10:お弁当と和え物


 戦々恐々としながらも、佐代は炊事を頑張っていた。いつ捕ったのかは分からないが、いつの間にか、桶の中に二匹分の魚が浮かんでいたので、有り難くそれを弁当用にそれを使うことにした。 

 凝った料理はできるわけもないので、取りあえず魚二匹をを串刺しにし、焦げ目がつくまでかまどの火で炙っておいた。佐代の家は囲炉裏を使っていたので、かまどの使い方はよく分からなかったが、何となく使っているうちに慣れることができた。

 一度上手く料理ができると、少々調子に乗っても仕方がないというもの。
 今度は味噌汁でも作ろうと鍋を取り出した。水を入れ、かまどの火にかける。その間に、今度はきっちり米をとぎ、釜に入れ、蓋をした。

 昨日は生米から作ったが、今日はきちんと炊くつもりだった。が、しばらくして蓋を開けてみても、なかなか米が炊ける様子はない。味噌汁の方も、水をたくさん入れたせいか、なかなか沸騰する様子を見せなかったので、佐代はそのまま外に出て、洗濯物を干しに行った。今日は晴天なので、早く乾くだろう。不器用に洗濯物に棒を通しながら、一枚一枚干していく。

 佐代は相変わらず男物の服を借りたままだった。もともと彼女が着ていた服は、袖も裾も長く、そのせいで動きずらかったので、佐代の申し出に、松樹が渋々頷いてくれた。

 晴天の中、佐代は空を見上げながら、今日の昼餉を思う。今回は、張り切りすぎて、少々手の込んだ料理が多い。失敗しなければ、と思いながらも、佐代はふと思い当たる。

 そういえば、料理の途中だったっけ――。

「あああぁっ!」
 唐突に甲高い声が響き渡った。佐代はハッとして顔を上げる。家の中から聞こえたような気がする。佐代は洗濯物を放り出して、慌てて家に駆けこんだ。

「あぶな……あぶなっ!」
 かまどの前に一人の女性が立っていた。慌てた様にあっちこっちへ歩き回りながら何やら作業をしている。佐代がポカンとその様を見ていると、彼女もその気配に気づいたのか、こちらへ顔を向ける。

 しばし、視線が交じり合った。女性の方は少し驚いたようだが、すぐにその視線が鋭くなった。

「あんた!」
「はっ、はい!」
「あんた、火をかけっぱなしにしたまま離れたら危ないじゃないか! そんなことも分からないのかい!?」
「す、すみません……」

 すっかり失念していた。
 佐代は思わず縮こまる。

「ああー、こりゃひどい。掃除が大変だね」
 女性の声は、佐代を攻めている様にも聞こえたが、一方でどことなく嬉しそうにも聞こえた。

「この魚、内臓は取ってないみたいだね」
「内臓……?」
「内臓は取ってから焼くのさ。それにこれ、一体どこで焼いたんだい?」
「かまどの……火で炙って」
「ああ、なるほどね。でも七輪があるはずだよ。そこで焼いた方が早い。しっかり焼けるしね。松樹の奴、料理が面倒だからって、物置に仕舞ってあるだろうけど」

 包丁片手に、女性は慣れた手つきで魚を捌いていく。佐代は呆気にとられながらそれをじっと見ていた。

「ま、焼いた後でも内臓は取れるんだけどね。ほら」
「すごい……。これが内臓ですか?」
「ああ、害があるかもしれないから、念のため全部取っておいた方が良いね。……でもこれ、ちょっと焼きが足りないみたいだね。もう少し焼くか」

 しばらくどこかへ消えた、と思ったら、女性は両手に何かを持って現れた。

「これが七輪だよ。魚を焼くときはこれを使うといい。――魚、二匹あるんだね。松樹の分もあるのかい?」
「は、はい。お弁当用に、と思って……」
「お弁当……ね。ふっ」
「はい……?」

 不意に女性が噴出したので、佐代は不思議そうに首をかしげた。しかし女性の方はそれに構うことは無い。

「でもお弁当に味噌汁はどうかと思うよ……。そもそもどうやって持って行くつもりだい?」
「お鍋に、入れて……」
「お鍋!?」

 拍子抜けしたような声で、女性が聞き返した。何か不味かったか、と佐代は慌てる。

「な、何かいけなかったんでしょうか……?」
「いや、悪いことは無いけども、でもお鍋……ねえ。ふふっ」

 また噴出された。佐代は更に縮こまる。

「今日作ったのが初めて? 昨日は?」
「……昨日は、お粥を鍋に入れて……」
「お粥!?」

 もう耐えきれない、といった様子で女性は笑い出した。笑われている当の本人、佐代の方は、何がおかしいのかさっぱり分からないので、置いてけぼりだ。しばらく女性の笑い声だけだ木霊する。

