17:女たちの語り
昨日の山菜取りの収穫で、握り飯と一緒に村の男たちに差し入れをすることになった。女たちはいくつかの家に集まってそれぞれ食料を持ち寄ってお弁当作りを始めた。佐代と志紀達は山菜の天ぷら担当だ。この頃にはもうすっかり佐代は、包丁さばきも慣れてきたものだが、長年料理一筋で生活してきた女たちにはもちろん適うわけがなく、てきぱきと動く彼女たちに、どことなく申し訳なさを味わいながらも、やれる仕事をやっていった。
「あの……」
女たちの会話が途切れたのを見計らって、佐代は志紀に話しかけた。
「松樹さん……の、好物って、何かあったりするんですか?」
「好物?」
そう聞き返す彼女の声は、ひどく意外そうだった。顎に手を当て、実際にうーんと唸って悩む。
「そういえば……何だろうね。考えたことないわ。あの子、何でもよく食べるし」
「そうだねえ……。偏食してるのが思い浮かばないし」
「天ぷら……とか」
不意に一人の女性が声を上げた。言葉にはならないが、彼女の声に、ああ……と納得の唸り声が上がった。
「そういえば……天ぷらを食べてる時のあの子、嬉しそうだったような――」
「でもそれはさ、竹史の好物だったから嬉しかっただけじゃ?」
「あ……確かに。いやでも、それでも美味しそうに食べてたような……」
「でもそれがいったいどうしたんだい?」
「へ?」
唐突に矛先が佐代に向く。佐代から言い出したことなのだから、彼女に話が戻るのは当然のことなのだが、いろいろと思考を巡らせていて、頭が一瞬追いつかなかった。
「あ……っと、ふと、気になってしまって。いつも無言で食べていらっしゃるので、好きな物とか、嫌いなものはあるのかなー……と」
言葉が尻すぼみに消えていく。当然のことだった。女たちの顔が、妙に好色なものへと変わっていったのだから。
「ははーん、なるほどね」
「へー、そういうことか」
何か、途轍もない誤解をされた気がする。しかし佐代が弁解する間もなく、志紀がバンッと手を打った。
「じゃあ今回の天ぷらは、佐代に任せるとするか」
「さんせーい」
「え……ええっ!」
佐代は思わず驚きの声を上げた。
「そんな……無理ですよ! 私、志紀さんたちみたいに上手にはできませんし――」
「誰にでも最初はあるって。ね、松樹のためにも、天ぷら作ってあげなよ」
「別に松樹さんだけのためでは――」
「ああん、もう! ぐだぐだ言うんじゃないの!」
「ええ……」
だらだら続く会話にうんざりしたのか、志紀は強引に会話を終わらせた。
「ほらほらー、早くやんないと時間になっちまうからね。ちゃきちゃき準備する!」
「はい……」
時を経るごとに、志紀の料理指南は、厳しくなっていった。
*****
「お疲れ! 弁当だよ」
「おっ、待ってました!」
案の定、佐代達がお弁当を持って行くと、男たちは諸手を上げて喜んだ。ここまで喜ばれると、作り手も作ったかいがあるというもの。女性陣は終始ニコニコしていた。
「おい! 休憩にしようぜ!」
そんな声が上がった。途端、わらわらと一斉に男たちが押し寄せてきた。お腹が減っているのか、彼らには遠慮というものが無かった。どんどん輪の外に追い出されていく志紀はついに金切り声をあげる。
「もう! 本当食べ物のことになると意地汚いんだから、うちの男どもは! 佐代!」
「はっ、はい!」
突然自分に矛先が向けられたので、佐代は思わず飛び上がっだ。そんな彼女に構うことなく、雄造は盆に握り飯やら水、おひたし、天ぷらなどを乗せていく。
「佐代、この調子じゃああたしらもゆっくり食べてる暇ないと思うわ。あんた、これ松樹と一緒に食べてきな」
「え、でも――」
「ぶつぶつ言わないの! 一人一人食べて行かないと収拾つかないでしょうが! あたしら女たちはこっちで食べてるから、その……ほら、木陰でも休んで食べな」
「はい……」
半ば追い出されるようにして佐代は輪の外に出た。きょろきょろと見回すが、背の高い男たちに埋もれ、なかなか松樹が見つからない。
「おっと、ごめんよ」
「あ……すみません」
人ごみに押しのけられ、よろける佐代の肩を、しっかりとつかむ者がいた。
「危ないな」
「あ……すみません」
つい反射的に謝ると、振り返って佐代は固まった。松樹だった。
「お、お疲れ様です」
「ああ」
「これ、どうぞ」
「……悪いな」
弁当を受け取ると、人込みを避け、松樹は一人で居心地の良い木陰へと向かった。そんな彼を見て、佐代は躊躇う。
我先にと握り飯を奪い合う男たちと、仏頂面でお弁当を掻き込む松樹。
