14:悪霊化したら
「お婆ちゃん……」
「お客様にお茶を持ってきました」
「すいません、ありがとうございます」
修平の隣に、智恵は盆と共にお茶請けとお茶を置いた。そのまま出ていくのか、と待ってみても、彼女は出て行かない。
もしかして聞かれた……? と三子が焦った時、ようやく彼女は口を開いた。
「話は、聞かせていただきました」
聞かれてた!
三子は一瞬にして固まった。
「三子さんに幽霊が憑いているというのは本当ですか?」
「あっ……いや、幽霊とか、あの」
三子は慌てふためいて言い訳しようとしたが、祖母の目は、真っ直ぐ修平を見ていた。彼はゆっくり頷いた。
「最近憑くようになったみたいです。俺も詳しくは知りませんが」
「あなた、仁科さんの所のお孫さんでしょう?」
「はい。九代目の仁科修平と申します」
「あの人に似ず、礼儀正しいことで」
冷静な表情から、ポンと辛口が飛び出した。三子は内心ギョッとした。いつも丁寧な口調の祖母が、こんなことを言うなんて。
だが、対する修平の表情に変化は見られない。
「お婆ちゃん、修平君の家のこと知ってるんだ」
三子は自分だけが置いてけぼりのこの状況に、堪らなくなって口を挟んだ。彼女の口調から、修平の祖父のことを、何となくよく思っていないことだけはうかがえた。
「……ちょっとした腐れ縁ですが」
それは、仲が良いからこその憎まれ口なのか、本当に仲が悪いのか。
三子はまだそれを見極められずにいた。
「修平さん、私からもお願いします。三子さんの霊を祓って頂けますか」
「いや……それはいいんですけど」
智恵の真剣な瞳に、修平はたじろいだ。
「でも確実性をとるなら、祖父に――」
「いえ、修平さんにお願いします」
祖母はやけにきっぱりとした口調だった。三子は気圧されるような形で頷いた。自然、二人の視線が修平に向く。彼も気まずそうな顔で頷いた。
「じゃあ、今から祓います。矢代、起き上がれるか」
「う、うん」
修平は、自身の大きいバッグから何やらいろいろ取り出した。その中の一つは、以前にも見たことのある物だった。確か、転校初日に修平に廃校へ連れて行かれた時だっただろうか。
聖水……らしきものの瓶を、修平は徐に開けた。そして三子にかけようとするが、彼女はすんでのところでその手を止めた。
「あの……」
「なんだ?」
ここには祖母もいるので、はっきりと口に出すことはできない。が、三子の目はチラリ、とニハやイチへ向けられ、その後修平に再び戻った。たったそれだけの行為で、修平は何事か分かったようだ。
「……まあ、不本意だが、多少の考慮はする」
「うん……。お願いします」
多少とは、いったいどれだけだろうか。三子としては、二人まで除霊しないで、という意味の視線だったのだが、痛くしないという意味で受け取られたのなら、大分意味が違う。
三子は緊張した面持ちで修平の除霊が終わるのを待った。頭にあるのは、ニハとイチのことだ。二人のことは、大切だった。共にいた時間は短くても、今となっては、離れるに離れがたい。彼らが自分の意思で成仏したいと言われるまで、三子は二人とともにいたいと思っていた。
「終わりました」
三子はパッと目を開けた。思ったよりも早く、そして痛くもなかった。三子の思う除霊とは、背中を棒でたたいたり、長い呪文を叫んだりと激しいものだったのだが、それはただの思い込みだったようだ。
祖母の心配そうな顔も目に入ったが、三子はさっと辺りを見渡した。目指すはニハとイチだ。肩が軽くなったような気がするので、除霊は成功しているのだろう。が、あの二人が自分の意思とは関係なしに除霊させられていたとしたら、三子はいても経ってもいられなかった。せめて、別れの言葉だけでも、そんな思いだった。
『そんな不安そうな顔をしなくても、ちゃんとここにいるわよ、さんこ』
『ちょっとヒリヒリしたけどなー。ってか、今もするし』
相変わらずの軽口に、三子は思わず笑みを零した。そのまま修平を見る。
「ありがとう……! 仁科君、本当にありがとう!」
「別に……。ただの気まぐれっていうか」
「ありがとうございました」
祖母が深く頭を下げた。三子も慌ててそれに倣う。
「いえ、祓い屋として当然のことです」
「お礼の品はまた後ほど……」
「あっ、いえ、それは結構です。俺もまだ不十分な修行中の身で――」
