23:これ持ってて
三子が健介に追いつくよりも早く、彼は廊下をずんずん突き進んだ。三子からして見れば、もう彼は立派な不法侵入者にしか見えない。
「ねえ、止めようよ。普通に迂回して行けば――」
「うるさいな。俺は俺のしたいようにするんだよ」
言い切る健介に、三子はため息をつくことしかできなかった。
暗い旧校舎の中を、三子はびくびくしながら歩いた。目の前を歩く健介の背中は、思ったよりもしっかりしているようだが、何せ、彼自身が幽霊ホイホイでもあるので、そう易々と安心していられない。
「ほら、もう玄関だ。何もなかっただろ?」
「う、うん……」
頷きながらも、本心は全く信じていない。旧校舎から完全に出て、さらに言えば、新校舎に足を踏み入れるまで、油断はならないと思った。
「あれ、開かねー……」
「えっ……」
が、三子のその些細な望みは簡単に打ち払われた。三子は黙って見ていることができず、健介の手の上から扉を開こうと力を入れたが、鍵がかかっているのか、ビクともしなかった。
ここまできてようやく三子は思い当たった。侵入どころか、近づくことすら禁止している旧校舎の扉に、鍵がかかってない訳がなかった。きっと外側からも、厳重にバリケードをしているに違いない。
「ねえ、じゃあやっぱりさっきの窓から――」
「他、何か入り口ねえかな。非常口とか」
三子の言葉が全く聞こえていないかのように、健介はどんどん奥へと進む。三子はいい加減腹が立ってきた。
『さんこ、もう健介は見捨ててここを出た方がいい。空気が淀んでる』
『気持ち悪い……。さんこ、さっさとここから出なさい』
ニハとイチの歩みも次第に遅くなっていく。彼らのことが気がかりな三子の足も、だんだん遅くなっていくが、そのことに健介は気づかない。
三子が叫ぼうとした時、ドタドタッと二階部分から何かが走るような音がした。二人は一気に背筋を伸ばす。
「いっ、今のはなんだ……?」
「わっ、分かんない……。ねえ、本当にもう出ようよ」
奥に進むにつれ、段々耳鳴りがするようになってきていた。いつの間にか、辺りの空気が変わったようにも感じる。
三子は後ろを振り返った。健介も頼りにならない。せめて、いつも傍にいたニハたちの姿を見て、三子は安心したかった。
「ニハ……イチ……?」
しかし、そこに彼らの姿は無かった。彼女の後ろには、長い廊下が続いているが、彼らの声すら聞こえなかった。
「ニハ! イチ!」
「うるさいな、何ぶつぶつ言ってるんだよ。少し静かにしろよ」
健介は、この旧校舎の不穏な雰囲気を察することなく、一つの教室に目を止めた。
「あ……この教室、窓開いてるぞ。出られそうだ」
どうだ、とでも言わんばかりの表情のまま、健介はその教室へ姿を消した。三子は心細くてたまらなかった。
ニハもイチもいないこの状況。
彼らの安否も気になるが、ここに一人でいるのも堪らない。健介が消えた教室には、窓が開いているという。三子に選択肢はなかった。
「馬場、君?」
つい、三子もその教室へ足を踏み入れていた。
「ま、窓は……?」
健介は、窓を開けようと苦戦しているようだった。彼が開いている、と口にしているからこそここまで来たというのに、いったいどうしたというのか。
「いや……さっきまで開いてたのに……いつの間にか、閉まってて」
「ええ?」
「いや、俺だって自分でも何言ってるのかよく分かんねえよ。でも確かに目の前で急に閉まってさ――」
彼の言葉を裏付けるように、二人の背後でガラガラと音が響いた。戦慄が走る。パッと振り向くと、想像通り、教室の扉が閉まっていた。
「な……何で、誰もいないのに――!」
健介の言葉は無視して、三子は扉に手をかけ、力を入れた。が、それは玄関同様、ビクともしなかった。
「あ、開かない……」
三子はその場にへたり込んだ。どうすればいいのか、さっぱり分からなかった。ニハもイチもいなければ、脱出することもできない。三子が幽霊を見ることも感じることもできないのは、この状況において、もしかして幸運だったのかもしれない。少なくとも、開いていた窓と扉を閉めた『何か』を、三子は見なくても済むのだから。
「馬場君、これ持ってて」
三子はぎゅっと握っていた智恵お手製のお守りを健介に押し付けた。
「な、何だよ……」
渋々受け取った健介は、手の中のものを見て顔色を変える。キッと三子を睨んだ。
「おいっ、これお前の婆ちゃんの――」
「いいから!」
敬遠するように、三子は厳しい目で前だけを見つめた。が、じわりじわりと徐々に悪寒が全身を走る。
「気……持ち、悪い……」
「お、おい……大丈夫か?」
「く……かはっ」
何かが体内に潜り込んだような感覚がして、三子は反射的に咳を繰り返す。鼻から入ったのか口から入ったのか、はたまた全身を覆っているのか。何が何だか分からないが、自分が自分でない感覚になっていく。
