02:穏やかな茶会


 デリックは、仕事の合間にブランドン家を訪ねては、怖い顔をした女当主テレーゼに追い返されるという日々を送っていた。とはいえ、そのことについて、デリックが辛いと思うことはなかった。もともとデリックは、嫌味は気にせずに聞き流せるし、気遣いはできる方だ。物怖じもしないし、そつなく話もできる。
 気がつけばテレーゼは、デリックの身分や、多少社交界の世知に疎いこと以外、彼のことを否定できる要因を失ってしまっていた。嫌味を言っても笑って受け流されたり、とぼけられたり。挙げ句の果てには、シンディに会いたいというデリックの要求を、うまいこと言いくるめられて承諾させられたり。

 最近ではもうテレーゼも相手をするのに疲れ、デリックが白昼堂々ブランドン家を尋ねてきても、勝手にしなさいと家に引き入れることが度々あり。
 母テレーゼが先に折れるまで、この一連の流れをずっと側で見ていたアーヴィンは、半ば驚嘆の思いだった。よくもまあ、あの母をうまいことここまで懐柔したものだと。
 そして今日なんか、デリックはなんと、ブランドン家自慢の庭で茶会に参加していた。茶会と言っても、家族水入らずの小規模なもので、テレーゼとアーヴィン、そしてシンディが、庭の東屋で思い思いに過ごすだけのものだ。側にはシンディの侍女と執事のウィリアムもおり、なんとも穏やかな空気が流れている。
 貴族ですらないデリックがちゃっかり同じ席に着いていることについて、もはやテレーゼは文句を言う気力もなく、我関せずとという様子で読書を決め込んでいる。木製のテーブルには、様々な菓子や紅茶が並べられ、アーヴィンとデリックは、互いに話をしながらのんびりと過ごしていた。シンディはというと、広々とした芝生で、嬉しそうにシロを散歩させている。

「日が差して参りました。お嬢様に帽子と日傘を」

 ウィリアムは侍女に目配せした。侍女はすぐに頷き、シンディの元にそれらを届ける。ウィリアムの声が聞こえていたのか、シンディは呆れたように笑った。

「ウィルったら。これくらいなんともないのに」
「倒れられては大変ですからね。今日は日差しが強いようです。そろそろ休まれては?」
「もう少しお散歩させてからね」

 折角天気がいいのだから、とシンディは上機嫌である。
 そんな二人のやりとりを側で見ていたデリックは、目をぱちくりとさせた。自分や家族にすら敬語なのに、彼に対しては随分砕けた話し方をするんだと。
 不思議に思って、デリックはウィリアムを見上げた。

「どのくらいここで働いているんですか?」
「私ですか? お嬢様がお生まれになる前ですから……もう二十年になりますか」

 そう冷静に答えるウィリアムは、一見年齢不詳である。年齢を聞いてみたいような気もしたが、この場では失礼かとデリックはすんでの所で我慢する。

「産まれたときから側にいたからか、シンディが一番懐いていたな。ウィル、ウィルーって」
「滅相もございません」

 恐縮してウィリアムは首を振るが、それでもその顔は嬉しそうだ。またも会話が聞こえていたのか、シンディはシロを抱えて振り返る。

「今だって、ウィルのことは第二の父のようなものだと思っているのよ。小さい頃に父が亡くなって、とても寂しい思いをしていたけど、ウィルがいつも父親代わりとして遊んでくれて。私、とても嬉しかったのよ」

 はにかむように笑うと、シンディは恥ずかしそうに駆けて行ってしまった。それを、僅かに口元を緩めて眺めるウィリアム。デリックはデリックで、なんとなく温かい気持ちになって、顔を綻ばせた。

「第二の父親か。……いいですね。俺も幼い頃に母が亡くなって、男手一つで父に育ててもらったので、少し気持ちが分かります」

 欠けた場所決しては埋まらないけど、寂しさは埋めることができる。デリックには届け人事務所所属の多種多様な同僚たちがいて、シンディにはそれがウィリアムだったのだろう。
 シンディがそこまで信頼している相手なら、自分も仲良くならなければとデリックは意気込む。
 年齢不詳の、名前がウィルとしか分からないこの執事、果たしてどんな共通の話題があるかは分からないが、試してみないことには分かるまい。
 デリックは咳払いをして姿勢を正した。