「いえ、しっかり払わせてもらいます。修平さんには感謝しかありませんが、しかし仁科家には借りを作りたくないので」
「はあ……」
修平は未だ納得しきれていないような顔だったが、取りあえずは頷いた。
「それで……この子のことですが」
「はい」
「いつからこの子は霊に憑かれていたんですか? 数日前も学校で倒れたことがありましたが、もしかしてそれも?」
「あー、いえ。それは関係ないと思います。確か……虫に驚いたから、だっけ?」
からかいを含んだ視線が三子に向けられる。三子は少々ムッとしたものの、大人しく頷いた。
「俺も詳しいことは分かりませんが」
言葉を濁しながら、修平の視線は、今度はニハたちへと向けられた。
「俺が初めて会った時には、もう憑いてました。その後、数日経って……二体三体と増えて行きましたね」
「そう、ですか」
智恵は物憂げに顔を俯けた。三子は何だか不安になって彼女に声をかけた。
「お婆ちゃん――」
「残念ながら、私には幽霊が見えません」
三子の声を遮るように智恵は続けた。
「三子さんが憑かれていることにすら気づけなかった……。神に仕える家に生まれていながら、孫の不調にも気づけないとは……。何という皮肉でしょうね――」
それだけ言うと、智恵はさっと立ち上がり、部屋を出ていった。何かあるのだろうかと、背筋を伸ばしたまま帰りを待っていると、彼女はすぐに戻ってきた。手には小袋を持っている。
「これを常に持ち歩くようにしてください」
「これは……?」
三子は差し出されたものを受け取った。緋色の小さな麻袋だ。何か入っているようで、両手に持つと、僅かな重みとカサカサという音がした。
「霊除けの効果があります。これでしばらくは霊も寄って来ないでしょう」
智恵は両手でギュッと三子の手を握りしめた。その寂しそうな表情に、三子は眉を下げる。
「お婆ちゃん、私――」
三子は不安で堪らなかった。始めは、ニハやイチが見えることで、自分に無かった霊感というものが備わったのかと思った。しかし、それはどこか通常のものとは違うものらしく、ニハとイチ以外の霊は見えない。
そんな時、今回の事件が起こった。霊が見えない三子としては、体調が悪いくらいにしか感じておらず、そしてその不調も修平がすぐに直してくれたので、あまり不便は感じなかった。だが、今は状況が違う。他でもない親族の祖母が、霊力という普通とは違うものを持っているらしいことを知ってしまった。彼女がそうなら、孫の自分はどうなのだろうか。何か、特別なものを受け継いでいて、それが今回の事態を引き起こしてしまったのだろうか。
今までの自分が、急速に遠のいていくようで、三子は堪らなく怖かった。
「私、一体どうなったの……?」
三子の揺れる瞳と視線を合わせたのち、祖母はおずおずと口を開いた。
「もしかして……ですが、神社の裏手にある石……に、近づいたりしましたか? 触ったりとか、」
珍しく、智恵の口調はぎこちない。だが、三子は彼女の言葉にぎくりと肩を揺らした。
「う、ん。触った。引っ越しの当日に」
「……そう、ですか。私の封じの力が弱くなったのか、それとも――」
短く、けれども重いため息が、智恵の口から漏れ出た。三子は、まるで審判を待つかのように彼女の次の言葉を待った。しかし、その口から出てきたのは、三子が期待していたようなものではなかった。
「もう、あの石には近づかないようにしてください。家にも、できるだけ早く帰ってくるように」
「……あの石は何なの? 私、どうなっちゃったの?」
「三子さんは、知らなくていいことです」
「私のことなのに?」
知らず、三子の語尾が強くなる。だが、智恵の顔色が変わることはなかった。
「家を継ぐ者には、修行させたり、知るべきことを教えたりするつもりです。ですが、三子さんはこの家の跡取りではありませんから」
だから、話さない。
三子は視線を鋭くした。
「でも……でもお婆ちゃん――!」
「話したからと言って、あなたは納得するでしょうか。長い話になります。一つ話したら、全部話すことになる。全部話すには、まだあなたは小さいですし、理解できないことも多いはずです」
「…………」
「これは、理恵子の意思でもあります」
瞬間、三子は脱力した。そんな風に言われて、引き下がれない訳がなかった。