「お……おい、どうしたんだよ、矢代――」
「あはっ……あははははっ!」
気が付けば、『三子』の口から甲高い笑い声が漏れだしていた。三子の意思ではない。三子の魂は、その時もう既に空中にいた。自分が真下で気が狂ったように笑っているのを見て初めて、三子は自分がまたもや幽体になってしまったのだと自覚した。
「や、矢代……」
もはや笑い声とも取れない声を上げ続ける『三子』を見て、健介が呆然としたように呟いた。対して三子は、行き場のない羞恥に襲われる。
『ど……どうすればいいの……? なんか恥ずかしいし……』
恐怖よりも羞恥が勝った。乗っ取られてしまったというよりも、『三子』が何かおがしなことをしないかということの方が心配だった。
血走った眼を見開き、髪を振り乱し、奇声を上げ。
こんな気持ちの悪い顔もできるんだ、というのが三子の純粋な心境だった。不思議と身体を乗っ取られた恐れはない。それよりも、圧倒的羞恥。
三子がそんな呑気なことを考えていると、唐突にガラッと勢いよく教室の扉が開いた。どれだけ強く引っ張っても開かなかったその扉が、いとも簡単に。そこから中に飛び込んできたのは、救世主とも呼べる修平だった。
「おい!」
狂ったように笑っている『三子』と宙にいる幽体三子を一瞥した後、修平は一目散に健介に駆け寄った。混乱している様子の健介の肩を前後に振り、強い口調で問いかける。
「何でここに!」
「修平……」
「何があった!」
「や、矢代が、急に狂い出して……」
『私じゃない、私じゃないよそれ!』
健介には絶対に聞こえないだろうが、しかし黙っていることなんてできず、三子は思わず叫んだ。
幽霊を信じてない健介からして見れば、突然転校生が気持ち悪く笑い出した、ということで片付けられてしまうんだろうか。
三子は少々悲しくなった。
「乗っ取られたのか?」
修平は次に三子へと向けられる。渋々彼女は頷いた。
『そ、そうみたい……』
「お守りはどうした」
『馬場君に渡して……』
「馬鹿! それじゃ意味ないだろうが!」
宙に向かって舌打ちする修平を、健介は奇妙な物を見る目で見つめる。
「さ、さっきから誰と話してるんだよ……」
「矢代とだ!」
いつもの健介ならば、また妙なことを言い出したと怒りだすのだろうが、さすがにこの状況でそんなことを言えるわけもないらしい。理解はできないようだが、空気を読んだのか、口をつぐんだ。
「馬場、お前はそのお守りを手放すんじゃないぞ。今から除霊を始める。矢代」
『はっ、はい!』
「身体から霊が離れたと思ったらすぐに自分の身体に飛び込むんだ! ここには他の霊が大量にいる。そいつらにまた乗っ取られないうちにな」
『はい!』
「いくぞ!」
修平の力強い声に、三子は大きく頷く。とはいっても、三子にできることなどほとんどなく、ただ見ていることしかできないのだが。
修平は、暴れ回る『三子』を刺激しないよう、充分に距離を取った上で、四方の地面に護符を貼り付けた。だが、すんでの所で『三子』は気づき、突然走り出して結界から脱出した。彼女が目指すは、ボーッと立っている健介である。
「おい!」
「え……えっ?」
憤怒の形相で掴みかかってくる『三子』に、健介は戸惑ってばかりだった。髪を引っ張られ、腹を殴られ、蹴りを入れられという、それはそれは酷い有様なのだが、相手が女子だという懸念事項もあるためか、彼はされるがままである。
「くっそ……」
健介に夢中になっている『三子』を後ろから羽交い締めにし、修平は彼女を地面に押し倒した。うつ伏せに倒れた『三子』は潰れた蛙のような、なんとも言えない悲鳴を上げる。
『ちょ、ちょーっと待った!』
なんとも気の毒な光景に、慌てて声を上げるのはその身体の持ち主である三子だ。もがきながらみるみる苦渋に満ちていく『三子』のその表情に、同じく三子も悲しそうな顔になる。
『な、なんてことするの! それ一応私の身体なんだよ!? そんな可哀想なことしていいと思ってるの!?』
「仕方ないだろ、こうでもしなけりゃ霊は出てこない。ほら、行け!」
『まるで犬に向かって言うみたいにー!』
盛大に文句を言いながらも、三子は自分の身体に飛び込んだ。もちろん鼻の穴からである。
意識は、相変わらず靄がかかったような状態だった。一番強く感じるのは強かに打ち付けたのだろう額と膝だ。その次は身体に重くのしかかる重力くらいか。
「いっ……痛い……」
「……悪かったって。もう大丈夫か?」
「う、ううん……」
気を抜けば、今にでも気を失ってしまいそうだった。だが、誰かが自分を呼ぶ声が聞こえてきて、三子はハッとする。
「三子ちゃん!」
丁度、小西と由香里、美樹が教室に入って来るところだった。