06:魔女見習い、治療する
城に着くと、一行はすぐさま医務室へと向かった。アベルはバーンと遠慮の欠片もなく医務室の扉を開けると、ずんずん中へと入って行った。そうして医者を見つけると、メアリをつき出した。
「こいつを診てやってくれ。ネズミに噛まれたんだ」
「はあ……?」
突然のアベルの申し出に、医師は度肝を抜かれたような表情になった。
「殿下、詳しい話は私からお話ししますので、まずはメアリ殿を寝台へ」
「ああ」
ジェイルの的確な指示にアベルは頷いた。それにより、メアリがジェイルからアベルへと受け渡されることになった。
「あの……もう歩けますから、下ろしてもらっても大丈夫です……」
道中もそうだが、ジェイルに背負われているだけで恥ずかしかったのに、アベルに至ってはいわゆるお姫様抱っこの抱え方だ。
どうしてよりにもよってこれだ、と激しく問いたい。
「ついでだ。気にするな」
「じゃあ何でこの抱え方なんですか……」
せめて、せめてジェイルと同じように、背負うだけならまだしも、メアリの精神を抉るようなこの抱え方はいただけない。
「こんな近くなのに、いちいち背負ってられるか」
「じゃあ下ろしてくださいよ……」
「ついでだ」
「結局それですか……」
メアリはあまりの恥ずかしさに、両手で顔を覆った。嬉しいことに、本当にベッドはすぐ近くだったらしく、ゆっくりとそこへ下ろされた。
「おい、大丈夫か?」
「え? ああ……」
メアリが顔を手で覆ったまま動かないので、アベルは心配そうにのぞき込んだ。それに対し、僅かに笑顔を見せた。
「はい……何とか。でも気のせいか、殿下の話を聞いたあたりから、気分が悪くなってきたような――」
「大丈夫だ、気をしっかり持つんだ」
「でも……でもわたし、死んだりしませんよね?」
「大丈夫だって言ってるだろ? 今は薬もあるし、昔よりも大分治療法も進化している。噛まれたばかりのお前を救えないで何が医者だ」
「――はは、大分ハードルが上がりましたね」
いつの間にか話が終わったらしい医者が後ろに立っていた。
「大丈夫ですよ、メアリ嬢。ここには薬も備蓄されてますし、今日は安静にしていれば大丈夫でしょう」
「本当ですか?」
「ええ。まずは簡単にお体の診察をしましょうか」
「はい」
メアリがローブを脱ぎ、更なる診察を受けようとするので、男たちは慌ててその部屋から退散した。しかしかといって、メアリの様子も心配なので、隣室に留まることにした。
*****
メアリはその後、医者による簡単な治療を受けながら、感染病についての話を聞いた。何でも、確かに数十年前、ネズミから感染する病が流行ったことがあるそうだ。その病は感染するだけでなく、最悪の場合、死に至るという。
人間達は数年間その病に苦しみ、怯えた。そんな時に治療薬を見つけたのが、大魔女ミネルヴァ……らしい。
メアリはその名を聞いた瞬間、思わず身震いした。なぜだか、名前を聞いただけなのに、それだけでミネルヴァに全てを見透かされたような気がした。牢屋に入れられ、間抜けなことにネズミに噛まれ、そして危うく感染病にかかるところだったことを。
師匠の治療薬のおかげで自分の命が救われたのか。
またしても一つ、師匠に頭を上げられない要因を作ってしまったような気がした。
治療を終えると、メアリはおずおずとアベルがいる隣室へ向かった。治療の間、彼はずっとここにいてくれたらしい。
控えめにノックをして、部屋に入ると、難しい顔でソファに座っているアベルが居た。なぜか彼は腕を組んでいて、真っ直ぐな瞳をこちらに向けた。雰囲気が怖かった。
「あの……」
「…………」
彼は未だ黙している。何か怒らせてしまったのだろうか、とメアリは瞬時に自分の行動を記憶に呼び起こすが、そんな失態はした覚えがない。確かにネズミに噛まれるという間抜けな行動はしてしまったが、その後、アベルは今までにない優しい対応で、医者のところまで連れて来てくれたような気がする。その彼がなぜ、今になって怒っているのか。
メアリはさっぱりだった。
「あの、ご心配をおかけして、すみませんでした。……あと、牢屋から助けてくださり、ありがとうございます」