佐代は大人しく松樹の隣に座った。
「…………」
「…………」
気まずいのは、分かっていた。佐代は黙ってお弁当を膝に置き、パクつき始めた。
いつもは二人っきりでお弁当を食べているわけだが、その時以上に、今は居心地が悪い。周囲の目があるせいなのか、いつも以上に二人でいることを意識してしまうような気がした。
「おっ? 愛妻弁当か?」
こうして茶化しに来る男たちもいるわけだ。
松樹はため息をついた。酒を呑んでいるわけでもないだろうに、男が赤ら顔で松樹のことを小突くせいだ。松樹は心底嫌そうな表情をしていた。
「憎い奴め!」
しかしそんな彼の様子に男が気づく気配はない。いつの間にか、彼に便乗してわらわらと男たちが集まってきた。彼らも、久しぶりに顔を見せた松樹をからかいたくてしようがないらしい。
「おーい、今夜は久しぶりに飲もうぜ。お前最近全然顔見せないからなあ」
「いや、久しぶりも何も、そもそもこいつはそんなに飲む性質じゃなかっただろ」
「あれ? そうだっけか?」
「松樹を口実に単にお前が飲みたいだけじゃねえかよ」
「ははっ、バレちまったかー」
悪びれる様子もなく、男は豪快に笑った。その潔さに、いつしか松樹も笑みがこぼれていた。が、結局押しの強い男たちの誘いを断ることができなかったのか、強引に男たちの輪の中へ連れていかれていた。
佐代は苦笑してその様を眺めていたが、志紀達女性陣に、今度は佐代の方が手招きされ、彼女たちの輪の中に入った。こちらは男性陣と違って和やかなお昼時といった雰囲気だ。握り飯を口に運ぶ動作も、男たちと違ってがめつさがない。
「本当……あいつらは騒がしいったらありゃしないよ」
「静かに物を食べることができないのかねえ」
「子供たちよりもうるさいんじゃない?」
「言えてるー」
のんびりとした笑い声が響く。しかし、それを上回るほどの男性陣のはしゃぎっぷり。向こうの方では、羽目を外した様子の雄造に、松樹が肩を組まされていた。眉間には皺が寄っていたが、どこか嬉しそうに見えるのは気のせいか。
「松樹の笑顔、久しぶりに見た気がする……」
誰かがポツリと呟いた。その声に、水を打ったように静かになった。佐代は戸惑う。が、そんな彼女を他所に、話はどんどん続いていく。
「あんなことが……あったからね」
「本当……あたしも自分の息子の様に可愛がっていたから胸が痛いよ」
「まだ子供だったのに」
「苦しかったろうに」
「…………」
何が、あったんだろう。
聞きたいのに、声が出なかった。
そんな彼女を見かねたように、志紀がこっそり顔を近づけた。彼女が話す内容に、佐代は戦慄した。
「松樹ね、洪水で弟を亡くしてるんだ」
「でもその時に家も流されちまって……」
「川の近くに住んでいたのが悔やまれるね」
「でも仕方ないさ。あそこは親と一緒に暮らしていたところなんだから」
「しかし結局その家も流されちまって」
「……やりきれないよ、まったく」
「…………」
女たちは黙り込んだ。その耳に、男たちにからかわれる松樹の声が入ってくる。同時にため息をついた。
「あたし子供が作れない体質でさ」
不意に、志紀が再び話し始めた。今度も佐代に向けてだったが、女たちはみな、耳を澄ませた。
「まあ、それを承知で旦那が受け入れてくれたんだけど。でもあの人、あれでいて子供が好きだろ? 松樹の弟――竹史のことも、随分可愛がってたんだよ」
「ああ、懐かしいね。よく松樹と雄造の間でにらみ合いが勃発してたっけ」
「そうそう。というより、一方的にうちの旦那が松樹を敵視していただけなんだけどね。自分に懐いている竹史が、兄の松樹といる時はもっと楽しそうだって。松樹にして見たらいい迷惑だよねえ」
思わず笑い声が上がる。
そして各々遠い目をする。まだそう時間が経っていないせいか、単に受け入れたくないのか。
女たちは、竹史が亡くなったことを、未だ実感できずにいた。
「本当、あたし佐代ちゃんを初めて見た時、竹史が帰って来たと思ったわ」
「あ、私も。佐代ちゃんが着てるの、確か竹史君がよく着てた服よね?」
「懐かしいわ……。背丈も、確か今の佐代ちゃんくらい……」
皆の視線が、自然と佐代に集まる。佐代は顔を俯かせた。そんな彼女の頭に、隣の志紀がボンと手を乗せる。
「佐代が来てくれてよかったよ。松樹にも、ほんの少しだけ元気が戻って来たみたいだしさ」
「……は、い」
佐代はぎこちなく頷く。彼女たちの声が、佐代にとってはひどく遠くから聞こえてくるような気がした。