30:松樹と蓮介
そう探す手間もなく、松樹は蓮介を見つけることができた。村の集会所から出て間もなく、慌てた様に走っていく彼の後ろ姿を発見したのである。成行きが気になってまた盗み聞きしたのかと呆れたものの、彼の心境を思えばそれも当然かと思い直した。
「それ……お前の馬か?」
蓮介に声をかけると、彼は僅かに肩を揺らしただけで、平静を装っていた。
「はい。佐代を探して旅をしてたんです、この馬で」
優しげな瞳で蓮介は一頭の馬の鼻面を撫でる。ふんふんと鼻を鳴らし、馬の方も好意を示しているようだった。
「俺も行っていいか?」
「え……神殿に、ですか?」
「いや、都に」
一瞬奇妙な沈黙が漂う。
「え……っと、佐代を連れ戻しに……ってことですか?」
「いや、別件だ。都に用がある」
「ちなみに、どんな用が?」
「…………」
松樹の目が泳ぐ。が、蓮介はこの程度で追及を止める男ではない。
「街では済ませられない用なんですか? 俺、今すぐ神殿へ行きたいので、急いでるんです」
「あーっと、都の……特産物を買いたいと」
「何の?」
「……ほら、あれだあれ……味噌饅頭」
「それは隣街の特産物ですが」
いよいよ黙り込んでしまったので、この辺で諦めてやるかと蓮介は生暖かい目になった。
「分かりました。一緒に行きましょう。馬には乗れますか?」
「多少は」
体の大きさから、蓮介が前、松樹が後ろになった。馬に乗るその光景が、まるで父親に連れられる息子のようで、蓮介は今すぐにでも新しい馬を調達したい気分になった。
「男二人で乗るのは何とも言い難い気持ち悪さがあるな……」
それは松樹の方も同じなのか、乗馬して早々何かぼやいているが、蓮介は無視した。この状況に置いて、最も恥辱を感じるのは、どう考えても自分の方だと思った。
「都への行き方はご存知ですか。まずは街道に沿って東へ向かいます」
「今日中に都へつくだろうか」
「夕方にはつくと思いますよ。その分休みはありませんが」
もくもくとただ馬を走らせる。互いに乗馬に慣れない身なので、いつ舌を噛むか分かったものじゃなく、大人しく黙ったままだった。それに、何か世間話をするという気分でもなかった。
都へは日が沈むと同時に辿り着くことができた。厩舎に馬を留め、蓮介は急いだ様子で神殿へ向かう。その後ろを、黙って松樹もついて行く。
「どうしてついてくるんですか?」
「いや。お前はどこへ行くんだ?」
「もちろん神殿ですけど」
蓮介は早口に言う。松樹の心情は分からないでもなかったが、素直ではない彼に構っているほど、今の蓮介は暇ではなかった。
「……神殿って、見学もできるのか? 折角都に来たんだから、神殿を見学でも――」
「生憎ですが、神殿は一般の方に公開は行っていません」
「そ、そうか」
ちらほらと視線が泳いでいる。先に観念したのは蓮介の方だった。
「松樹さんも神殿へ行きたいと、そう言うんですね?」
「……ああ」
しばらくためらった後、松樹は頷いた。
「佐代を連れ戻しに?」
「…………」
村での時と同じ質問だ。しかし今度は松樹もはぐらかすようなことはしなかった。
「いや……連れ戻す、なんてほどではないが。会いたいとは思う。こんな終わり方じゃ嫌だろ」
思わずポカンと口を開けながら、蓮介は目の前の人を見つめた。
会いたいなどと、そんな言葉が彼の口から飛び出したことに何よりも驚いた。
「ま……あ、分かりました。仕方ないですね。そういうことなら神殿への侵入は明日ということで」
「侵入? 今日行くんじゃないのか?」
「俺一人なら堂々と門から入れますが、松樹さんも一緒だとそうもいきません。正規の経路ではなく、裏道から行かなくては」
考え込むように蓮介はぶつぶつ言った。
「ひとまず宿をとりましょう。明日の朝動き出します」
蓮介の提案に松樹は頷き、二人は手頃な宿に入った。神殿からも近く、安い宿だ。
宿の窓 からは、丁度神殿を見ることができた。
「あれが、神殿か……」
思わず松樹は呟く。地価の高い都に広々とそびえ立つその姿から、権力の高さがうかがえる。その権力は、王宮にも匹敵するとも言われている。