「安心してください。あなたに危害は及ばせません。もしもそのお守りを無くしたらすぐに言ってください。新しいものを作ります」
「……分かった」
三子はしぶしぶ引き下がった。結局のところ、彼女が言うことは正しいのだろう。孫である自分のことを思って言っているのは重々承知していた。伊達に、母と三人で暮らしていない。言動一つ一つに、惜しみない愛情を注いでいてくれていることは、分かっているつもりだった。
「本日はありがとうございました」
智恵がそう修平に言って退室する声も、遠く聞こえた。三子はぼんやりと視線をニハたちに向けた。
「……二人は平気なの?」
そう言って、先ほど智恵から貰ったお守りを持ち上げる。
修平の除霊は、彼が多少『考慮』してくれたからこそ、ここに留まることができたらしい。しかし祖母のお守りは、そんなことはないはずだ。
『んー、なんか大丈夫っぽいね』
『他の霊は全然寄って来なくなったから、効果がない訳ではないんだろうが――』
「お前たちの霊力が強すぎるからだろ……!」
三人の会話に、修平が入ってきた。三子は目を丸くする。
「霊力……? 二人、強いの?」
「ああ、他の霊とは比べものにならないくらい」
『あっ、じゃあさっき、格好つけて『多少考慮する』とか何とか言ってたけど、本当はあたしたちの力にあんたが及ばなかっただけ――』
「うるさいっ!」
修平は叫んだ。彼が否定しないので、あっ、図星なんだ……と三子は思い当たってしまい、それがなぜかひどく後ろめたかった。
『なっさけねーの。もう死んでる俺たちよりも力ないなんてなあ。可哀想になあ、現祓い屋の修平君?』
「うるさーーーいっ!」
修平はついに爆発した。真っ赤な顔で部屋を飛び出すと、荷物もそのままに玄関へ走って行った。三子は仰天する。
「ちょっ――仁科君、鞄忘れてるー!」
『あはは、動転してやんの』
『大人ぶってるけどまだまだ青いねえ』
「二人とも、ちょっとからかい過ぎだよ! 仮にも私の恩人なのに!」
三子は非難の目を向けると、すぐに家を出た。修平が忘れていった鞄は学校用の物なので、無かったら明日困るだろう。
「仁科君!」
階段前の真っ直ぐな道のりをひたすらに走っていくと、ようやく修平の背中に追いついた。三子の体力はそれほどないのだが、彼も似たり寄ったりらしい。修平ははあはあと肩で息をしていた。
「これ……鞄、忘れてたよ」
「……ああ、悪いな」
少し気まずそうに修平は鞄を受け取った。しかしすぐにハッとすると、三子の顔を真剣に見る。
「矢代、あいつら相当性質悪いぞ」
「え?」
三子はきょとんとした。
もしかして、さっきのことをまだ根に持ってるの……?
「あいつらは普通の霊じゃない。心して対応しないと、あっちの世界に引きずり込まれるかもしれない」
あ、そっちか……。
三子は納得し、うんうんと頷く。そのせいで、肝心の修平の助言が頭に入って来なかった。
「霊力のある霊は、普通の霊よりも意識が強く、知能も高い。ほぼ生前と同じような知能を持っているだろう。が、その分悪霊化したら厄介だ。力が強い分、こちらの手に負えなくなる」
「で、でも、守護霊って考えられないかな? ニハたち、私が危ない目に遭っても助けてくれるし、それに今日だって仁科君を呼びに行ってくれたんだし……」
「あいつらは守護霊じゃないよ。守護霊は故人の思念の塊のようなもので、あいつらみたいにぺらぺらと喋ったりはしないし、自由に動いたりもしない。もちろん、その思念が強ければそういうこともあるだろうが……。とにかく、あいつらは守護霊じゃない。浮遊霊が、矢代に興味を持って憑いてるだけだろう」
「…………」
「俺は祓い屋として、他の人間に害をなさないよう、使命を果たさなければならない。もしあいつらが悪霊化したら、俺が間違いなく除霊する」
きっぱりとした物言いに、三子は固まった。
「あく……りょう」
修平の言葉は、三子にとっては非常にショックなことだった。ニハたちが守護霊ではないこと、それどころか、悪霊化する場合もあると。
悪霊がどういうものなのか、まだ三子には分からない。もしかしたら、今まで出会った幽霊以上に性質の悪いものなのかもしれない。
三子は物憂げな表情で修平を見送った。
今の三子には、またその答えが分からなかった。