「あー笑った笑った。あんた、面白い子だね」
「はあ……」

 生理的な涙をぬぐいながら女性はそんなことを言った。佐代はさっぱり状況が分からず、首を傾げたままだ。

「あたしは志紀。あんたは?」
「あ……私は佐代です」

 慌てて深く頭を下げる。

「先ほどはすみません」
「いやいや、見たところ、料理初めてなんだろ? まー、仕方ないっちゃ仕方ないけど。これから気を付けるんだよ? 特に火をかけてる時は」
「はい」

 佐代はしっかりと頷く。寝床を提供してもらっている身で、火事を起こすわけにもいかない。

「あ、そういえばお弁当作ってるんだったね。これから松樹の所に行くの?」
「はい。そのつもりです」
「あー、ならこれ持って行きな」

 そう言って志紀が差し出したのは、風呂敷包みだった。戸惑いながらも佐代は受け取った。

「中にちょっとした惣菜が入ってるからさ。昼でも夜でも、好きな時に二人で食べな」
「あ、ありがとうございます……!」

 感激して、再び佐代は頭を下げた。料理が苦手だが、一品でもきちんとした品があると言うのは心強いものだ。

「でもなんか心配だねえ……。あんた、これからも料理するんだろ? お弁当作ったり」
「はい」
「うーん……」

 言いながら、志紀は掘立小屋の惨状を見やる。
 料理をしながら同時に掃除をする、という概念が無いのか、使った器具はあちらこちらに置いたままだし、みそ汁に入れたかったのか、ネギの輪切りは全てが繋がっている。魚は半焼けだったし、そもそも初心者であるにもかかわらず、料理中にそこから離れると言う禁忌を犯してもいる。

 しばらく唸り声を上げたのち、志紀は唐突に気合の声を入れた。彼女の様子をじっと窺っていた佐代は仰天する。

「あんた、料理が上手くなりたい?」
「え……?」
「料理。これからも作るんだろ?」

 どこか、志紀の瞳は期待が込められているような気がする。でもそれ以上に、佐代自身も、頷かないわけがなかった。

「それは……もちろん。おいしい料理を作りたいですけど……」
「なら話は簡単だ。あたしが料理を教えてあげるよ」
「え……?」

 戸惑う佐代を他所に、志紀は一人でに話し始める。

「明日も来てあげるって言ってんだ。ああ、いや、明日は朝は用事があったんだ……」

 何やらぶつぶつと志紀は言う。

「明日、昼。あんたにみっちり教えてあげるよ。たった半日でどうこうなるとは思わないけどね。とりあえずやって見なきゃ分からないだろう。それでもなお料理教えてほしいって言うなら、その時に言いな。今後もずっと教えてやるさ」
「はあ……」
「明日の昼は……そうだね、あたしは見てやることはできないけど、料理中は決してここから離れるんじゃないよ?」
「は、はい」
「あと、上手くなるまで包丁も使わないこと。しばらくは握り飯と……まあ、鍋に味噌汁でもいいでしょ」

 ニヤニヤ笑いながら志紀は頷いた。何故笑っているのかは分からないが、佐代もおずおずと頷く。

「じゃ、あたしはもう行くよ。旦那が腹を空かせて待ってるんでね」
 ニカッと笑うと、志紀は慌ただしく去って行った。後に残されるは、呆気にとられた佐代と、何とも美味しそうな仄かな香りを漂わせている風呂敷だけ。

「あ……お弁当持って行かないと」
 正気に戻ると、佐代はすぐにお弁当の準備を始めた。洗濯物は途中だが、帰ってやればいいだろう。

 志紀のおかげで、ずいぶんとみられるお弁当となったが、松樹は何と言うだろうか。
 昨日のように黙ってお弁当――鍋を差し出すと、彼はこれまた黙ってずずっと味噌汁をすすった。その後、米。合間に魚にも齧り付く。佐代が風呂敷を解き、美味しそうな山菜のあえ物を差し出してやれば、すぐに箸を伸ばした。

 無言でむしゃむしゃ食べる。その勢いは傍目から見ていっそ清々しいほどだ。

 今日はちゃんと飲み水として、鍋に水をたくさん入れてきた。竹筒も持ってきたのだが、わざわざ入れるのが面倒なのか、直接飲んでいる。最後の一滴まで飲み干すと、松樹はくいっと口元を拭った。そして一言。

「これ、旨かったな」
 ぼそっと呟かれた言葉に、佐代は固まる。彼が指さしたのは、もちろん志紀のあえ物だ。

「……それ、私が作ったんじゃないです。志紀さんがおすそ分けだって――」」
「知ってる」

 ぐう、と悔しそうに佐代は震えた。どうせ全てを承知なのだろう。志紀の様子からすると、おすそ分けをしに来たのは今回が初めてではないようだ。ならば、当然彼女の味も知っていることだし、この美味しそうな料理を佐代が作れるわけもないことを知っていたのだろう。

 本心で褒めたのか、それとも佐代に対する嫌味で褒めたのか。
 そう疑う自分自身に嫌気がさし、佐代は明日頑張ろうと心に誓った。