15:一日に五回まで


「行ってきまーす!」

 三子は元気よく家を飛び出した。背後には、心配そうに眉を下げた理恵子がいる。三子はもう一度彼女に手を振ると、足取りも軽く階段を降りた。
 修平が霊を祓ってからというもの、三子の体調は劇的に回復した。もともと、霊のせいで肩が重かったり身体が怠かったりしていたので、その根源がなくなって元気にならない訳がなかった。しかし、母に霊のことを言うわけにもいかず、三子は今日の林間学校も大層心配された。いくら三子自身が大丈夫と言っても、母は心配そうに唇をかみしめるだけで、なかなか首を縦に振ってくれなかった。

 そんな時、彼女を説得したのは祖母だった。彼女は修平のことも霊のことも知っていたので、現在の三子に不安要素がないことは身をもって知っていた。だからこそ、朝のうちに母を説き伏せてくれたのである。

 三子は未だ、自分のことに関する不安は拭い切れないでいる。祖母のお守りのおかげで霊が寄って来ないと言われても、もしそのお守りがなくなれば、また昨日のようになるのだろう。
 ニハやイチと、昨日のような幽霊たち。何が違うのかと問われれば、三子は答えることができない。もし昨日の幽霊が、ニハたちと同じように目に見えていたら、何か変わったのだろうか。一緒に話したり学校へ行ったりすることができたら、何か変わるのだろうか。
 三子がそんなことを考えているうちに、目的地に到着した。今日は学校ではなく、山の麓に現地集合だった。キョロキョロと見渡すと、数人の教師と生徒たちがいた。クラスが一つしかないため、全学年合同で行うのか、六十名ほどで林間学校を行うらしい。三子は今から胸が高鳴ってばかりだ。

「おはよう」
「あっ、おはよう!」

 由香里と美樹を見つけたので、にこやかに挨拶を交わし合う。まだ早朝のため、息が白い。もうすぐ春も終わりそうだが、山裾にいるせいだろうか。

「はよ」
「どうも」

 そうこうしているうちに、修平と健介もやってきた。適当な返事の修平と、よく分からない挨拶の健介だ。

「おはよう。二班はこれで集まったね」
「あたし、先生に言ってくる」
「ありがとうー」

 三子たちに班のグループのリーダーは、多数決で美樹に決まった。美樹自身が立候補し、三子と由香里も、彼女ならと賛成し、一方で健介も陰ながら立候補していたのだが、修平がどちらでもいいと一蹴したため、美樹となった。健介は非常に悔しそうだった。
 その後、そう経たずに全校生徒が集まった。わりと都会の学校にいた三子としては、その数の少なさに目を丸くした。が、むしろこの方が私は落ち着くと、三子はこっそり笑みを浮かべた。

「じゃあ皆一列になって登ってねー。順番は三年、二年、一年の順で。何度も行った場所だからって気を抜いちゃいけませんからねー。気を引き締めて登ってくださいねー」

 小西の声とともに、生徒たちが一斉に歩き始めた。皆慣れているのか、歩きやすい運動靴にジャージ、軍手、リュックと、完璧な恰好だった。三子も、事前に由香里や美樹に教えられていたので、準備はしっかりしていた。

「じゃああたしたちも行こうか」
「うん」

 二年の列が見えなくなったので、二班も出発した。一年の列を先導するのは、体育教師の黒井だ。時々振り返って、一班の生徒と楽しそうに話していた。
 前から、美樹、由香里、三子、修平、健介の順で登り始めた。登山道も、丁度登りやすい緩やかな傾斜で、三子はそれほど息を上げることなく登ることができた。この山が、小学校の遠足に使われているというのも納得だ。

『仁科の奴、楽しくないのかしらね』
「え?」

 不意にニハが話しかけて来、三子は思わず後ろを振り返った。――確かに、すぐ後ろの修平は浮かない表情だった。彼の更に後ろには健介がいるわけだが、今まで全く会話が聞こえてこなかったのもそのせいだろうか。気になって、三子は速度を緩めて修平の隣に並んだ。

「ねえ、気分悪いの?」
「あ? いや……」

 彼には、昨日霊を祓ってくれたという恩がある。せめて何か役に立てないか、と三子は自身のリュックの中から飴を取り出した。それを見て、修平は慌てた。

「いや、いらない。そんなんじゃなくて……」
「なに?」

 興味津々な三子に修平は誤魔化すのを諦めた。

「この山、霊がいっぱいいるんだよ。にもかかわらず小学校の時は毎年毎年遠足で通わされてさ。中学生になってようやくおさらばできると思ったのに、今度は泊まり……。何で更に厄介になってんだよ……」
「ああ、そういうことか」

