19:踊り


 村の広場では、大きなたき火が行われていた。その周りを囲むように男女が連なり、曲に合わせて体を揺らしたりくるくる回ったり、存分に楽しむようにして踊っていた。その集団から少し離れたところには、大きな机が立ち並び、その上には数え切れないほどの料理が所狭しと置かれている。

 華やかな光景に、思わず佐代は目を細めた。佐代の村でも、このような祭りは時々あったが、ふとその時のことを思い出した。
 両親が踊っているのを見たり、普段は食べられないものを食べたり。

 しかし目の前の光景が華やかであればあるほど、急に佐代は心細くなってきた。知り合いがいない街で、一人放り出されたような、そんな感覚だ。

 佐代はきょろきょろと見渡しながら歩き始めた。
 焚火の周りにいるのはほとんどが佐代と同い年ほどの若者ばかりだ。料理の周りには、年配たちが料理を摘まんでいる。

 あの松樹なら、この祭りの最中、どこにいるだろうか。
 そもそも、と佐代は先ほどの志紀の言葉を思い出してみる。

 志紀は、今日の祭りが若者たちが主役、といった。が、佐代としては、どうしても松樹が若者には見えない。確かに声は若いが、あの無精髭と伸びきった髪、よれよれの服のせいで、ずっと老けて見える。

 一体、松樹さんは何歳くらいなんだろう。
 佐代は深く考え込みながら歩いていた。視線も、いつの間にか下へ向けられる。幸いなことに、誰にもぶつかることは無かったが、変わりに声をかけられた。

「――おい」
 が、熟考する佐代の耳には入らない。

「無視か」
 肩を掴まれて漸く佐代はハッとした。そして反射的に振り返って、固まる。

「松樹、さん……?」
 そう問うてはいるものの、それでも佐代の目は半信半疑だ。

 上から下まで、目の前の男性を観察する。
 清潔そうに短く切られた茶色の髪に、よく日焼けした肌、逞しい腕。彼が着こむのは、佐代が着ている民族衣装に対となるよう、同じくらい長い下衣に、腰には複雑な文様の組みひもが結わえられていた。

 佐代は再度彼の顔をじっくりと見つめる。

 何より、あの無精ひげが無い。ご飯を食べる度に、何だか食べにくそうだなあと呑気に考えていた、あの髭が。綺麗に剃られていた。それが本心かそうでないかは、彼の表情が如実に物語っていたが、それでも髭が無くなり、髪も短く整えられた今の姿は、以前よりも年相応に見えた。――彼が何歳かは分からないが、少なくとも佐代が考えていたよりも十は若いのではないか。

「見違え……ましたね。どうしたんですか、その恰好は」
「……雄造さんにやられた」

 松樹は嫌そうに吐き捨てた。以前と変わらぬ言動に、佐代はどこかホッとする。

「でも……似合ってますよ?」
「いつもの恰好じゃないと落ち着かない」
「どうしていつもは……あんな恰好を? 髭も剃らずに」

 理由は何となく分かっていたが、聞かずにはいられなかった。

「……分かるだろ。普通に面倒くさかったんだ。どうして毎日剃らないといけないんだ」

 ああ、ご名答。
 佐代はクスリと笑い声を上げた。

 いつもの恰好ではないことに、松樹は苛立っているようだが、むしろ感謝しなくてはならないのではないか。人間、見た目と清潔さが大切だ。いつもの松樹の格好だと、浮浪人と見まがわれても仕様がない。

「おーい、そこの若いもん。さっさと踊りに行かんかい。折角の祭りじゃろうに」
 そう声を上げるのは、顔を真っ赤に染めている老人である。酒盛りでもしているのか、料理の席を陣取りわいわいやっている。

 料理は年配たち、そして踊りは若者、と位置づけられているようだ。

「……絶対に踊りたくないな」
 松樹は本気で嫌そうに呟いた。佐代も笑顔で同意する。

「私も。あんまり踊り上手くないので」
「意外だな。女はああいうの好きそうだが」
「踊る機会が少なかったんです。私の村でも、収穫祭がありました。もちろん男女で踊ったりするのが恒例なんですけど、その時私くらいの歳の子はみんな思春期で。異性を意識しちゃって、誰も踊りに誘おうとしないんです。私もその例にもれず、あんまり踊ったことがなくて」

 そして、思春期から花開くころに、神殿に連れていかれた。
 二人の意見が同じだったので、その足は、自然料理へと向けられる。が、執念深い老人の野次が再び飛ぶ。

「だーかーら! さっさと踊りに行かんかいと言ってるだろ! この料理はわしらのもんじゃ。若いもんが食べてばかりおったら太るぞ! ほら、そこ! そこ開けてやれ! あいつらが踊るそうだぞ」
「え」

 佐代と松樹は思わず閉口する。どうしてそういう話になったのだろう。

 酔っ払った老人の声は、思いのほか大きく、気を利かせた他の若者たちが、ササーッと二人のために場所を開けた。思わず二人、顔を引き攣らせて互いを見やる。

「――私、嫌です」
「俺も嫌だ」
「ほら! 曲曲! さっさと流してやらんか!」

 お節介な老人の声が再び響く。楽士たちがまた演奏を始めた。先ほどとは違い、緩やかな曲だ。慌てて二人は顔を見合わせる。

「どっ、どうしましょう」
「どっ、どうしようと言われても、ここから逃げられる気が――」
「あーあ! わしらの酒のつまみにでもなってくれんかのお! 若いもんたちが目の前でたのしそーに踊ってくれたら、わしらも楽しいと言うもんじゃがなあ!」
「…………」

