20:幽霊の溜まり場だ
授業を終え、三子が帰り支度をしていると、由香里がやってきた。何だか妙に嬉しそうだ。
「ね、三子ちゃんは何か部活とか考えてる?」
「あ……部活」
言われて三子は思い出す。そういえば、中学になれば部活というものがあった。三子は運動があまり得意ではないので、やるとすれば、文化系だ。
「どんな部活があるの?」
三子は興味津々で尋ねた。
「うーん、女子は軟式テニスやバドミントン、バスケ、美術部、手芸部とかがあるよ」
「由香里ちゃんは何かやってるの?」
三子は不安に眉根を下げた。部活というと、上下関係が厳しいことで有名だが、一人で知り合いのいない所へ行くというのは、何とも心細く思った。
「わたしは手芸部だよ」
「手芸って、編み物したりとか?」
「ミシンを使って小物を作ったりもするよ。わたしはまだ下手だから、これくらいしか作ってないけど」
照れっと笑い、由香里はポケットからティッシュケースを取り出した。三子は目を輝かせる。
「可愛い……! レースもついてるんだね!」
「うん。それが初作品なんだー。次はエプロンでも、と思ってて」「すごいね……」
三子はポカンと口を開けてティッシュケースを見つめる。初作品、と彼女は言ったが、手の中のそれは案外意匠に凝っており、表側には刺繍、裏にはイニシャルが縫われていた。三子も、小学生の時に家庭科の授業でミシンを使った記憶はあるが、ここまでのものはやはりどうしても無理だった。それが刺繍も、となると、どれだけの技術が必要なのだろうか。
「ね、良かったら見学して行かない?」
「え……でもいいのかな?」
「大丈夫大丈夫。この学校比較的自由だし、それにちょっこっと見学するだけだから」
「そ、そうなんだ……」
由香里はあっけらかんと言うが、それでも三子は心配だった。顧問が怒ったりしないのか、先輩が嫌な気分にならないか。中学生の部活動というものが、あまりに今の三子に関わりのないものだったので、想像もつかなかった。
「最初に運動部を見に行こうか。美樹ちゃん、軟式テニスなんだよ」
「そうなんだ……運動場でやってるの?」
「ううん、そこから少し離れたところだよ。土のコートだけど、広いんだ」
三子と由香里は連れ立って外へ出た。運動場ではサッカー部が練習をしていたが、それを横目にテニスコートを目指す。途中藻の浮いたプールも通り過ぎた。小学校の頃よりも小さく、しかし距離が長くなっていたため、三子は夏が恨めしいとため息をついた。
テニスコートに近づくにつれ、部員たちの掛け声で騒がしくなっていった。
「美樹ちゃーん」
丁度球拾いをしていた美樹が目に入り、二人はすぐに駆け寄った。フェンス越しにしゃがみこむ。
「あ、部活見学?」
「うん。テニス部が一番最初」
「そこにベンチがあるから、そこで見学するといいよ」
ちょっと手を振った後、美樹はすぐに行ってしまった。由香里は残念そうな声を上げる。
「やっぱり、上下関係厳しいのかな?」
「ううん、そんなことないと思うよ。美樹ちゃん、いつも楽しそうに部活の話するし。部員が少ないから、自然と先輩との距離も近くなるんだって」
「そうなんだ……」
三子は感慨深げに呟いた。運動部と言えば、上下関係が厳しいイメージしかなかったのだが、その逆は思いもしなかったのだ。
『ここ……ヤバいわ』
「……?」
ベンチに座って見学することしばらく。
ニハが声を潜めて何やら呟いた。三子はそろりと彼女へ視線を向ける。彼女の眉間には皺が寄っていた。
『なんかなー、嫌な気が溜まってる。こりゃ幽霊が集まるわけだ』
「……美樹ちゃんたちには影響ないの?」
三子は声を落として尋ねた。自分自身には、祖母がくれたお守りがあるとはいえ、ここには美樹含むテニス部員がたくさんいる。幽霊に憑かれ、苦しい思いをしたかつての出来事を思い出し、三子は表情を暗くした。が、ニハの返答はあっけらかんとしたものだった。
『ないんじゃないかしら? あるんだったら仁科が何とかするでしょう』
「……適当だね」
『でも事実だ』
イチもしっかり頷いて周りを見渡す。
『見たところ、危険そうな霊はいないし。あいつらにも影響はないだろ』
『でも……ま、さんこは近づかないことに越したことないわよ。今だって、さんこのことを興味深そうに眺めてる霊たちがいるし』
