21:お守りが欲しい
部活見学が終わった後、三子は一人で教室へ戻った。由香里はそのまま部活をやるつもりなのだ。三子は三子で、鞄を教室に置いたままだったので、それを取りに戻るためだ。
教室の扉を開けると、三子は目を丸くした。誰もいないと思っていたのだが、一人、丁度帰り支度をしている修平と目があったのである。
「仁科君も部活だったの?」
三子が笑って尋ねると、修平はすぐに首を振った。
「いや、俺は先生に頼まれ事をしていただけだ。もう帰る」
「部活はやってないの?」
「祓い屋の修行で忙しいんだ」
三子の質問に答える間にも、修平の手は止まらない。三子の方も、彼にまだ聞きたいことがあったので、彼に合わせて帰り支度を急ぐ。
「ねえ、どうしてこの学校、うようよ幽霊がいるの?」
歩くのが早い修平を、三子は小走りで追いかけた。
「見えるのか?」
修平が怪訝そうに聞き返したが、三子はすぐに首を振った。
「ニハたちがうるさいの。あそこにもこっちにもいるって」
「あー……」
修平はポリポリと頬を掻く。何と答えようか、言いあぐねているのだ。
「あの山」
彼が指さしたのは、丁度北に位置する大きな山だった。三子の家の神社は、丁度その東に位置している。
「あの山がどうしたの?」
「あそこからわんさか霊がやってくるんだ」
「え」
三子は嫌そうに顔をしかめた。何度聞いても、幽霊がたくさん、という表現は聞いて気持ちの良いものではないだろう。
「あの山に何かあるの?」
「いや……俺も詳しいことはよく知らないが、何かを封じているらしい。その霊力に当てられて成長した霊が、時々下山してくる……と聞いたことがある」
「そうなんだ……。それで、その霊たちが馬場君に憑いて、あの学校に集まることになったって?」
「よく分かったな」
修平が笑みを浮かべた。三子は得意げに胸を逸らした。
「馬場君、軟式テニス部なんだってね。あそこに幽霊がたくさんいるってニハたちが」
「あーだからか」
修平は遠い目になった。
「あいつのせいで俺の仕事が増える増える……。全く、困ったもんだ」
「学校でも除霊してるの?」
「時々な。先生に一日五回までって言われてるが」
「そ、そうなんだ……」
何だか前にも聞いたことのある情報だ。これ以上深入りするのは面倒で、三子は聞くのを諦めた。
「じゃあな。俺はここで」
歩いているうちに、修平の家に着いた。といっても、彼の家は、三子のように長い長い階段の果ての神社の近くにあるのだが。
「修平、友達かい?」
階段を上りかけた修平の足が止まった。三子と修平、揃って声の主を振りかえる。
「あ、もしかして志藤さんとこのお孫さんかな?」
そこに立っていたのは、和服姿の男性だ。大きい眼鏡を掛け、優しそうな面立ちをしている。
「は、はい、そうです。矢代三子です」
祖母の名字は志藤だ。
三子は何度も頷いた。
「一度話をしてみたかったんだよ。矢代さんの娘さんにもね。僕は仁科秀一。修平の父だよ」
秀一はさっと右手を出した。三子も始めは戸惑ったものの、素直に右手を出し、彼の手を握った。
「それで、そちらのお二人は?」
眼鏡の奥の瞳がキラリと光る。三子はハッとして背筋を伸ばした。
「あ、あの……」
『あたし達のこと、分かるの?』
「それはもちろん。一応私も祓い屋の血筋だからね。霊力はそれほどないけども」
にっこり微笑む秀一に、ニハとイチは表情を綻ばせる。三子と修平以外にも自分たちの存在を認知してくれる人物ができて、嬉しいのだ。
『あたしはニハよ』
『俺はイチ。さんこの守護霊だな』
「守護霊か……。頼もしいね、二人もの守護霊に守られているなんて」
「はい」
三子は大きく頷いた。彼の言葉が、純粋に嬉しかった。二人に気づいてくれるだけでなく、その存在を認めてくれるなんて。
「それでだけど。三子ちゃんは修平にお呼ばれしたの? もしかして僕はお邪魔だったかな?」
「違う。たまたま帰りが一緒になっただけだ」
「え、もう帰るのかい?」
「あ、はい」
もう帰る、というよりは、仁科君が帰るところだったんだけど……。。
いちいち説明するのもなんなので、三子は黙っていた。
「もし時間があるんだったら、家に寄って行かないかい? 少し話がしたいんだ」
「爺ちゃんが怒るよ。志藤を家に入れるなって」
修平がしかめっ面をしながらそう苦言を呈す。しかし秀一はあっけらかんとしていた。