「ウィルさんは――」
「自己紹介がまだでしたか」

 デリックの声を遮って、ウィリアムは彼と向き直った。デリックは、困惑して彼を見つめる。

「ウィリアムと申します」
「あ……はあ」
「どうぞウィリアムとお呼びください」
「……?」

 もしかして、愛称を呼ばれるのが嫌だったのだろうか。
 ウィリアムの物言いに、そんな風にデリックは思ったが、しかしそんなこと直接は聞けないだろう。
 気まずい雰囲気が流れる中、シンディが大きく手を振った。

「ウィル! ちょっとこっちに来て!」
「かしこまりました」

 デリックに一礼すると、足早にシンディの方へ向かうウィリアム。
 助けを求めるようにデリックがアーヴィン見れば、彼は小さく苦笑する。

「ウィリアムを愛称で呼ぶのはシンディだけだから、気に入ってるんじゃないかな?」
「はあ、なるほど」

 要するに、やはり愛称で呼ばれるのを嫌がられたということか。
 別段ショックというほどでもないが、なんとなく、ウィリアムに対して壁を感じるというか、まだシンディの相手として許してないからな、という雰囲気を言外に感じずにはいられない。

「…………」

 だが、遠くからシンディとウィリアムの仲睦まじい様子を見て、デリックもすぐに仕方ないかと思い直す。
 シンディは、第二の父親としてウィリアムのことを慕っていて、ウィリアムだってそのことを悪いようには思っていないはずだ。むしろ、本当の娘のように感じているのかも。ならば、突然ひょっこり現れた、どこの馬の骨とも分からない男に娘がとられるかもしれないことを考えれば、彼の心境など想像に難くない。
 ゆっくり、少しずつ仲良くなろう。
 デリックはそう結論を下した。短期間の内に仲良くなろうだなんて虫が良すぎる。少しずつ話しかけて、仲良くなるのだ。
 デリックの視線の先では、シンディがシロを抱き上げ、ウィリアムの膝の上にのせているところだった。シロは物珍しげにウィリアムの匂いを嗅ぎ、そして安心したのか、彼の膝の上で丸まって眠ってしまった。

「…………」

 その光景を見て、デリックは先ほどまでの安寧とした気持ちをすっかり忘れ去り、愕然とした。

「シロが……シロが、ウィリアムさんに懐いてる」

 そうして呆然と呟く。それほどまでに、信じられない光景だった。
 牢屋に入れられたり、シンディに拒否されたり、隣国に仕事に行ったり。
 なんだかんだで、半年近くシロと顔を合わせていなかったデリックは、先日久しぶりにシロを撫でようとしたとき、そっぽを向かれてしまったのだ。手を伸ばせば、なんだお前はと言わんばかりに逃げ回られる。――すっかり知らない人扱いされたばかりのデリックとしては、目の前の光景が信じられない。
 ――懐きにくいあのシロが、膝の上で昼寝をするほど懐くなんて。
 思いのほか、デリックはシロに対して愛着を持っていたらしい。なんだかウィリアムが憎たらしく思うくらいには、羨ましい。

「俺……今ならあの時のシンディの気持ちが分かる気がする」
「え?」

 呆けた顔で聞き返すアーヴィンには、デリックの心境など分かるまい。
 だが、彼以外に、きちんとその複雑な心境を見抜く者が一人。

「……私もシロには懐かれてますよ」

 ハッとしてデリックは振り返った。その先には、大きな本を抱えて読書をするテレーゼ。彼女がゆっくりとその本をテーブルに置けば、みるみるあらわになる彼女の顔。クイッと唇の端をあげる彼女のその笑みは、挑発以外に他ならない――!

「シロ!」

 堪らずデリックは駆けだした。願わくば、あの頃のようにまた懐いて欲しいと!

「あれ、僕だけ蚊帳の外?」

 自分だけなんだか話しについていけてないようだと感じたアーヴィンは、ポリポリと頬をかいた。そして。

「シンディー、後で僕にもシロ撫でさせて?」

 皆を虜にするシロを撫でてみようと、アーヴィンもゆっくりと立ち上がった。