04:魔女見習い、絶望する


 何だか、もの足りない感じがする。

 理由は分かっていた。あの騒がしいメアリがいないからだ。
 しかし正直に言って、メアリがいないおかげで、日常生活はすこぶる順調に進んでいる。

 メアリに部屋に長時間居座られることもないし、夕餉の肉料理を掠め取られることもない。水難事故に遭うことだってないし、子供の様に口喧嘩することもない。元の生活に戻っただけだ。それは分かっている。

 しかし、何か物足りないような気がするのはなぜだろうか。違和感と言うか、不安感と言うか。

 アベルは今までにない正体不明のイライラに襲われながら、毎日の執務をこなしていた。しかし、それも我慢の限界だったようだ。

 何だかむしゃくしゃする。

 アベルは突然立ち上がると、整理していた書類を放って部屋を出た。たまには気分転換もいいかもしれない。そう思っての行動だったが、部屋を出てすぐに背後に気配を感じた。

「どこへ行かれるのですか」
 彼がついて来るだろうことは分かっていた。そのまま見逃してくれればいいものを。

「どこへでも。ちょっと外に出るだけだ」
「護衛は」
「いらない」

 短く答えると、アベルはずんずん進む。しかし、相変わらず後ろを影の様についてくる者が一人。

「……何でついてくるんだ」
 アベルはげんなりした顔で振り返る。澄ました顔でジェイルが立っていた。

「護衛はいらないと仰られたので、私がついていくことにしました」
「もっといらない……」
「まあそう照れずに」
「誰が照れるか、本心だ」

 アベルの真面目な声色を、素知らぬ顔でジェイルはやり過ごす。

「――もういい。ただし、邪魔はしないでくれよ」
「後ろをついていくだけですから」

 どの口がそれを言うか、と思わずアベルは苦い顔になる。その道は危ない、帯剣していけ、日暮れまでには戻ろう、昼餉は摂ったのかなど、ジェイルは冷静な顔をしているくせに意外に口うるさい。だからジェイルではなくせめて違う人物に護衛してもらいたかったのだが、もう遅い。

 アベルはジェイルの頑固さに、足掻くことを諦めていた。
 城を出ると、アベルは馬にも乗らずに街へ向かった。何だか、乗馬のような気分でなく、自分の足で歩きたいような気分だった。

 行く当てもなく、中心街を出、そして町の外れへと足を向ける。自分でも何がしたいのかさっぱりだった。自分の思うままに歩いて行こうと考えていた。しかし。

「――もしかして、メアリ殿のところへ向かわれるのですか?」
 ジェイルの余計な一言で、その無心さが打ち払われた。

「何でそうなるんだ! 誰があいつのところへ行くか!」
「いえ……そちらは確か、魔女の村の方面らしいので、てっきりそうなのかと……」
「――そうなのか?」

 アベルは歩くスピードを下げ、ジェイルの隣に並んだ。

「はい。あれから私も少し魔女のことについて調べてみたんです。そうしたら――」
「待て。ここで話すのもなんだ。近くの店にでも入らないか」
「そうですね」

 街の喧騒の中、歩きながら話すのも面倒だった。二人は手近な店に入ると、軽い昼餉を取りながら先の話に戻った。

「――で、魔女の話だったな」
「はい。メアリ殿のことがあってから、私も魔女に少しばかり興味を持ちましてね、調べてみたんです。驚きましたよ。確かに貴族や街の中心部の者たちは魔女の存在をどこかお伽噺の様に思っているんです。しかし対象を庶民や周辺の村人たちに絞ると、途端に彼女たちがどうしたと聞くんです。まるで、昔なじみの知り合いの様に」
「そうか……じゃあ、その存在は知られてはいけないという訳ではないんだな?」
「おそらく、そうではないかと。きっと城にまで魔女達の噂が届くのも時間の問題でしょう。自分たちから存在を明らかにするのは気が引けるが、自然に知られていく分には放置しているのでしょう」
「驚いたな。もう既に周辺の村人たちは魔女のことを知っていたとは」

 始め、誕生祭のときメアリが忍び込んでいるのを見、確かに幼心に魔女ではないかと疑っていた。何よりメアリの恰好が、お伽噺によく出てくるような魔女そのものの恰好をしていたのだから、そう思うのも仕方がない。そうして、しばらく観察していくうちに、それが確信に変わった。メアリが、アベルの目の前で肉料理の皿を浮かせたのだから。

 それ以後、数年にわたり彼女を観察し続けていたが、特に悪いことをするでもないのでジェイルに伝えるだけ伝えて、後は放っておくように頼んだ。その裏では、自分も魔女についての文献を漁り、彼女たちがただの架空の人物ではなく、現実に存在していることを改めて確信へと変えたのだ。

「しかし……な。いくらその存在が極秘でないとはいえ、少々気が緩み過ぎじゃないのか? そりゃ村人はほとんどが気性が穏やかだし、昔からの絆もあるだろ? でも城や街の中心の人間は違う。想像もできない力を使う者が急に現れたら、恐怖も感じるし、迫害するかもしれない」
「そうですね……。いくら魔女の方たちが人間と共に生きようとしていても、こちらの心の準備が整っていなければ、それは叶わないでしょうね」

