22:帰るべき場所


「蓮介、どうして……」
 佐代の小さな声が、風邪に乗って消える。

「ここに――」
 更に何か言い募ろうとした佐代に、蓮介は強引に割って入った。彼女の細い腕を掴み、怒鳴るようにして言う。

「それはこっちの台詞だ! どうしてこんな所に? ここがどこか、知らない訳ないよな?」
「知ってる。知ってるけど、でもどうして……」
「佐代が崖から落ちて行方不明だって聞いた。今も神殿は総出でお前の捜索をしてる。それでも見つからないから、もう駄目だって思ってたら……。まさか、こんな所にいるとはな。盲点だった。千世村にいるなんて誰が考える……」

 急なことに、佐代の頭は混乱したままだ。びくりと一歩後ずさろうとしたが、蓮介が腕を離すことは無かった。

「佐代、すぐこの村から出るんだ」
「で……でも」
「ここは危ない。お前も知ってるだろ? この村は今一番俺たち神殿に対して憎悪を抱いている。お前が無事ってことなら、たぶんまだ巫女ってことは気づかれてないんだろうけど……。でもそれも時間の問題だ。もし気づかれたらどうするんだ? さらし者にされるぞ!」
「……っ」

 言葉もなく、佐代は蓮介を見つめる。考えたことがない訳ではない。が、唐突に頭に嫌な光景が浮かんだ。

 もし……もし、知らなかったとはいえ、巫女である佐代を匿ったとして松樹がひどい目に遭ってしまったら。
 村の人々は優しいことは知っている。短い間ではあったが、それは佐代が身を持って実感している。だが、それでもどうしようもなく先日の光景が浮かんでしまう。雄造が静かに怒りを堪えているさま。拳を強く握りながら、こちらを憎悪の目で睨みつける村人たち。

「――おい、そこで何してる」
 ハッとして二人は振り返った。その隙に、佐代は蓮介の手を振りほどく。いつものように眉間に皺を寄せている松樹を見て、佐代はホッと息をついた。

「松樹さん……」
「お前は誰だ?」
「俺……ですか?」

 佐代の声には反応せずに、松樹は真っ直ぐ蓮介を見ていた。

「俺……佐代の幼馴染です。こいつを迎えに来ました」
「――本当か?」

 彼の視線が、ようやく佐代を向く。佐代はゆっくり頷いた。

「でも……行かない」
 反射だった。その言葉に驚いたのは蓮介だった。

「お前……何言ってんだよ! か……帰りを待っている人だっているんだぞ」
「私、まだここにいる」

 矢継ぎ早に佐代は言った。視線は地面に向けたままだ。

「少なくとも、あと一週間。ここに都行きの馬車が到着するまで、ここにいる」
「なっ……!」

 言葉もなく、蓮介は口をパクパクさせた。その後、チラッと松樹に視線を向けると、佐代に顔を近づけて小さな声で言った。

「佐代! 分からないのか? この村は俺たちに敵意を持っている。もしお前が……巫女だってバレたら、大変なことに――」
「いいよ、それでも」

 力なく佐代は首を振った。

「蓮介には関係ないでしょう? 私がどうなろうと」
「う……」
「分かったらもう帰って。向こうの人たちには、しばらく内緒にしておいて。時が来たら、ちゃんと自分で帰るから」

 茫然としたように、蓮介は佐代を見た。彼女の瞳は、揺れることは無い。いつの間に、という言葉が浮かんだが、すぐに飲み込む。

「……分かった」
 代わりに声を絞り出した。

「でもせめて、この人の所で暮らすのは止めろ」
「……はあ?」

 思わず佐代は素っ頓狂な声を上げた。先ほどまでの深刻な話と、蓮介の言葉が、何の関係もないように思えたためだ。

「どういうこと?」
「いや……その」

 もごもごと蓮介は何やら言うが、声が小さすぎて全く聞こえない。

「何? 何言ってるのか聞こえないよ」
「だから……! あっ……と、この人にも、迷惑がかかるだろ?」
「…………」

 迷惑と言えば、迷惑だろう。
 でも佐代としては、やるべきことはやっているし、松樹にもあまり面倒はかけていないつもりだ。

 が、急に蓮介にそう言われると、佐代の方も心配になっていた。泊まるところのない佐代を、始めは同情で泊めてくれたのかもしれない。が、今は蓮介という共に帰るべき人と、実際にべきところがある。

 内心では、実は厄介者と思っているのでは……と、佐代は揺れる瞳で松樹を見上げた。一瞬目が合ったが、すぐに視線はそらされた。

 やはり、そうなのか。
 そう落胆しかけた佐代に、松樹は声を落とした。

「俺は……別に迷惑とは思っていない」
「え……」

 松樹の言葉に、佐代は目を見開いた。一瞬静かな時が流れていたが、すぐに蓮介が怒鳴るように反論した。

「でも! それに……若い男女が一緒に住むなんて、そんな破廉恥な……」
「破廉恥?」

 佐代と松樹、二人そろって素っ頓狂な声を上げた。今までの二人だけの生活に、似ても似つかない言葉だと思った。破廉恥……というよりは、隠居生活を営む老人夫婦、といった方が的確なような――。

「俺……も、ここに泊めてもらってもいいですか?」
「はあ!?」

 しかし蓮介の暴走は止まらない。怒りやらで興奮したのか、彼の顔は真っ赤だった。彼の言動に思いのほか動揺したのは松樹だった。

「な、何言ってるんだ。ここは狭いし、暑苦しいし……。三人も住めるわけがない」
「どうしてですか? 佐代は良くて俺は駄目なんですか? 何だかそれって差別……というよりも、不埒な感じが――」
「不埒!?」
「ちょっと蓮介! いい加減にして。失礼だよ」

 松樹にどんどん詰め寄る蓮介の手を、佐代はしっかり掴んで抑えた。その際、佐代は違和感を覚えた。やけに、熱い……?

「俺……引きませんからね。佐代を連れ戻すことも、佐代があなたと一緒に暮らすことも。変な……変な噂になっても困るし、田舎とは違って、都はそういう噂に敏感なんです。もし佐代が都に戻って、心無い噂を立てられたら――」
「ああー! もういい! 泊まっていけ!」

 先に根を上げたのは松樹の方だった。何もかもが面倒くさくなったのか、彼の言動はやけになっている様に見えた。

「ありがとうございます。お言葉に甘えますね」
 にこりと笑うと、蓮介はそのままフラフラと掘立小屋へと向かった。前言撤回される前に、居座ってやろうとの魂胆なのかもしれない。

「あいつ……滅茶苦茶なやつだな」
「……すみません。いつもはもっと静かなんですけど……」

 何か、おかしいような。
 そう佐代が思った時、目の前で蓮介の身体がゆっくり地面へ傾いて行った。