13:友達だから


 なんとなんと、三子は今日も憂鬱だった。しかしそれはあり得ないことである。なにせ、今日は転校初日でもなく、友人がいない訳でもなく、前日に奇行を繰り広げた、なんてこともなかったのだから。
 しかしそれらの理由とは全く異なり、三子は本当に憂鬱だった。憂鬱――というのは語弊があるかもしれない。その憂目は、三子の不調からきているからだ。
 三子はその日、朝起きた時から何となく身体が重く感じられた。肩が重いような、身体全体が怠いような。母や祖母の目を盗んで体温計で調べてみても、熱は無いらしい。が、朝食を食べた後も、体調が良くなることはなかった。

「三子……大丈夫? 何だか顔色が優れないみたいだけど」

 母からも心配された。三子は浮かない顔で頷く。いつもならば、不調を笑顔の裏で隠すくらいなんてことないのだが。

「学校休んだ方がいいんじゃない? 昨日みたいなことがあるといけないから」
「うん……そうする」

 三子が案外素直に頷いたので、母はホッとしたようだった。
 仕事があるにもかかわらず、理恵子はその時間ぎりぎりまで、三子の枕元で心配そうにしていた。

「三子さん、学校には連絡をしておいたので、ゆっくりしてください」
「うん、ありがとうお婆ちゃん」
「何か食べたいものはありますか?」
「大丈夫だよ」
「そう、ですか」
「ありがとう」

 智恵はその後も、手持無沙汰に三子の枕元に坐っていたが、やがて立ち上がり、静かに出て行った。それとともに、天井からぼんやり顔を出したのはイチだった。

「あ、イチ……。ニハは?」
『あ……っと、今外出てる』
「ふーん……」

 近ごろ、ニハやイチは、三子に内緒でどこかへ出かけることが多くなった。尋ねたら答えてくれるのかもしれないが、何となく聞くのが躊躇われて、三子は聞けずにいた。それに、二人が完全に姿を見せなくなるわけではなかった。ニハがいないときにはイチが必ず傍にいたし、その逆も然りだ。
 二人が傍にいないことの方が当たり前なのに、いつの間にか、側にいないと不安になってくる不思議。

『さんこはあたしたちが守るわ』

 立派な守護霊にそう言われてしまえば、もう三子には不安に思う要素などない。
 三子はふっと笑みを浮かべながら、浅い眠りに落ちていった。


*****


 額に冷たい感触を感じた。お婆ちゃんかな、と三子が薄らと目を開けると、黒い髪の少年と目があった。

「へっ!?」

 瞬時に目が覚める。理解が追い付くよりも早く、三子は飛び起きた。

「どっ、どうして仁科君がいるの!?」
「呼ばれたんだよ、あいつに」

 くいっと彼が指し示す方には、眉を下げたニハがいた。

「ニハ……」
『さんこ、具合は大丈夫?』
「う、うん……今は、ちょっとだけ身体が楽になったかも」

 未だにどくどく鳴る心臓を落ち着けながら三子は髪を撫でつけた。家族以外、誰も入ることがないと安心していたからこそ、部屋だって片付けないままで、格好だってただのパジャマなのに……。