 圧力が、ひどい。言葉の圧力が。

「――手を」
 先に観念したのは佐代の方だ。顔を俯かせたまま、松樹の方に手を上げる。

「――ああ」
 ぎこちなく手を取り合う。佐代の手は白く柔らかく、松樹の手は日焼けして固い。対照的な手だった。

 穏やかな曲調に合わせて、二人は何となく踊り始めた。踊り――といっても、ただ単に身体を揺らしているだけだ。他の者たちは、楽しそうに談笑しながら見事な足さばきをしているというのに、この差は何なのか。

「あの……隅っこの方へ行きません?」
「……そうだな」

 自意識過剰かもしれないが、どうも観客たちの視線が痛いような気がしてならない。焚火に近寄れば近寄るほど周囲が明るくなるので、その分人からも見られやすい。反対に、焚火の火が届かない場所なら、踊りが多少下手でも何とかなる。観客がいないのだから。

 そうと決めた二人の息は抜群だった。もはや踊りなんてものは頭から綺麗さっぱり消え去り、ただひたすらに、真っ直ぐ灯の届かぬ暗闇を目指した。彼らのそれは踊りなんてものではない。ただ手を取り合ったままの行進だ。しかも横向きの。

 佐代と松樹の行進は、ある意味で大変目立っていたが、幸か不幸か、二人がそれに気づくことは無かった。

「あ……ここなら落ち着けそうですね。人もあまり居ませんし」
「だな。疲れた」

 周りの視線などお構いなしに、地面に松樹は座り込んだ。大したことはしていないと思うが、彼はひどくお疲れのようである。

「お水、取ってきましょうか?」
「あ……いやいい。俺も行く。腹減ったんだ。料理も取って来よう」
「そうですね」

 佐代は料理の方へ歩き出して――はたと止まった。彼女の視線の先には、酒盛りをしている老人たちの姿が。

「あっちの方は……行かない方がいいかもしれませんね」
「そうだな。また踊れとか言われそうだ」

 老人たちの丁度反対側は、若年層たちの憩いの場となっているようだ。踊りに疲れた若者たちや、料理の手配をして疲れた女性たちが談笑している。二人はささっとその輪の中に潜り込んだ。

「料理……どれを頂いてもいいんですか?」
「ああ、好きなだけとれるぞ」

 松樹は頷き、端から順々に料理を持って行った。その手付きは手慣れたものだ。佐代もつばを飲み込むと、彼の隣に並び、品定めを始めた。

 が、すぐに注意が逸れる。どうにも、松樹の方が気になって仕方が無かった。

 佐代はチラッと松樹の方を盗み見る。正確には、彼が持っている皿の方だ。そこに、なんの料理がどれだけ乗っているのか。
 結局、松樹の好物は分からないままだった。村の女性たちは天ぷらが好きなのでは、と予想していたが、それは確か松樹の弟の好物――。

 ちくりと佐代の胸が痛む。本当なら、彼の弟――竹史だって、今頃このお祭りを、兄と一緒に楽しんでいたのかもしれないのに。

「おい、腹減ってないのか?」
「あ……」

 目の前に松樹の顔があった。どこか心配そうにも見える。佐代は慌てて首を振った。そしてハッとする。

「あっ……お腹は空いてますけど、その」
「どっちなんだよ。ほら、後ろがつかえてるから早く行くぞ」
「はい」

 佐代も大人しく料理を皿に載せ始めた。が、視線は松樹の皿へと向いている。が、大した発見もない。彼の皿には、全ての料理が均等に盛られていた。

「…………」
 本当に、彼には好き嫌いが全くないのかもしれない。好物もなければ、苦手な物もない。不思議な気もしたが、彼ならばあり得そうだと佐代が肩を落とした、その矢先。

 松樹の箸が、天ぷらの所で止まった。追加されたばかりなのか、大皿の上にはたくさんの天ぷらがてかてかと光っていた。その上で、彼の箸が戸惑うように停止している。

「あの――」
 声をかけようとした瞬間、松樹の箸は再び動き出した。今度は迷うことなく、天ぷらを三つ、皿の上に載せると隣の料理に移って行った。佐代はその様を唖然と見送る。

 天ぷら……三つも。
 それは、先ほどまでの松樹の行動とは似ても似つかないものだ。彼は先ほどから、全ての料理を少量ほどしか皿に載せていないのだから。

 これは……好物と思っても良いのだろうか。
 佐代はしばらくそう思案していたが、やがて料理の終わりで松樹がお預けを食らったままこちらを睨んでいたので、慌てて自分の分の料理を皿に盛った。意外なことに、松樹は佐代のことを待っていてくれるらしい。

「すみません、お待たせしました」
「……いや。また暗がりに戻るか」
「そうですね。その方が落ち着きますし」

 これがこの祭りの主役、若者同士の会話だろうか。他の若者たちは、普段離さないような人々とも笑みを交わし、たくさんの踊りを踊っているというのに、なんたる惨状だ。

 この場に先の老人がいたならば、粛々と説教を食らわせただろうが、二人にとって嬉しいことに、老人たちは向こうの方の席で酒に酔いつぶれていた。二人は誰に咎められることなく、暗がりへと避難することができた。

 二人そろって地面に腰を下ろし、膝に皿を乗せる。もう少し人の多い所に行けば、椅子も用意されているが、何となく、地面に座りたい気分だった。

「…………」
 料理は文句なしに美味しかった。が、なぜだか二人は、特に会話を交わすことなく、思い思いに思考に浸りながら、静かに食事を終えた。