 三子は思わず噴き出した。三子のそんな反応が、修平は癇に障ったようだった。

「そういうことって……。見えないお前には全然かもしれないけどな、こっちは結構キツイ――」

 修平の言葉が途切れる。何事か、と三子も彼が向く方を見る。

「あ、ほらあの木の陰にも……」
「ちょっ、そういうこと言うの止めてよ!」

 慌てて三子はそこから目を逸らした。いくら見えないからと言って、霊のいる方をマジマジと見る趣味はない。

「おい、何してんだよ。後ろがつっかえてるんだ、早く行けよ」
「あ、ごめん……」

 健介に言われ、三子はすぐに歩き始める。が、それでも修平の足は止まったままだった。

「俺……ちょっと行ってくる」
「え」

 何事かと三子が問う間もなく、修平はゆらゆらと雑草を分け入り、先ほどの木の陰へ近づいた。慌てるのは三子の方だ。

「ちょっと、仁科君! 今はそういうの止めようよ! その……皆にバレちゃうし!」

 小声で言うが、修平は聞く耳を持たない。
 そもそも、こんな衆目の場で除霊など行ってもいいものなのだろうか。彼は使命でやっていることでも、傍から見れば「何だあいつ」である。三子は廃校でニハたちと修平で話したことを思い出す。――あの時も、自分が幽霊であることを棚に上げて、ニハたちは修平が中二病であるとからかっていた。――うん、きっと今回もそうなるだろうことは容易に想像がつく。

「ねえ仁科君――」
「三子ちゃん、放っときなよ」

 由香里の呆れた様な声がかかる。由香里と美樹は、いつしか道を外れ、三子のすぐ側まで来ていた。

「あいつ、いつもああだからさー。一体見たら、除霊せずにはいられないみたい」
「……え?」

 自分の耳が信じられず、思わずポカンと由香里を見た。対する由香里も、しまったという表情になる。

「あ、もしかして三子ちゃん、あいつの家が祓い屋だって知らなかった?」
「ううん……知ってる、けど」

 むしろ、こっちが聞きたかった。どうして仁科君の家が祓い屋だってことを知ってるの、と。

「小学校の時も毎年そうだったんだよ。幽霊見る度に除霊してさー。よく先生に怒られてたっけ」

 由香里と美樹はカラカラ笑った。三子はすっかり置いてけぼりな気分だった。
 除霊のし過ぎで教師に怒られるって、いったいどういうこと……? 順応度、高すぎる……!
 三子はただただ呆気にとられた。
 三子の場合、実際に目の前に幽霊を見たからこそ、その存在を信じたのであって、実際、彼女の前に自称祓い屋が現れたとしても、絶対に信じないだろう。――三子は見た目に反して、現実主義だった。
 しかし、よくよく考えてみれば、小学校からの顔なじみである彼女たちが、修平の家のことを知っていてもおかしくはないのかもしれないと三子は考え直した。祓い屋というぐらいだから、その類の依頼はもちろん舞い込んでくるはずだ。依頼をこなせばこなすほど、もちろん知名度は上がるし、噂にもなる。

『仁科って、悪い奴ではないけど、変な奴よねえ』
『なんかいつも怒ってるしな』

 散々な言いようである。が、三子は否定することができなかった。

「ねーえ、仁科! いい加減にしてよもう! こんなんじゃ前に進めないじゃない! 班は一緒に行動しないといけないんだから」
「待って……こいつだけ除霊させて」

 美樹が苛立った声をあげるが、修平は更に奥へ奥へと進む。
 三子が不意に視線を上げてみれば、こちらのことなどお構いもせずに一人でさっさと先へ行く健介が目に入った。彼にも見捨てられたのか……と三子が思えば、彼は前を行く黒井に話しかけた。こちらを指さし、何事か言っている。
 連携が完璧だ……!
 三子は感動した。きっと小学校からの馴染は、修平のこの行動に慣れきっているのだろう。

「もう……行こう、三子ちゃん」

 だんだん由香里達の修平を見る視線は、可哀想な者を見る目へと変わっている。三子もそれに同意したいところだった。
 いくら使命と言えども、こんな日にまで除霊しなくても……。

『あんなに嬉しそうに除霊するなんてな……。俺たちもいつか不意を突かれてやられそう』
『あいつ、本当にヤバい奴なんじゃない?』

 三子は思わず頷きそうになって……すんでのところで堪えた。
 仮にも彼は……三子の恩人である。ヤバい奴、なんて言葉に同意してしまったら、彼の立つ瀬がなくなる――。

「あ、あっちにもいる」

 なんてことも、ないかなあ……。
 三子は何だか面倒くさくなって、由香里達の後を追った。見れば、前方から黒井が来ているのが見えたので、連れ戻されるのも時間の問題だろう。

「こらー、仁科! 除霊は一日に五回までだ!」

 怒るところ、そこなの……?
 三子は脱力した。
 三子はもう、この地域の人々の考えていることがさっぱり分からなかった。