33:これから
佐代と蓮介が祭殿の間を出ると、すぐ近くで人だかりができていた。その中央――騒ぎの元からは、何やら聞き覚えのある声がしていたので、二人は嫌な予感を抱きながらもそちらへ近づく。
「おい、貴様一体誰の差し金で神殿に侵入した!」
「神聖な領域を怪我した罪は重いぞ!」
「たかが不法侵入くらいで……」
呆れたようにそう呟く男の声は、紛れもなく松樹だ。どうやって彼を助けようかと佐代が慌てる隣で、蓮介は冷静に人ごみを割って入った。
「その人、離してもらってもいいですか? 知り合いなので」
そして中央の三人にそう声をかける。
神官長が失墜した今、もう身を隠す必要はないのだ。
「蓮介様……」
大神官の息子の言葉に、守衛はしぶしぶ松樹の腕を離した。がんじがらめにされていた彼はしばし呆然としたまま蓮介を見つめていた。やがて視線は彼の隣の佐代に向く。すぐに松樹の表情は緩んだ。
「上手く……いったのか」
「ええ、お陰様で」
聞く者が聞けば嫌味なその一言。松樹は一瞬で怒りを思い出した。
「蓮介……さっきはよくも」
「いいじゃないですか。何とかなったんだし。藤香さんには会えたんでしょう?」
「……いや、だがそれとこれとは話が別……」
未だ納得のいく様子を見せない守衛たちを差し置いて、何やら込み入った会話をする松樹と蓮介。やがて集まっていた人ごみは散り散りになった。守衛たちの方も、穏やかな顔で蓮介と会話をする松樹に毒気を抜かれ、そのまま祭壇の間の門番という本来の役割に戻った。
「さあ、これで佐代は自由の身になったわけだけど」
蓮介は唐突に明るい声で言った。その言葉を理解すると、佐代は無意識に頬を赤くした。
自由の身。そんなことは、夢のまた夢の話だと思っていた。ずっと、自分は神殿の中で生きていくのだと思っていた。
「佐代はどうしたいんだ? このまま神殿でぬくぬく過ごすもよし、故郷の村に戻るもよし、都で生きていくのもよし」
蓮介は、あえてもう一つの選択肢を出さなかった。きっと、それは彼女自身の中にもともとあるものだろうから。それは、彼女自身が決めることだ。
「――千世村に行くってのもありかもしれないな。雄造さんたちも待ってる」
「…………」
思わず蓮介はジトッと松樹を睨み付けた。佐代に選択をさせるつもりだったのに、何をしゃしゃり出ているんだ。
「そう……ですね。私……」
しかしそんなやり取りには気づかないのか、佐代は考え込んだままだ。
「あの……」
「佐代様!」
佐代の言葉を遮って、何者かが走り寄って来た。肩で息をしているのは、藤香だ。
「ご無事で……何よりでございます……!」
「うん……ごめんね」
佐代は思わず笑ってしまった。心配してくれるのは有り難いが、なんだかそれがこそばゆくて、すごく心地よかった。
「ねえ、藤香」
そのまま、少し顔を俯かせる。藤香は首をかしげた。
「何でしょう?」
「私のお父さんと、お母さんのお墓……」
それだけで全てわかったのか、藤香はしっかり頷いた。
「ご案内します」
神殿からの外出は許されず、両親の墓参りにすら行かせてもらえなかった。
もうすぐ……。
佐代の心は不思議と落ち着いていた。
*****
佐代は一人で墓地に立っていた。
都の外れに位置している場所に、墓地はあった。佐代の父と母は聖職者ではないので、神殿の墓地に埋葬するわけにはいかなかったのだろう。
定期的に掃除はされているようで、寂れた雰囲気はない。が、どこか寂しさを感じさせる場所だった。
一人で墓参りさせてほしいと、藤香たちは入り口に置いて来たままだった。両親の名前が書かれた墓石を見つけると、その前に立つ。
神殿が建てたものなので、周囲の墓地よりは立派に見える。だが、それが今は腹立たしかった。
佐代は墓石の前に、倒れるようにして両膝をついた。
いや、腹立たしいのは、自分に対してだ。
自分でもおかしいことは分かっている。両親を殺したのは紛れもなく神殿だ。でも誰を恨めばいい? 両親を実際に手にかけた人だろうか。それとも両親を殺すように言った神官だろうか。
分からない。結局雁字搦めになって、恨みをぶつける相手を探す前に、にくく思ってしまうのが自分だった。自分の力をうまく制御できていれば、自分がこんな力さえ持って生まれなければ……!