「佐代は、あそこでどんなふうに暮らしてたんだ? 不自由はしてなかったのか?」
「まあ……不自由はしていなかったと思いますが。でも滅多に外に出るのを許されなかったので、その点についてはよく不満を言ってましたけど」
「……あいつらしいな」
口元に笑みを浮かべる。しかしすぐにハッとすると、踵を返して寝台に向かった。宿に来るまでに適当に夕餉は済ませたので、今は適度に眠気がある。
「今日は早めに寝るか」
「あの……松樹さん」
そう言って寝台に潜り込もうとしたのを蓮介がとめる。
「なんだ?」
「あの……集会所でのことです。佐代に救われたというのは……どういうことですか?」
「また盗み聞きしてたのか?」
「あっ、いえ……!」
分かりやすく慌てふためく蓮介に、松樹は忍び笑いを漏らした。
「そういうわけでは……いえ、聞いていたのは事実ですが」
「いや、いい。気になったんだろ?」
「はい、正直なところ。最近佐代が安定して雨を降らせることができているので、松樹さんが彼女の支えになってくれていることは分かっているんですが……。その逆もあった、というのは不思議で」
言い難そうに蓮介は言葉を濁す。単なる好奇心で聞いていいことではないというのは分かっている。佐代や松樹、どちらも複雑な事情を抱えていることは、蓮介自身よく分かっているのだが、だからこそ、知っておきたいと思った。
「……正直、その一言は咄嗟に口から出ただけで、俺自身よく分かっていないんだが……」
寝台に腰かけ、松樹は手を組み合わせた。
「俺はあいつに、竹史の姿を重ねてたんだ。洪水で死んだ……俺の弟を」
一瞬息をつまらせ、しかし蓮介は頷いた。薄々、気づいてはいた。あの夜、佐代がこそこそ起き出した後、松樹もすぐ後を追う様に出て行って、対する蓮介も、彼らの後を追わずにはいられなかったあの時。二人の会話から、そのことには思い当たっていた。
「弟の服を着て、笑って、怒って、でも何でもないことにすぐ謝って。……本当、よく似てたんだ」
頬を引き攣らせながら松樹は笑う。自分への嘲笑にも見えた。
「でも……やっぱり、違うんだよな。佐代と竹史は、全然似てなかった」
松樹は顔を俯かせる。
その事実を突きつけられたのは、花流しの時だった。
始め、水面を流れていく花を眺めている佐代を見て、まるで竹史を見ているようだと思っていた。竹史が、今まさにそこに立っていると感じていた。
「これ――この花たち」
寂しげに呟く彼女の一言に、松樹の中ではかつての光景が鮮やかに再現された。
『この花――お父さんとお母さんの元に届けばいいね』
そう、竹史は呟いた。父は母は、竹史が幼い頃に亡くなった。彼自身も、もう会えないということは理解しているようだった。それでも、せめて自分が流したこの花だけは、両親の元へ届きますように。そういう意味だと思った。
「一体……どこへ向かっているんでしょうね」
しかし、目の前の少女から紡がれた言葉は、全く意を異なるものだった。
「目的地……あるんでしょうか」
迷子のような心細い声で紡ぐ彼女は、ここにはいない弟よりもむしろ自分と似ていて。両親の死を理解し、きちんと弔おうとしている竹史と、亡くなった者への理解が追い付かない自分。
「そう確信した時、ようやく竹史の死を実感できた。情けないことに、俺はずっと逃げていたんだな。竹史の死を俺のせいにすることで、現実から逃げていた」
松樹は長く息を吐き出した。
「少し、気が楽になったんだ。肩の荷が下りたような。自分が見えなくなるっていうのは怖いことだった」
その表情は、幾らか明るい。蓮介も釣られて笑みを浮かべた。
「……そんなことがあったんですね」
「ああ、あくまで俺自身の問題だがな」
蓮介は一旦は頷いたものの、その視線は下がる。
自分では、佐代と松樹の間に入ることはできないのだろうと薄らと理解した。だが、その上で新たに問いかける。
「松樹さんは、佐代をあの村に連れ戻すおつもりなんですか」
「……分からない」
先ほどまでの迷いのない語り口とは違い、今度は言葉を濁した。