「彼女は矢代姓じゃないか。志藤ではない」
「またそんな屁理屈を……」
「事実だよ。それに、志藤家と仁科家の確執ほど、下らないものはないと思うよ」
「そ、そんなに仲が悪いんですか? 仁科君ちとお婆ちゃんちって……」
秀一の言い方が、あまりにも小難しい言い方だったため、三子はおそるおそる聞いた。秀一は、驚いたように目を丸くしたが、すぐに噴き出す。
「ああ、いや、改まって言い過ぎたね。君が思ってるような険悪な感じではないよ。ただの偏屈な老人と不愛想な老婆が小ぜりあって、それが思いのほか長く続いただけのことさ」
「はあ……」
「いい加減どちらも歩み寄ってほしいと思うんだけどねえ。僕らからして見れば、どちらも子供に見えて仕方がない」
確執と言ったり、小競り合いと言ったり。
秀一の表現は様々で、三子は翻弄されてばかりだ。
小競り合いだとか子供だとか、そんな言葉は、あの祖母には似ても似つかないような気がして、三子は不思議な気持ちだった。
『さんこ、そろそろ帰らないとまずいんじゃない? お母さん心配するわよ』
三子が目を白黒させていると、ニハが近寄って来て耳打ちした。三子はハッとして辺りを見渡した。部活見学やら立ち話やらしているうちに、辺りはもうすっかり夕闇に包まれていた。
「すみません、そろそろ帰ります……!」
慌ててそう言うと、三子はパッと頭を下げた。突然の慌てぶりに、秀一も修平も呆気にとられている。
「ごめんね、引き留めてしまって。あ……っと、修平、三子さんを送って――」
「あ、大丈夫です、家近くなので。本当に、あの、もう帰ります」
一キロと離れていないし、一本道だ。迷う要素もない。
「気を付けてね。ニハちゃんとイチ君もまた今度」
『はい』
肩手を挙げる秀一に、三子はもう一度頭を下げると、すぐに踵を返して走り出した。最近母や祖母を心配させてばかりなので、帰りが遅くなったら大変だ。
どんどん暗くなっていく中、三子が懸命に走っていると、その視界に、見慣れた後ろ姿が映った。
「お母さん!」
頭が認識するよりも早く、三子は思わず声をかけていた。そして一層スピードを上げ、何とか理恵子に追いつく。
「三子。今帰り?」
「う、うん。ちょっと遅くなったけど」
言いながら、それ以上言い訳も思いつかなかったので、何か話題を変えようと三子は頭を回転させた。
「あ……重そうだね。持つよ」
「ありがとう」
理恵子は両手に紙袋をぶら下げていたので、三子は片方を受け取った。見た目に反してその紙袋は意外に重く、三子は中を覗き込んだ。
「また本借りてきたの?」
隙間から見えたのは、積み重なっているいくつかの本だった。前住んでいたところでも、理恵子は図書館に足しげく通っていたため、三子は何だか懐かしかった。
「……ええ、調べたいことがあって、ちょっと郷土資料館に」
「郷土資料館……」
また難しい所だ。
三子は、読書家である理恵子の娘でもあるのだが、本はあまり好きではなかった。理恵子は頭が良いが、その部分は三子には遺伝されなかったらしく、どちらかというと、父親だというのを、三子は遠い昔、彼女から聞いたことがあった。
「三子、学校楽しい?」
不意に理恵子が口を開いた。三子は特に考えることもなく、反射的に頷く。
「うん、楽しいよ」
そのままへにゃっと笑った。
「今日ね、友達に部活をいろいろ案内してもらってね。最終的に、手芸部に入ることにしたんだ」
「手芸部?」
「うん。それで、月曜と水曜は帰りが六時過ぎになるかもしれないけど、いい?」
「もちろんよ。良かった、学校に馴染めたようで」
彼女の声は、心からの安堵が籠っていた。しかし同時に、三子は何やら不安も抱く。
どうしてだろう、お母さんが元気になって、安心して……。悪いことなんてないのに。
「お母さんにも、今度何か作ってね」
理恵子は微かに笑った。その笑みが悲しそうに見えるのは、三子の気のせいだろうか。
「……何が、いい? まだ大したものは作れないかもしれないけど、お母さんは何が欲しい?」
「何が……」
理恵子はぼんやりと呟いた。
「そうね、お守り……」
「お守り?」
「ええ。お守りが欲しいわ」
母のしっかりした声に、三子は勢い込んで頷いた。
「うん、今度、作るね。一番に作るね」
「ありがとう」
母の声は穏やかだった。三子は彼女の顔は見ようとせず、ただ初めて作るお守りのことだけを考えて歩いていた。