「ひっ!」
「――三子ちゃん?」
三子は思わずその場から飛びのいたが、当然、隣にいた由香里は不思議そうな顔をしている。三子は冷や汗をふき取ると、無理に笑みを浮かべた。
「あ……ううん、何でもない。そろそろ次の所行きたいな」
「そうだね。時間もあんまりないし」
ベンチから立ち上がると、二人は再び校内へ向かった。
「次はバドミントンだよ。体育館でやってるんだー。三子ちゃん、体育館に行くの初めてだよね?」
「あ、うん。そういえばそうだ」
体育の授業に出たのは数えるほどしかないが、そのどれも、外での授業だった。
「ここが体育館。運動するわけじゃないから、靴下のままでいいかな」
体育館の重い扉を開けると、唐突に響き渡る声量に二人は圧倒された。体育館の手前ではバドミントン、奥ではバスケをやっているらしく、そのどちらでも、顧問や部員たちの声が飛び交っていた。
すぐに扉を閉めると、二人は邪魔にならないように体育館の隅に移動した。揃ってちょこんと腰を下ろし、まずは目の前のバドミントンを眺める。
「私、運動はあんまり得意じゃないけど、バドミントンは好きだなあ」
「あ、三子ちゃんも?」
由香里は嬉しそうに顔を向けた。
「わたしもなんだー。ボールじゃないから、もし当たっても痛くないしね」
三子の方も、全く同じことを考えていたので、二人同時に噴き出した。痛いか痛くないか、怖いか怖くないか、それによって、運動音痴な三子や由香里としては、好みが分かれてしまうのだった。
「バドミントンかあ……」
ぽつりと三子は呟く。その小さな声は、部員たちの掛け声によって掻き消えたかに思えたが、それを拾ったのは、意外にもイチだった。
『止めとけ止めとけ』
「……どうして?」
再び小声で尋ねる。投げやりにも聞こえる彼の口調に、三子は純粋な興味を持った。
『ここにも嫌な気が溜まってる。幽霊の溜まり場だ』
「そういえばね……」
三子が聞き返す間もなく、由香里が急に話し始めた。三子は慌てて注意を戻す。
「ここって結構たくさん怪談があるんだー。夜中にボールをつく音がするとか、誰かが走り出す音がするとか。終いには、何者かに転ばされる人も続出」
「え……」
三子は言葉を無くした。それでは、まさにイチの言う通りではないか。
「ま、その転ばされるって人、主に馬場君なんだけどね」
「あ……」
何となく合点がいった三子は押し黙った。もしかして、彼に連れられて、幽霊がここへ集まっているのだろうか。となると、テニスコートも……?
「ね、ねえ。もしかして、馬場君って、テニス部だったりする?」
三子の突然の問いかけに、由香里は目をパチクリさせた。
「どうして分かったの? そうだよ。馬場君も軟式テニス部」
「あー……そ、そうなんだ」
自分から言い出したものの、三子は自分の勘が当たったことに驚いた。と同時に、健介の幽霊ホイホイぶりには感動すら覚えてしまう。
『何なんでしょうね、馬場って子』
ニハも呆れ顔だ。ここに由香里がいなかったならば、三子もうんうんと勢いよく同調していたことだろう。
『霊に取り憑かれやすいうえに、霊に興味も持たれやすいんだろうな』
『ま、どっちにしろ自分から危険には飛び込まないことね、さんこ』
三子は項垂れた。バドミントンも保護者からの注意が入ってしまった。これでは、幽霊のいない部活を探すのも一苦労だ。
「じゃあ次は奥のバスケだねー。横から入って――」
「あ、待って。運動部はもういいかな」
「え、どうして?」
体育館には近寄りたくないから、というのが三子の本望ではあるが、それをそのまま伝えるわけにはいかない。三子は曖昧に笑った。
「あ、うん。文化部にも興味があって……。手芸部とか、行きたいかなって」
「うん、全然大丈夫だよ。行こう!」
靴を履きながら、三子はため息をつく。
美術部も考えたが、美術室には一度行ったことがあった。その時にも、ニハやイチから、幽霊がたくさんいる、と言われていたので、見学したところで、また彼らから何か言われそうだったので、先手を打ったのだ。
しかし、手芸部も同じ結果になりそうな気がして、三子はすでに憂鬱だった。手芸部ならば、家庭科室で部活動を行うだろうし、家庭科室は、家庭科の授業で使うだろうし、その際にはもちろん健介がいて、幽霊を引き連れているだろうし……。
