないの』
プレッシャーが半端ない。が、三子は言葉を選ぶよりも、素直に口に出すことを心掛けた。
「ニハとイチって言うの。私達とそう歳の変わらない女の子と男の子。二人は……その、友達……みたいな感じかも。いつも傍にいて、二人で下らないことを話してると思ったら、危険な時はいつも助けてくれて。旧校舎の時も、二人はここから離れた方がいいって言ってくれてたの」
「……悪い」
一層表情を暗くする健介に、三子は戸惑った。しかし、すぐに自分の言葉が誤解を招いたのではないかと慌てた。
「あっ、違うの。別に責めてるわけじゃなくて……。私も二人以外の幽霊が見えないから、もしこの二人がいなかったら、今頃私はここにいなかったのかもしれないって思って……」
三子の純粋な言葉に、珍しくニハとイチが照れたように顔を見合わせていた。
「ニハとイチ、か」
健介も感慨深げに呟く。
「変な名前だな」
途端に、火がついたように怒りだすニハとイチ。
「二人、怒ってるよ」
「はっ! 幽霊も怒るのか……」
「そりゃあ……。下手したら、私よりも感情表現が豊かかも」
「そっか……」
ボーっとしたように健介は息を吐き出す。
「幽霊、か。正直、信じざるを得ないよな。あんな惨状を、目の前で見せつけられたら」
「馬場君……」
「俺さ、妹がいるんだ」
「……うん」
美樹から聞いていた内容だ。三子は静かに頷いた。いつの間にか、ぶつぶつ愚痴をこぼしていたニハとイチも静かになっていた。
「でも今は嫌われてる。昔はまだ仲が良かったんだ。一緒にマンガ読んだり、おつかいに行ったり。でもいつの間にか、妹が俺を避けるようになって……。ある日理由を聞いたら、お兄ちゃんの傍にいると、何か気持ち悪いって」
健介の声が詰まった。顔を伏せたような気配がした。
「その後、しばらくして目に見えて妹の具合が悪くなっていった……。仁科んとこの爺ちゃんに見てもらったら、霊の仕業だって言われた。しかもその霊は、俺に引っ付いていて、周囲にいる妹にまで悪影響を及ぼしてるって。……正直なところ、何言ってんだって思った」
健介が膝の上で拳を握る。
「俺自身は何の影響もないのに、何で妹に悪影響があるんだよ。……皆して、俺のことを馬鹿にしてるんだと思った」
泣き笑いのような表情だった。しかし、すぐにその唇が強く噛みしめられる。
「でも……だってそう思うしかないだろ。この目で見たんだ。あいつの食が段々細くなって、やっと何か食べてもすぐに吐き出す姿を。時には、人が変わったように急に怒鳴り出すこともあった。あんなに苦しんでいたあいつの原因が……この俺、なんだと」
「…………」
「正直、馬鹿みたいだと思ったよ。幽霊なんて理由を与えられた妹は、前以上に俺に近寄らなくなるし、父さん母さんの視線もどこか冷たい。何だよ、幽霊って。馬鹿みたいだ、今まで信じたこともなかったくせに、俺が何したって言うんだよ。でも仁科達は、除霊だ除霊だ言いやがる。俺が信じたら最後だと思った。俺が信じたら、今度こそ俺たちはお終いだと思った。俺には影響ないのに、どうしてあいつにばっか――」
健介は両手で顔を覆った。次に吐き出された声は、思いのほか小さかった。
「でも……本当、だったんだな。俺が――他でもない俺自身が、晴香を一番苦しめてたんだな……」
水を打ったように静かだった。健介の口からそれ以上言葉が出ることも、嗚咽が漏れることも、三子が何かを言うこともなかった。ただ、沈黙だけが漂う。
「――健介君、三子ちゃん。話が終わったから行きましょう」
ハッとして三子が顔を上げると、小西が疲れたような顔で笑っていた。
「タクシーで二人を送るわ」
「あ……はい」
三子が気遣わしげに健介を見ると、彼は一瞬遅れて立ち上がった。その顔は、先ほどの絶望に染まった顔でなければ、悩みが晴れたような顔でもなかった。
「…………」
タクシーの中で、三子はじっと拳を握りしめていた。
何か……何か、彼を励ませるようなことは言えないのか。
だが、今の三子では、まだ彼にかける言葉を見つけることができずにいた。