05:新しい世界――村
朝早く、佐代たちは街を出た。まだ日も昇っていなかった。
結局、佐代はこの街のどこも見学することは無かった。じろじろと見て回った場所と言えば、自分にあてがわれた宿の一室しかない。その窓から見える街の景色を、昨日は寝るまで観察し続けていたが、それでこの街の全てが分かるわけではない。
あの男性が持っているものは何だろう、どうやってあの人は生計を立てているんだろう、女性が皆頭に飾っているものは何だろう。
思うことは多々あったが、それに応えてくれる者はいなかった。自分の疑問のままに、この宿を飛び出すことはできる。だがそれをすると、護衛である従者たちに迷惑がかかるだろうし、いずれ、神殿の方にも連絡がいき、巫女が勝手なことをしたと連れ戻されてしまうことは想像にたやすい。それだけは、何としてでも避けたかった。折角の外を見る機会。たとえ思う様に動けなくとも、神殿の外にいる。ただそれだけで良かった。
藤香は、次に向かうのは、街からそう遠く離れていない村だと言った。その次に向かう場所が、山越えをしなくてはならない場所にあるので、その村で準備をするとも。
が、街を離れてそういくばくも経たないうちに、藤香と従者の、低い声での会話が耳に入って来た。窓から外の景色も見ることができない佐代は、そっと耳を澄ました。
「……本当に、あの村に行くのですか?」
「ああ、明日は山越えだ。その準備をしなければ」
「……ですが、嫌な予感がします。あそこはこの辺りで最も被害が大きかった村です。このまま山越えをしましょう」
「だからこそだ。だからこそ、巫女様にあの村の現状を知ってもらうのだろう! あの村の惨状を目の当たりにすれば、何か変わるかもしれん!」
「ですが――」
次第に二人の会話が熱を持っていく。聞き耳を立てている佐代ですら、相手の男性が苛立っているのが分かる。佐代はそっと窓から顔を出した。
「あの……私、その村に行きます。行きたいです」
「巫女様……」
突然の乱入者に、二人は驚いたようだった。佐代が窓から顔を出したことを怒る様子もない。
「先日の神託は、私に世界を見せろと言ったんですよね? だったら……少しでも、この国のことを目に焼き付けたいです。もう一度、雨を降らすことができるのなら、やれることはやりたい」
連日日照り続きだ。今日も太陽光が容赦なく照り続けている。日光が無い分、外よりは涼しい佐代とは比べものにならないほど、歩いている側仕え達、働いている者たちは、厳しい境遇のはずだ。彼らのためにも、少しでも早く雨を降らせたい。その一心だった。
「……分かりました。そうですね、確かに、あの村には一度行っておいた方が良いのかもしれません」
「藤香殿」
「ですが、佐代様は決して中をお出にならないようお約束くださいませ。窓からお顔も出さないと。……あの村は、私達の来訪を快く迎えてくださらないかもしれません」
「……どういう――」
「さあ、もうすぐ村につきますよ。佐代様、窓をお閉めください。面紗はしっかりと被りましたね?」
「は……はい」
突然の藤香の変わりように、佐代は戸惑いながらも頷いた。暑苦しいと少し下げていた面紗を、深く被りなおす。
村はもうすぐだった。
*****
昼を少し過ぎたところで、村に到着することができた。が、中へ入ることができずに、そのまま一行は立ち往生することとなった。旅人のために開かれている門が、牛車よりも小さすぎるためだ。それはそうだろう。都や街ならまだしも、普通の村ならば、こんな大層な牛車が来ることなど想定していない。
側付き数人が門の所で村人と何やら話しているが、話したところで現状が打開するわけでもない。そうこうするうちに、何事だと村人がわらわらと出てきた。
一方で、側仕えの一人は、なかなか村に入ることができず苛立ったようで、牛車内の佐代に聞こえる様な大声で言った。
「巫女殿! 一晩宿を貸してもらいましょう。牛車は入れないので、申し訳ありませんが、歩いていただくことになりますが――」
「え……で、でも」
佐代は牛車の中でおどおどとしていた。佐代としては、歩くこと自体に何の躊躇いもないが、先ほど、藤香に外を歩くなと釘を刺されたばかりだ。しかし、藤香はいつの間にか、遠く離れた門の所にいた。しばらく迷った後、佐代はそろそろと外に出た。ここで夜を明かすことはできないだろうし、かといって引き返す選択肢もない。ならば、少しくらい外に出て、宿を借りるくらいどうってことないだろう。そんな、甘い認識だった。
始め、佐代が感じたのは、刺すような視線だった。顔を上げると、無数の村人たちが、こちらを見ている。いや、睨んでいた。こちらを――私を。
「巫女……神殿の巫女か?」
村人を率いるように立っている大男が口を開く。佐代は声を出すことができず、ゆっくりと頷いた。
「何しに来た」
「……え?」
「この村に、何しに来た」
地を這うような声だった。思わず聞き返す。
「お前の雨のせいで、この村は散々たる現状だ。作物は流され、
土砂崩れで家は潰され。押し寄せる川の水に、人だって流された」
ごくり、と佐代は唾を飲み込む。面と向かって、ここまで恨みのこもった言葉を投げかけられたのは初めてだった。
「にもかかわらず、今度はどうして雨が降らない? 一体俺たちのことを何だと思っているんだ。面白いか。都の安全な場所で暮らしながら、俺たちが天気一つで喘ぎながら生きているのが」
「お止めください!」
藤香が甲高い悲鳴をあげて男を制した。場が奇妙なほど地静まり返っていることに気付いたようだ。
「知っているぞ、俺たちは!」
大男だけではなく、他の村人たちも声を上げる。
「いけません、お戻りください!」
「その巫女は平民上がりなんだろ。つい前まで、俺たちと同じように泥に塗れて暮らしていたんだろ。そんなただの村娘を掻っ攫って豪華絢爛に奉って、巫女に飾りたてただけなんだろう!」
「お止めくださいっ! 部外者が何を申される! さっ――このお方は特別な力を持った娘、神託により探し出された巫女様にあらせられますよ!」
「ただの村娘が、雨なんて降らせられるわけがない!」
村人たちには、藤香の声など届いていないようだった。血走った眼で佐代に指を突きつける。
「その娘のせいで異常気象が起こったんだ! 厳罰だ、厳罰を下せ!」
突然村人たちが柵を飛び越え、こちらに飛びかかってきた。佐代が驚く暇もない。藤香は悲鳴をあげながら佐代の腕を掴み、牛車の中に押し込んだ。
「早く! 早く出してください!」
「分かっている!」
御者が慌てて牛に向かって鞭を振るう。がたごとと盛大に揺られながら、牛車はゆっくり動き出した。やがて、速度も波に乗り始めた。牛車本来の速さに人の足が追い付けるわけがない。人々の怒号は、次第に遠くなっていった。