「しかし矢代って名前から嫌な予感はしていたが……まさか、ここの神社の孫だとはな……」
「何か悪いの?」
「いや……何というか」

 修平の言葉は尻すぼみに消えていく。

「俺の家とお前の家、犬猿の仲なんだよ」
「……そうなの?」
「お前の祖母と、俺の祖父な」
「へえ……」

 言われてみても、三子にはとんと想像がつかなかった。何しろ、いつも冷静なあの祖母に、犬猿の仲と言われる何者かがいるとは。

「まあ数キロも行かないところに神社が二つもあれば仲も悪くなるだろ」
「はあ……」

 それでも三子は納得しきれなかった。仁科君の勘違いでは? と疑問はぬぐい切れなかったが、今はそれどころではないと頭を切り替えた。

「でも……それでどうして仁科君が家に?」

 三子と彼の関係性で言えば、見舞いに来るような間柄ではない。その上、ニハに呼ばれたという。看病なら祖母がいるのに。

『さんこの体調不良の原因、たぶん霊の仕業よ』

 ニハが言い切った。三子は言葉を無くす。

『最近、ずっとお前の周りを霊がうろちょろしてるんだ。さんこは気づいてないみたいだったから、俺たちも内緒にしてたんだけど』
「れ……霊? 幽霊が? 私の傍に?」

 目を丸くして、三子はキョロキョロと辺りを見渡す。

「……え、もしかして今も私の傍に……?」
『布団の上に老人が乗ってるし、枕元には女の人が』
「ひっ!」

 三子は思わず飛びのいて布団から這い出た。その行動も、いつもと違って俊敏さが無い。
 もしかして、今肩が重いのも――。

『あっ、そっちにはおじさんが――』
「やだー! もう、どういうことなの!」

 三子はすっかり動転して部屋の中を歩き回る。どこへ行っても幽霊がいそうで、同じ場所に留まることができなかった。

「矢代、幽霊が見えないのか?」
「見えないよ! でもそんな風に言われたら気になるよ!」

 自分の周りに幽霊がいる、と言われれば、気にならない者はいないだろう。むしろ、知らなかった方が良かったくらいだ。

『あたしたちだって、さんこを不安にさせると思ったから今まで黙ってたのよ……。あたしたちで対処できる範囲は対処したし』
「対処? 具体的にどんなことを?」

 必死に部屋の中を移動する三子を差し置いて、修平としては、ニハの言う対処に興味津々らしい。

『対処……っていうか、説得っていうか』

 ニハは目を逸らしながら言う。その続きをイチが請け負った。

『まあ端的にいうと、さんこは俺たちの獲物だから近づくなって釘挿したんだよ』
「え……獲物!?」

 三子は驚愕の声を上げた。

「そ、そんな風に思ってたの……?」
『ただの言葉の綾だよ。だいたいはそんな風に言ったらどこかへ行ってくれるから』
『ただ、時々聞く耳持たない奴らもいるけど』

 イチが指さす方は、三子のすぐ隣。泣きそうになって彼女は修平の隣に移動した。由緒正しい祓い屋らしい彼の隣なら、何だか霊も遠慮してくれそうな気がした。

「仕方がない。自分が霊だっていう自覚が無いものもいるんだ。そういう者の中には、生きていた頃の知性、理性が追い付いてない者もいる」

 話には全くついていけなかったが、三子はただただ頷いた。今はもう、はやく霊を祓ってもらいたくてしようがなかった。

「矢代、最近妙に霊を引き連れてるから、俺も気になってたんだ」
「……え」

 修平が声を落とした。三子は不思議そうに彼を仰ぎ見る。

「ど、どうしてその時に教えてくれなかったの?」
「いや……その」

 修平は言葉を濁す。

「趣味なのかなと思って」
「――っ、幽霊を引き連れる趣味なんかないよ!」

 三子は思わず叫んだ。心外だった。まさかそんなよく分からない趣味を持っていると思われていたとは。
 しかし修平の方も負けじと言い返す。

「そりゃ勘違いするだろ! 現にこいつらを引き連れてるじゃないか! こいつらとさっきの幽霊たち、俺にとってはどっちもそんなに変わらん!」
『――っ』

 ニハとイチが、言葉を無くしたのを気配で感じ取った。急速に、三子は自身の中の熱が冷めていくのが分かった。
 ちらり、とニハとイチを見やる。彼らはいつもと変わらないように見えた。先ほどの僅かな動揺は、今は微塵も見られない。

「……仁科、君」

 震える声で言葉を紡ぎ出す。

「ニハとイチは……私の、友達だから……」

 ニハやイチと、その他の幽霊の違い。
 そんなもの、三子には分からない。どうして前者が友達で、後者がただの祓って欲しい幽霊になるのか。ニハたちのことは見えるから友達で、でも他の幽霊は見えないから怖がるのか。
 きっと、祓い屋である彼の言うことは正しいのだろう。幽霊は相容れぬ存在で、いつ豹変するかもわからない。彼の言うとおりにしていたら、きっと自分の身に危険が及ぶことはないのかもしれない。
 でも、直感を信じてはいけないだろうか。
 二人の幽霊の、能天気で陽気な性格を信じてはいけないだろうか。
 同時に、自分の中に芽生えてしまった想い。
 二人と、もっと一緒にいたいという想い――。

「仁科君、こんな所までごめんね。もし良かったら、私に憑いてる霊を祓って欲しい。お金は……そんなに持ってないんだけど、お年玉とか、お小遣いで、可能な限り払うから」
「金はいらない」

 ぴしゃりと修平は跳ねのけた。

「で、でも……」
「俺はまだ修行中の身だ。成功するかもわからない。そんな身で、お金は受け取れない」
「でも、この前の水晶玉だって――」
「三子さん、入りますよ」

 祖母の声だ。三子は慌てふためいた。先ほどの会話を聞かれなかっただろうか、と三子の胸は早鐘のように鳴った。