これからも、私は私のことを責め続けるのだろう。だって、私が悪いのだから。
その考えは、変わることは無い。
数か月も経った今、ようやく佐代は理解した。もう、父も母もこの世にはいないのだと。
ほろりと頬を何かが伝っただが、佐代の意識はそこにはなかった。
後ろに誰かが立つ気配がした。さっと佐代は涙をふく。
「これ……」
藤香の声だった。佐代は振り向く。彼女は二つの饅頭を手に持っていた。
「お供えして差し上げて。こんなもので……申し訳ないのだけど」
「ううん、そんなことない……。ありがとう」
佐代は微笑むと、大切そうに饅頭を両手に持った。墓地にそっとそれを並べる。それだけで、随分心が腫れた。
「……どうしてお饅頭を?」
「……分かるでしょう? ……佐代は、ぜったに生きてると思っていたから、きっといつか二人で食べようと思って」
藤香の口調は柔らかい。佐代も同じように微笑んだ。
「うん。いつか、食べよう」
「ええ」
佐代はゆっくりと立ち上がった。太陽は、もう真上を向いていた。
*****
墓地の入り口には、松樹と蓮介が腕を組んで立っていた。互いに向かい合う様にして何か話している。様相のせいだろうか、その光景は村にいた頃と何ら変わりはないのだが、どこか違った風に見えた。
「で、佐代はどうするの?」
唐突に話の矛先が佐代に向く。
「え? 何が?」
「神殿出る前にも言ったんだけど、これからどうするのかってこと。このまま神殿に居続けるのか、一人暮らしするのか。それとも故郷に戻るのか」
「それとも千世村に行くのか」
なおも松樹がもう一つの選択肢をねじ込む。しかし佐代には、最後の選択肢しか耳に入っていなかった。
「……松樹、さん」
「何だ?」
一瞬躊躇った後、彼を真っ直ぐに見つめる。
「私、千世村に行きたいです。村の方たちと、もう一度話がしたいです」
今度こそ、逃げないためにも。
「分かった」
松樹も柔らかく微笑む。
「なら行こう。みんな待ってる」
「はい!」
元気よく頷いた後、佐代と松樹は歩き始めようとする。これでもう話は終わったとばかり。
「ちょっと待った!」
そんな二人に慌てて声をかけるのは蓮介だ。若干呆れたような表情だ。後ろの藤香も戸惑ったような顔をしている。
「あの、忘れてない? 佐代。大神官のお言葉」
「え……」
一瞬思考を飛ばした後、すぐに彼女はハッとした。
「そう。三か月は神殿にいてもらわないと困るって話。そこで祈祷なしでも雨を降らせることができたら、晴れて、本当に佐代は自由の身に慣れるって話だっただろ?」
「……そうなのか?」
松樹は尋ねる。佐代は項垂れて頷いた。
「そうなんです。とにかく、今は佐代はまだ神殿にいてもらわないと」
「三か月も神殿にいるんなら、俺は一旦村に帰らないとな。畑もそのままだし」
松樹の言葉に、佐代は落ち込んだように項垂れた。そんな彼女の頭に、松樹が軽く手を乗せる。
「迎えに来ていいか?」
「……迎えに、来てくれるんですか?」
佐代の瞳は期待に揺れる。
「お前が望むのなら」
うっと佐代は詰まる。なんて言葉だ、と佐代は松樹を見やる。
「なんか……」
彼の表情に変化はない。佐代は唇を尖らせた。
「松樹さんが、おかしいです。いつもはもっと意地悪な癖に」
「意地悪なのがお好みか?」
声に凄みが増す。佐代はぶんぶんと首を振った。
「……お願いします」
声を落とす。本当に小さな声だった。
「迎えに、来てください」
もう、きっと一人では生きていけないだろう。
「分かった」
松樹の言葉には、重みがある。そのせいで素っ気ない態度にもぶっきらぼうな言葉にもひどく傷ついた時はあった。だが、今ほどその重みが嬉しく感じられるときは無かった。