23:三人の時間
何だか良い匂いがする。
普段神殿で良いものばかりを食べている蓮介だが、空腹に耐えかね、そっと目を開いた。その匂いは、普段の食事とは似ても似つかないほど質素なものだったが、どこか懐かしいような気もした。
ゆっくりと身を起こすと、こちらに背を向け、コトコトと鍋を似ている佐代の姿が目に入った。そうっと寝台から足を下ろし、立ってみるが、思いのほかふらつきはしない。蓮介は静かに佐代に近づいた。
「何、してるんだ?」
「――っ」
急な声かけに驚いたようで、佐代の肩が跳ねた。
「何だ……蓮介か。もう大丈夫なの?」
「ああ、寝たらすっきりした」
そう言って、佐代の手元を見る。神殿での料理を比べると、随分質素だが、それでも美味しそうに見えた。
「これは……」
「ああ、これ? お弁当作ってる」
「お弁当?」
「うん。松樹さんが今畑仕事してるから、そこに持って行くの」
「俺の分は?」
「そこに置いてあるでしょう?」
佐代は素っ気なく鍋を指さした。蓋を開けると、弱火でコトコト煮られた粥に目が留まる。
「佐代、料理できたんだ」
「志紀さんっていう人に教わったの」
「おいしそうだな」
「……ありがとう」
何を思ったのか、佐代はふふっと笑って礼を言った。しかしすぐにハッとすると、蓮介に向き直った。
「そういえば昨日蓮介が倒れた後志紀さんが来たんだけど。家に帰って来ないって随分心配してたよ? 村の外で倒れてたんだって?」
「あ……すっかり忘れてた」
佐代と話を付け、すぐに帰ってくるつもりだったのだが、思いのほか佐代が強情だったので、すっかり失念していた。
「後で……お礼を言いに行かないとな」
「そりゃそうだよ。熱があったのに無理にここに行くなんて強情張って。心配するのは当たり前」
言いながら、佐代はお弁当を風呂敷に包み終える。もう何回も行ってきた作業だ。手慣れた手つきになっていた。
「今から行くのか」
「そうだけど」
「俺も行くよ」
何となく予想していたが、想像通りか。
佐代は肩をすくめた。
「まだ寝てた方がいいよ。昨日の今日でしょう? そんなに早く体力が回復するわけがないじゃない」
「俺も行く」
「それに昼餉はどうするの。お弁当は松樹さんと私の分しかないよ。大人しく家で粥を食べていてよ」
「持って行く」
「…………」
なんて強情なんだ、と佐代は内心呆れたが、もう反対するのも面倒で、勝手にやらせることにした。
彼女としては、粥を鍋ごと持って行ったことを志紀に大笑いされたことはまだ記憶に新しかったので、正直なところ、そんな横暴は止めて欲しかったのだが、なんだかもう何もかもが面倒だった。
畑に辿り着くと、案の定、松樹は蓮介を見て嫌そうな顔をした。こんな所で病人が何をしている、とでも言いたげな表情だった。
「お疲れ様です」
「ああ。――こいつはどうしてここに?」
「本人が来たいって言い張ったので」
「粥を持って?」
「私が推奨したんじゃありません。この人が勝手に持ってきたんです」
佐代と松樹がしかめっ面で話をしている間、話の張本人は、目をキラキラさせて畑の方を見ていた。ずっと神殿暮らしで、外の世界が余程物珍しいらしい。松樹の畑は、芽が出ているものもあったが、また新たに開墾し始めているところもある。まだ耕し途中の後者に特に興味があるらしく、じーっと眺めていた。
「時間が勿体ないです。食べましょうか」
「そうだな」
蓮介の姿に毒気を抜かれ、佐代と松樹は木陰に移動した。蓮介も大人しく後をついてくる。
佐代は握り飯を口に運び、松樹はおかずをつつき、蓮介はかゆを食べ。
人数は二人から三人に増えたわけだが、相変わらず食事中の会話は少なかった。あっという間に全てを平らげ、食後にゆっくりと水を飲んだところで松樹は立ち上がった。
「夕方には帰る」
「はい。頑張ってください」
「ああ」
松樹が行ってしまったので、佐代の方はお弁当の片づけを始めた。蓮介はしばらく佐代と松樹を交互に見つめていたが、やがて徐に松樹の方へ歩いて行った。怪訝そうに松樹の鍬を持つ手が止まる。
「俺も手伝います」
「――は?」
唐突な申し出に、松樹は片眉を上げた。
「病人に手伝わせるほど、忙しい訳じゃない」
「寝床を貸していただく恩を返したいんです。手伝わせてください」
「……いや、でも熱が――」
「もう回復しました。俺、治りだけは早いんです」
「どうだか……」
珍しく松樹は困ったような顔を佐代に向けた。が、彼女の方もこうなってしまった蓮介の対処法など知らない。同じように苦笑を返した。
「――まあ、じゃあ手伝ってくれるか」
そう言う松樹の口調は、少々不機嫌そうだ。何となくこの先の事態が予想できるのだろう。それは佐代の方も同じだった。
「耕し方分かるか? あと鍬の使い方と」
「分かりません」
いっそ清々しい。
松樹は頭を抱えながらも、珍しく懇切丁寧に鍬の使い方を教えていった。病人に怪我でもされたら困ると思ったのだろう。対して蓮介の方はやる気に満ち溢れていた。何なのだろう、この空気の差は、と、木陰で微笑ましく佐代は彼らを見つめていた。
「ほら、じゃあやってみろ」
「はい」
思い切って振り上げられた鍬は、へなへなと畑に突き刺さる。もう一度持ち上げられる。へろへろと下ろされる。もう一度上がる。
「…………」
もうこの時点で蓮介の息は上がっている。蓮介は段々気の毒になってきた。
「佐代、子供用のを持って来てくれるか……?」
「はい。倉庫にありますよね」
「ああ、頼む」
二人の息はピッタリだった。半ば予想通りだったので、佐代の方も準備していた。すぐに以前自分も使ったことのある鍬を持ってくると、蓮介に渡した。彼は少々不機嫌そうだったが、この鍬の方が断然に使いやすいことが分かると、すぐに嬉々として畑を耕し始めた。
「何だか、いつかのお前を見ているようだな」
いつの間にか松樹が傍にきていた。佐代はムッと顔を顰める。
「失礼ですね。私、あんなへっぴり腰じゃありませんでしたよ。それに少なくとも私、農家の生まれですから」
佐代は胸を張る。男女の違いはあれば、農具を触ったかどうかの違いは大きいだろう。
「こんな……こんな感じでしょうか!?」
嬉々として蓮介は声を上げる。未だ五分の一も耕していなかった。
「……いや、まだまだだ。二人でやろう」
「はい」
蓮介は大した戦力……になるかどうかは分からないが、いないよりはマシだろうと松樹も仕事を再開する。
少しだけ、二人が何だか打ち解けたようだと、佐代は笑みを浮かべて畑を後にした。