さすがのメアリも、ここは殊勝に頭を下げる。しかし返事はない。重苦しい沈黙に身が震えた。
「それに、お医者様から聞きました。感染病のこと」
ピクッとアベルの体が反応した。僅かに視線を感じる。
「あの、わたし、本当に考えが至らず、悪かったって思ってます。あの時、殿下からネズミの話を聞いてから、急に体調も悪くなった気がしたし、本当、死んじゃったらどうしようって思ってました。でも、殿下がここに連れて来てくれたおかげでこうして助かったわけですし――」
メアリにしてみれば、最大限の感謝を持ってお礼を言っているつもりだ。しかし、相変わらず彼からは何の反応もない。むしろ、怒りのせいか、ふるふると震えている気がする。
「で……殿下〜、もういい加減勘弁してくださいよぉ。わたしが悪かったですからー!」
アベルに縋り付くように、メアリは彼の足元から表情を窺った。しかし目が合ったと思ったら、すぐに顔を逸らされ、口元を手で覆われる。震えが更に大きくなったような気がする。
「もう! 何で避けるんですか!? 謝ってるんだから、いい加減許してくれても――」
そうして、ふと思った。彼のこの震えは、怒りによるものだろうか、と。
いや違う。現に、よく耳を澄ませてみれば、堪え切れていない笑い声が――。
「ちょ、殿下! 何笑ってるんですか!!」
「い……いや……」
「失礼にも程がありますよ! 人が真剣に謝ってるって言うのに!」
「わ……わりっ」
「悪いと思うならまずその笑いを止めたらどうですか!!」
「……ああ」
ついに彼は笑い声を上げることはなかったが、それでも目尻に涙が溜まっていた。無性に腹が立った。
「――もう知りませんから」
メアリは完全にへそを曲げ、アベルに背を向けた。
「それはこっちの台詞だ。先に心配をかけたのはそっちだからな」
「――うっ」
それを言われたら、こちらとしてはもう何も言えない。めありがこそこそと様子を窺っていると、後ろの彼の雰囲気が和らいだ気がした。
「もう、心配かけるなよ」
「――はい」
大人しくメアリは振り返り、頷いた。そんな彼女を見届けると、アベルはにっこりと笑う。
「――で、何をやらかしたのか、お前の口からきっちりきっぱり教えてもらおうか」
「……やっぱりそう来ましたか……」
メアリは脱力した。何とか忘れてはもらえないだろうかと思っていたが、彼の頭脳はそう都合の良い記憶力ではないらしい。
「当たり前だろう。俺には聞く権利があると思うが?」
「別に殿下が聞いても面白い話ではないと思いますよ」
「暇つぶしに聞いてやる」
「最低な言い草ですね……」
観念して、メアリは先ほどの出来事を語った。
その間、珍しくアベルは茶化すことなく真剣に聞いていたので、メアリにしてみても話しやすかった。
「お前が牢獄に入れられた経緯は何となくわかったよ」
聞き終えると、アベルがそうぽつりと言った。
「お前の馬鹿力で相手の腕を折っちまったってことがな……」
「ちょ、人の話聞いてましたか」
「冗談だ」
「……洒落になりませんから」
現に、そう誤解されたからこそメアリは丸一日牢屋に入れられていたのだ。あの屈辱は決して忘れまい。
「だいたい、腕折ったって大袈裟に言ってましたけど、あの人ちょっと尻餅ついただけですからね。その後すぐに、その折れたって言う腕でわたしのことを振り払ってましたし」
メアリが力任せに、髪を掴んでいた手を振り払い、そして彼女が尻餅ついたことは申し訳なく思う。しかし、それを代償にメアリが牢屋に入れられるというのは、さすがに割に合わないと思う。
「分かった分かった。詳しいことはまた明日話そう。今日はもうここで休めよ」
「――ええ? 嫌ですよ! シェリアさんが今まさにひどい目に遭ってるかもしれないんです!」
「いくら治療してもらったからと言って、完全に安全とは言えないんだぞ」
「うっ……。それって、まだ危険があるってことですか?」
「……どうだろうな。でも、医者の話では今日一日安静にしてろって言ってただろ。ここなら万一のことがあっても対処できる」
「万一……」
「今日はもうゆっくりしてろ」
「……はい」
アベルの優しい声に、メアリはそっと目を閉じた。