05:魔女見習い、弁解する
メアリはどこかに隠れようか、と牢屋の中を素早く見渡した。しかし残念、こんな牢屋に何かある方がおかしい。ただの汚らしいタオルケットしかなかった。
「あ……はは、殿下とジェイルさん……お久しぶりですね」
仕方ないので、メアリは乾いた笑いを浮かべる。
「いや……久しぶりってか、数日前……いや、今はそんなこと言ってる場合じゃないな」
真っ直ぐな瞳でメアリを見据える。
「お前、何やらかしたんだ」
「直球!? わたしが何かした前提ですか!? 少しは信じてくれたって――」
「当たり前だ! 何もやらかしてないやつが牢獄に入るわけないだろ!」
「それがあるんですって! 現に! わたしが! 何もやってないのに入れられちゃったんです!」
「どーだか。また雨を降らせるとか大口叩いておいて、実はただの水まき程度だったり、風を吹かせるとか言って嵐を出したりしたんじゃないのか?」
「酷いです酷いです! ぜーんぶ殿下のためにやったことなのに、そんな風に言われるとか理不尽すぎますよぉ!」
「あの……お二方」
ジェイルはコホンと咳払いをし、二人の会話を中断させる。仲が良いのは大変よろしいが、時と場所を考えてほしかった。
「とりあえず、場所を変えませんか?」
牢屋内は締め切られているので、先ほどから声が反響してひどくうるさい。牢屋に閉じ込められている他の囚人たちも、何だなんだと格子から顔をのぞかせていた。
「仕方ない、出るか」
アベルがぽつりと呟く。
その中に、わたしは入っているのでしょうか。
メアリは上目づかいで見上げた。それを見たアベルは、ニタァッと、本当に意地の悪そうな顔を向ける。
「メアリ。この俺が、出してやっても良いんだが?」
「……っ!」
何ともその表情が腹立つ。しかし、彼に今出してもらわないと一生このまま出られない気がする。だけども腹立つ!
「い……いいです! 殿下に出してもらわなくたっていいですから!」
「なっ……」
思わぬ反撃に、アベルは言葉を無くした。その顔に、してやったりとメアリは笑顔を向ける。
「べっ、別にここ、結構居心地いいですし? わたし日光とか嫌いですし、ジメジメしたところも好きですし? ネズミだってほら、今ではペットみたいに可愛――い、痛っ……!」
いつの間にか、傍近くに寄っていたネズミを掬い上げようと手を伸ばした時だった。警戒したネズミに指先を強く噛まれ、思わずその手を引っ込めた。
「おい! もしかしてネズミに噛まれたのか!?」
「え……はい。あ、でもこれは……一種の愛情表現みたいなもので、いつもはもっと仲良し――」
「バカかお前は!」
「な……何――!」
「ネズミから伝染する病だってあるんだ! 昔はそれで何万人もの人が死んでるんだぞ!」
「え……」
「ジェイル、鍵を」
「――はい」
ジェイルは身を翻し、地上へとつながる階段を駆け上がった。アベルはこちらを向くと、すぐに檻近くへと寄る。
「とりあえず傷を縛るぞ。腕をこっちに」
「あ……はい」
アベルは懐からハンカチを取り出し、それをメアリの指先に巻き付けた。手慣れたその作業に、メアリが口を挟む隙もない。
「っとに、世話の焼ける……」
「す、すいません……」
何だかやけに凄みのあるアベルに、メアリは小さくなって謝るしかない。
「メアリ殿、鍵をもらってきましたから、すぐに出して差し上げますよ」
「あ、ありがとうございます……」
メアリは大人しく、言われるがままに従った。自分がものすごく悪いことをしたような気分だった。
「ほら、立てるか?」
「は、はい……」
アベルが牢の中に入って来て、メアリを立たせた。しかしその瞬間立ち眩みがし、アベルに寄り掛かった。瞬時に彼がその腰を支えたので、地面に倒れこむことはなかった。
「――すいません、ありがとうございます」
「どうした、眩暈でもするのか」
「いえ……あんまり寝てなくて、食事も取ってないので、体調が悪いだけです」
「食事? いつからここに入っている」
「昨日の朝……からですかね」
「その間食事は」
「一度も出されてません」
何だか告げ口のようだが、構いはしない。朦朧とする頭が、その辺の思考を中断させているようだ。
いくらアベルも男とはいえ、歳はメアリと変わらないし、まだその体は発展途上だ。メアリはジェイルに抱えられることになった。そのまま眩しい地上へと一行が出ると、牢屋の看守が慌てて出迎えに来た。
「い、いったい何事ですか。いくら殿下であっても、罪人を牢からだすなど……」
「ネズミに噛まれたんだ。治療させる」
「……ネズミ?」
看守は素っ頓狂な声を上げた。そしてそれが次第に笑いをこらえたような表情へと変わっていく。
「ネズミ……ですか。それはまた……。治療させるほど、血が大量に出たりしたんですかな?」
馬鹿にしている。絶対にそうだ。というか、そもそもネズミを原因とする感染病の存在こそ知らないのだろう。そんな無知な相手には、どうこう言っている暇はない。
アベルは構わずに牢を出た。しかし看守もそんなことでは引き下がれなかった。王子とはいえ、自分の職場を荒らされたくなかった。
「いや、しかしですね……殿下、怪我をしたとして牢を出るにしても、それなりの手続きが……。そもそも牢に医者を呼べばいいことですし」
「じゃあ聞くが、こいつは何をやらかして牢獄に入れられてるんだ?」
「は?」
突然尋ねられ、一瞬看守はきょとんとする。しかしすぐに理解すると、咳ばらいをした。
「あ……いや、何でも女性と口論になった挙句、突き飛ばしてその女性の腕を折ってしまったとか……」
「その証拠はどこにある?」
「……は?」
「その女性が腕を折られたという証拠だ。その女性はどこに住んでいる? 証人は? いつ、どこでどんな風に事件が起こったのか、お前は把握しているのか?」
「い……いえ、突然だったものですから」
「確たる証拠がない癖に成人にも満たない女子を牢獄に入れるのか。それはまた大層な仕事ぶりだな。――とりあえず、こいつは連れていくぞ。腕を折られたという女性がやってきたなら教えてやれ。こいつは今、アクロイド国第一王子アベルが預かっていると」
アベルが不敵な笑みで笑う。その顔に、ひいっと怯えた看守は、背筋を伸ばし、敬礼して一行を見送った。
「アベル殿下……職権乱用かと」
彼の姿が見えなくなったところで、ジェイルがため息交じりに言った。
「構わん。これくらい罰は当たらないさ」
「だからって……わたしが本当に腕折っちゃってたらどうするんですか」
何だか恥ずかしいような悔しいような、そんな気分になって、思わずメアリは問いかけた。
「さあな。その時はその時だ」
「いい加減ですね……」
ジェイルの背中で揺られながら、メアリはぽつりと呟いた。