が、三子の考え過ぎ……というよりは、読みが外れて、由香里は家庭科室ではなく、その近くの小さな教室へ入って行った。
「家庭科室じゃないの?」
「あ、うん。家庭科室は時々料理部が使うから、手芸部はこっちなんだ」
「そっか……!」
今日一番の安堵のため息を三子は漏らした。その小さな教室に入ってみても、保護者からの苦言は無く、ホッと息を吐き出す。
「ここが手芸部。活動は週に二日。その二日ですら、休んでる子も頻繁に通ってる子もいるよ。結構緩いから、三子ちゃんも気を楽にしてね」
「うん。何曜日に活動してるの?」
「月曜日と水曜日。顧問は小西先生なんだけど、軟式テニス部と掛け持ちしてるから、あんまりこっちには顔出さないかも。あ、でも分からない所とか聞きに行くと、すごく丁寧に教えてくれるよ」
「あ、もしかしてその子が転入生の?」
三子と由香里が入り口近くで話していると、奥から女生徒がやってきた。
「あっ、部長、そうなんです。三子ちゃんって言って。しばらく見学していてもいいですか?」
「うん、どうぞどうぞ」
「一年の矢代三子です!」
頬を紅潮させ、三子はバッと頭を下げた。小学校とは違い、中学校は年功序列が厳しいらしい。しかもあろうことか、目の前の女生徒は部長だという。三子はガチガチに緊張ししていた。
「あんまり緊張しないで。聞きたいことあったらいつでも聞いて」
「はい!」
三子と由香里は、入り口近くの席に座った。奥では刺繍をしたり編み物をしたりしていて、三子たちの席では主にミシンを使っていた。
「今エプロン作ってるんだっけ?」
「うん。ティッシュケースは小さかったからあんまり気にしてなかったんだけどさ、エプロンは大きいから、真っ直ぐ縫うのが大変で……。一応糸は布と同色にしてるけど、それでも綺麗に縫いたいしねえ」
そう言いながらミシンを動かす由香里は、三子の目からして見ると、大分手慣れているように見えた。三子は憧れを抱いた。
「いいね……手芸部。私もミシン使えるようになるかな」
「大丈夫だよ、慣れだもん。わたしだって、最初は駄目駄目だったし……。まあ今もなんだけど」
由香里は一旦手を止め、三子に向き直った。
「気に入ってくれた? 手芸部」
「うん、すごく。でも一度家に帰ってからもう一度よく考えていいかな――」
「もちろんよ!」
目を丸くして、三子と由香里は後ろを振り返った。先ほどの部長だった。
「じっくり考えてねー。私達手芸部は、いつでも大歓迎だから。あ、そうそうこれ」
部長は早口に捲し立てると、一旦席に戻り、そしてまた三子たちの元へとやってきた。
「これ入部届けね。ここに名前書いてハンコを押して……。後は顧問の小西先生に提出したらオッケーだよ」
「部長……言ってることとやってることが違いますよ……。それじゃあ急かしてるみたいじゃないですか」
「あはは……バレた?」
部長は照れたように笑ったが、それでも強引に三子に入部届けを押し付けた。三子も苦笑いを浮かべながらそれを受け取った。
「今日はどうするの? うちは、最近は六時まで部活やってるんだけど。それまでちょっと見学しておく?」
「あ……すみません。今日遅くなるって母に言ってなくて……」
「あ、うん。全然大丈夫だよ。そうだよね、確かにそれじゃ家の人心配するし」
パンッと部長は手を打った。
「じゃ、水曜日にまた会えることを祈っておくね」
「部長、それすごいプレッシャーです……」
「えー、そんなつもりないけどなー」
賑やかな声に背中を押され、三子は頭を下げたのち、小教室を後にした。胸の中には満足感でいっぱいだ。辺りに誰もいないのを見計らって、こっそり声を押し出す。
「ど、どうだった、ニハ、イチ?」
『別になーんも。きっと健介、あの教室には寄り付かないんだろうなあ。あんまり幽霊の姿は目につかなかった』
『あそこなら大丈夫なんじゃない? 由香里ちゃんもいるし、先輩も優しそうだし、顧問は小西先生だし』
「そ、そうだよね! あそこならやっていけそうだよね!」
二人の後押しに、三子は鼻息を荒くした。もう半分心は決まっていたが、ニハやイチにそう言われると一層気持ちは大きくなった。
一時はどうなることかと思ったが、つつがなく部活を決めることができて良かった。
手の中の入部届けを見つめ、三子はほんのり微笑んだ。