 いつだったか、メアリが言っていたような気がする。魔女は滅多なことで力を使わず、使うとしても、人の役に立つようなことにしか使わないのだと。

 そこまで考えた時、自分の過去の所業が自然と思いだされた。確か、メアリがこんな下らないことに力を使いたくないと言っていたのに、自分は無理に使わせていなかったか。

 魔女の深い事情も知らずに、よくもまあ髪を乾かすためだけに力を使わせたものだと、アベルは過去の自分を罵りたくなった。今更ながら、自分の考えなしな行動が馬鹿らしい。

「…………」
「…………」

 アベルは後悔の念に苛まれ、ジェイルは魔女の歴史に思いをはせ、テーブルに沈黙が漂った。

 しかし、いくら口が動いていないとはいえ、耳は当然正常運転だ。自分たちが会話していないせいで、彼らの耳はよく周囲の話声を捕らえた。特に、隣のテーブルの会話が耳についた。

「……あの子、大丈夫かねえ」
「なあ。ちょっとあのおばさんもやり過ぎかなって思ったけど」

 その会話は始め、特に興味を持たせるようなものではなかったが、入って来たものはしょうがない。男たちは自分の会話が聞かれているとも知らずに、互いに食事を摂りながら話していた。

「だいたいあのおばさんと旦那の仲、随分冷え切ってたじゃないか。おばさんは男を連れ込んで、そして旦那は女を連れ込む。そんなのが日常茶飯事で、互いに黙認してたってのに、何であの綺麗な姉ちゃんとなると急に逆上するんだよ」
「その綺麗さが気に障ったんじゃね? ほら、それに魔女だって言ってただろ? 気味悪いし、でも綺麗だしで当たり散らしたかったんだろ」

 魔女、と言われ、知らず知らずアベルとジェイルの身が固くなる。更に集中して耳を傾けた。傍から見れば、男二人が話をするでもなく、黙って下を向いて微動だにしない様子はさぞ気味悪げに映っただろう。

「んないい加減な。でも魔女って本当にいるんだな」
「な。噂は聞いてたけど、でもこの目で見ない限り信じられないってか、つーか、やっぱり空を飛んだりできるんかね?」
「さあてね。俺はそんな空想的なこと、想像もできないさ。――でもやっぱり驚いたのが、あの突然出てきた女の子の瞳!」
「な! それは俺も思った!」
「びっくりしたよ。あんな瞳の子いるんだな!」
「さすがは魔女。左右で瞳が違うとか、神秘的すぎるだろ」
「変に綺麗なお姉ちゃん庇ったせいで、おばさんの標的があの子に代わっちゃったし? 可哀想だな、まだ年端もいかない子供じゃないか」
「今頃きっと牢屋で泣いてるよ〜。可哀想に……」

 アベルは冷や汗を流しながら耳を傾けていた。いや、もう確信はあったのかもしれない。しかし、さすがに、さすがに違うんじゃないかという思いがまだ僅かに残っていて――。

「あの黒いローブの子な」
 アベルとジェイルは黙って勘定をし、店を出た。

 しばらく沈黙が続く。そして。

「黒いローブって、言ったよな……」
 アベルがぼそりと呟いた。

「ええ、私も確かにそう耳にしました」
 ジェイルも頷く。その表情は窺い知れない。

「黒いローブの子……そうそう何人もいると思うか?」
「いえ、正直、あんな奇抜な恰好、する方の気が知れません。相当の変人でなければ、おそらくは誰もあのような恰好はなさらないでしょう」

 ジェイルはあまり多くを語らない性格だ。だからこそ、内面で深く考え、そしてそれを表に出す時、たまに確信を突く物言いをすることがある。例え、それが誰かの悪口であっても、冷静な表情――悪意も何もないような表情で、大したことを言ってのけることがある。

 ジェイル、メアリのことをそんな風に思っていたんだな……。
 アベルはメアリのことを、少しばかり気の毒に思った。

「でもな、どう考えてもメアリ……だよな」
 アベルは両手に顔を埋めた。何となく、嫌な予感がする。

「行って、みるか」
 ジェイルも黙って頷いた。

*****

 一方のメアリは憔悴しきっていた。

 確かに、確かに一日牢屋で反省するとは言ったものの、牢屋がこのような場所とは思わなかった、と昨日の浅慮な自分の行動を恨めしく思った。

 地下に作られているこの牢獄は、日も差さないおかげで一日中ジメジメしていたし、何だか臭いし、鼠もはびこっているしで散々だ。それに加え、もう丸一日閉じ込められているというのに、食事すらもらえないし、メアリがここから出されるような気配もない。

 看守が牢の前を通るたびに、今か今かと待ち侘びていたのだが、出てもいいぞと言ってくれる人はおらず。

 メアリは本気で自分の将来を心配し始めていた。そんな時、コツコツと再び牢獄へ繋がる階段を下りてくる音がした。足音は二つ。しかし、メアリはその顔が希望に変わることはなかった。もう何度も裏切られているのだ。無駄に期待に胸をドキドキさせることもない。

 もういっそのこと、あの固い地面とタオルケットでふて寝してしまおうか。
 メアリはそう思い、フラフラと移動し始めた。昨日寝るときも思ったのだが、何とも言えない腐臭がするこのタオルケット、やはり使う気にはなれない。

 メアリはそれを遠くに退けると、地面にごろんと横になった。昨日はこの固い地面と臭い匂い、いつ忍び寄ってくるかもわからないネズミたちに辟易し、碌に眠れなかったが、今なら眠れる気がする。

 しかし、意識の裏で遠くなっていく足音が、すぐ近くで止まった。

「メアリ……お前……」

 自分の名前が呼ばれた。今までにない新たな出来事に、メアリは顔に希望を浮かべて振り返った。

「え、もしかして、わたし出れるん――」
 そして固まる。彼らは見ていた。メアリのことを真っ直ぐに。
 目が合った。その目は見覚えがあった。呆れを通り越して、いっそ哀れなものを見る目だ。

「お前……何やらかしたんだよ……」

 哀れみを浮かべたその人物は、何を隠そう、たった数日会っていないだけのアベルだった。