「あいつの、意思次第かもしれない」
「……なるほど」
蓮介は目を閉じて考える。松樹や自分がどう動こうと、佐代が頷かなければ、何も変わることは無い。だが、それ以前に。
「――当事者だけの問題ではないんですけどね」
蓮介の口調は、いきなり堅苦しいものへと変わる。松樹も訝しげに顔を上げた。しかしすぐに納得のいった表情になった。
「……神殿か」
「はい。佐代の意向関係なしに、神殿は彼女を拘束しようとするでしょうね。でも、俺も佐代がそうしたいと望むなら、助力は惜しみませんが」
「何か手があるのか?」
「ないこともありません」
曖昧な表現だ。
蓮介は寝台に歩み寄り、腰かけた。
「もともと、神殿に巫女を拘束する力はありません。確かに、歴代の巫女も佐代自身も、金銭と引き換えに神殿に連れてこられました。でも契約内容自体は、巫女の雨を降らせる力を、神殿に捧げること。身柄を神殿に引き渡すこと自体は契約の中に入っていません」
「そうなると……巫女は、雨さえ降らせられれば、神殿でも外でもどこにいてもいい……ということか?」
「まあ端的に言うとそうなります。でも歴代の巫女が類にもれず皆神殿に連れてこられているのは、もともと彼女たち自身の力では雨を降らすことができなかった、とされているからです」
含みのある言い方に、松樹は片眉を上げた。
「巫女が雨を降らせるには、祈祷が必要です。祈祷の前には巫女自身禊を行ってもらうことが必要ですし、祈祷自体にも、神酒や供物を祭壇に捧げることが重要とされています。そう、思われていたんです」
言葉を切る。松樹は思い当たることがあったらしく、ハッと松樹を見た。蓮介はしっかりと頷いた。
「でも、佐代は祈祷無くして――正確には、彼女自身の祈りのみで雨を降らせることができる。この事実は、神殿に衝撃をもたらすでしょう」
「……ということは」
「巫女のみで雨を降らせることができると分かった今、実質神殿の庇護は必要ないんです。きちんと巫女自身が自身の義務を果たしてさえくれれば、巫女自身はどこにいてもいい、ということになるんです」
「そんなこと……できるのか?」
それでも松樹の口調は疑い深い。もとより、佐代や蓮介は別にしても、神殿の者にはあまり良い思いを抱いていなかった。
「理論的にはそうだとしても、神殿側がそれを容易に承諾するとは……」
「まあそうでしょうね。特に神官長あたりは、昔の伝統に固執する方ですし、きっとその事実を改ざんするかもしれません」
長く息を吐き出すと、蓮介は寝台に倒れこんだ。どう転ぶかもわからない未来の話ばかりで、疲れたのは事実だった。天井を見つめ、ぽつりと言う。
「ま、結局は佐代自身が頷かなければどうにもならないことなんですけど」
「……分かってる」
「分かってませんよ」
堅い口調で蓮介は反論した。
「外よりも、神殿は確実に居心地が良いんです。確かに外出やその他少々の制約はありますけど、食べ物も衣服も十分にありますし、周りには自分を世話してくれる者たちもいる。対して、一歩外に出れば、巫女だということで色眼鏡で見られたり、逆に恨みをぶつけられることもあるかもしれない。どちらが幸福なのかは、佐代自身にしか分からないことですけど」
「まるで、俺を試しているような言い方だな」
松樹は息を吐き出した。
「ええ? そんなつもりはありませんけど」
蓮介はにっこり笑っているが、瞳は笑っていない。彼のその姿からは、筋肉痛でヒーヒー言っていたあの頃の姿は微塵も想像がつかない。
「分かった。とにかく、今はあいつに会うことが先決だな」」
「あれ、選択は先延ばしにするんですか」
「いや、会ってから決める」
「つまり、先延ばしでは?」
「いや。会うことが最重要だということだ」
「もういいです」
蓮介は首を振って、もう話は終わりだという意思を伝えた。
「明日は早いです。今日はもう寝ましょう」
「そうだな」
まだ外は騒がしいが、二人は早々に消灯をする。各自思うことはあるものの、無理矢理自身の中に押し込めると、ぎゅっと目を瞑った。