29:それぞれの立場
村の端に位置する集会所では、珍しく招集が掛けられていた。村の成人した者ならば、誰もが参加することができる場だ。しかし、とはいっても、この集会所は、もともと話し合う場として使われることはほとんどなかった。村としては一致団結しているものの、村人たちは話し合うことを何よりも苦手としていて、窮屈な言葉に押し込められることを何よりも嫌うからだ。
しかし今日、その集会所に、所狭しと村人たちが詰めかけていた。強制ではなかった。彼らは自分の意志でここに集まっていた。
佐代達が去った後、雄造は周囲にいる者たちに宣言した。集会所に集合だ、と。
秩序のない発言を統制するためでもあった。もともと、神殿に憎しみや恨みを持つものは多い。たとえ、佐代がどんな人柄であったとしても、彼女が巫女であることに変わりはないのだから。
「…………」
しかし、招集されても依然として雄造は口を開かなかった。と同様に眼も固く閉じられ、声をかけることすら躊躇われた。と、その時集会所の扉が大きく開かれた。――松樹だった。
「遅れてすみません」
「いや」
ようやく雄造が口を開く。まるで、彼を待っていたかのようだ。いや、事実そうなのかもしれない。松樹こそが、巫女と家を同じくしていたのだから。そして、彼女と最も近しい存在。
「松樹。お前は知ってたのか」
唐突な言葉だ。が、呼びに来た志紀に、かいつまんで粗方の事情は聞いていたので、松樹は迷いなく頷いた。
「知ってました」
その声に、一斉にどよめきが起こった。怒りよりも驚きの方が大きかった。洪水で弟を亡くした松樹が、なぜ。
「ど……どういうことだよ」
耐え切れず、一人の男が口を開いた。
「あの子が巫女だなんて、俺は知らなかったぞ!」
土砂によって家を押し潰された者の一人、菊治だ。彼の身上を思うと、誰も何も言うことができない。
その時、松樹が顔を上げた。彼の身の上を思っても、言わずにはいられなかった。
「彼女は自らの力で雨を制御することができないようでした。洪水の時も……おそらくそうだったのかと」
「そんなの関係ねえだろうが! 制御できねえんならどうしてそんな奴を巫女にした!」
「それは……」
「お前は悔しくなかったのか! 目の前に敵がいたんだぞ! どうして責めなかったんだ!」
「俺は……彼女に、感謝しています。彼女に救われましたから」
菊治は言葉に窮した。その周囲にいる人々もだ。
松樹が、竹史のことでずっと苦しんでいたことは、ここにいる全員が気づいていた。彼が洪水で命を落としたことを、自分のせいだと責め続けていることにも。もちろん、自然災害で命を落としたことが松樹のせいになるなんてあるわけがなく、責めるのならむしろ元凶である巫女を、と周囲の人々は宥めた。しかし、どうしても松樹は頷くことは無かった。彼の、当事者の心境など、彼自身にしか分からないことだった。
しかしそんな彼が、以前より一層殻に閉じこもっていた彼が、救われたという。誰に? 洪水の元凶である、巫女に。
誰も、踏み入ることのできない領域があったのだ。佐代と松樹の、二人にしか分からないこと、二人しか入ってはならない場所。
松樹は唐突に立ち上がった。菊治はビクッと肩を揺らしたが、何も言わなかった。松樹は真っ直ぐ入口へ向かう。
「松樹」
「……はい」
ゆっくり振り向く。雄造は、彼の顔を真っ直ぐ見て、穏やかに言った。
「――一度。いつになってもいい、一度でもいいから、あの子にこちらに顔を出すように伝えてほしい。待ってると」
「――おい!」
菊治は思わず声を荒げたが、雄造は意に介さなかった。
「はい」
松樹も、静かに頷くと、外に出て行った。彼がどこに行ったかなど、明白だった。
「菊治」
雄造の目が、菊治へと向けられる。変わらず、その瞳は穏やかだった。
「村長は……中立の立場でなくてはいけないな。それは分かってるんだ。だから俺は村長を降りる。もともとそんな柄じゃなかったんだ。村を仕切るなんて」
長たりうる存在ならば、そう易々と感情を見せてはいけない。が、同時に村人の怒りを、悲しみを、我がごとのように感じなくてはならない。自分の感情とは別にしても、それが、何十人もの人をまとめる者の立場であるから。
「一介の村人としては言わせてくれ……。俺は……正直、巫女も神殿も、お高くとまってる奴ばっかだと思ってたよ。大雨を降らせて洪水を起こしたと思えば、今度はカラッと晴れやがる。神殿に抗議に行っても門前払いだし、俺たちで……遊んでると思ってた。どうせ、都や神殿なんて贅沢な場所で暮らしてるやつなんて、俺たちのことを屁とも思ってないってな」
雄造は表情を曇らせる。考え込むような表情だった。
「でも……それは、もしかしたら上辺だけのもんだったかもしれねえ。少なくともあの子は……違う。あの子の人柄は、鼻持ちならない神殿の奴らとは違うんじゃねえか?」
巫女を牛車に乗せ、この村に一泊したいと神殿の者がやって来た時、ふざけるなと頭に血が上った。洪水の被害への謝罪も弁明もなく、ただ一泊泊まりたいと。その言葉には、言外にお前たちには拒否権はない、という圧力をも感じた。きっと、彼らは盛大なもてなしを要求するのだろう。村の男たちは復興作業に汗を流している間、宿にて豪勢な食事を要求し、豪華な部屋を用意させ。
雄造は深く考える間もなくその一行を追い返した。菊治やその他村人の肩を持ったつもりはない。雄造自身、純粋に怒りを持っていた。だが、今はどうだろう。神殿の、高飛車な態度の神官たちには、相変わらず嫌悪しか抱かない。しかし。
今は、たった一人の少女の味方でいたいと、そう雄造は思うのだった。