09:拒絶の伝言


 数日が経過し、シンディはようやくシロの世話に慣れつつあった。しかし、肝心のシロは、未だシンディに慣れないようで、思うように背中を撫でさせてはくれない。我慢、我慢よシンディ……と、シロから遠く離れた寝台で、シロがカリカリとかじり木をかじっている様を眺めるしかないのだ。

 すっかり夜も更けた今もなお、シロは寝台の下から出てこようとせず、仕方なしにシンディは、四つん這いになって寝台を覗き込んでいた。ウサギの飼い方の本には、人になかなか慣れないウサギもいるので、あまり構い過ぎないようにと書かれていたが、それでもシンディはどうしても諦めきれずにいた。もう二週間は経つのに、どうして未だに慣れてくれないのか。

「…………」

 シンディは唇を尖らせながら、シロをじいっと見つめる。視線を感じたのか、シロはちょっとシンディの方を向いたが、すぐにぷいっとそっぼを向いた。
 ――きっと嫌われてるんだ。
 ここまであからさまであれば、シンディはそう思わずにはいられなかった。
 この二週間でなんとなく理解したことではあるが、あの小さなウサギは、どうも人を恐れているわけではないらしい。時折とても大胆にシンディに近づくことがあるし、むしろ飼い主であるシンディをからかうように動き回ることがままある。シンディが鈍くさいのをいいことに、彼女の足下をうろちょろしてばかりいるのだ。そうしてついにシンディが足をもつれさせて尻餅をつくと、役目は終わったとばかり寝台の下へ帰って行く。――完全に、シロはシンディで遊んでいるのだ。
 ……そんな一方的な遊びじゃなくて、普通に二人で遊びたいのに。
 暗闇の中、うっすらと光る二つの目を見つめながら、シンディはほうっと息をついた。

「何してるの?」

 完全に気を緩めきっていた中、窓越しから不意にそんな声が聞こえてきたので、シンディは驚いて飛び上がった。だが、彼女は今現在寝台の下を覗き込んでいたばかりである。飛び上がった拍子に頭をしこたまぶつけ、シンディは涙目になった。

「こ、こんばんは……」
「……ごめん、取り込み中だった?」
「いえ、大丈夫です」

 どことなく申し訳なさそうな顔をするデリックに、シンディは首を振った。確かに急に声をかけられたときは驚いたが、シンディが頭をぶつけてしまったのは、ひとえに彼女の運動神経が鈍いからである。

「ウサギ、まだ慣れないの?」

 手慣れたように窓の前の大木に腰を下ろし、デリックはシンディを見下ろした。彼女も椅子に座り直すようなことはせず、そのまま地面に座り込んでいた。

「……はい。人が怖いというよりは、純粋にまだ私のことを気に入ってもらえてないみたいで」

 言いながら、シンディは再び寝台の下を覗き込んだ。デリックの登場に、少しだけ移動したようだが、未だシンディとの距離は詰められていない。

「まあ、時間が解決してくれるんじゃないの。餌あげてたら、そのうち懐くでしょ」
「――はい。私もまだ全然諦めるつもりはありません。まだ二週間ですもんね」

 うじうじと悩んでいたって仕方がない。
 人にだって好き嫌いがあるように、ウサギにだってもちろんあるのだ。シロが自分のことを好きになってくれなかったとしても、それは仕方のないことだろう。嫌がるシロにいつまでも構っていても可哀想なだけだ。
 シンディは多少後ろ髪引かれながらも立ち上がり、椅子に腰掛けた。彼女の動きを追った後、デリックの視線は部屋の中を移動した。

「いろいろ道具揃えたんだね」
「はい。動物を飼うのは初めてだったので、ウサギの本も借りてきました」

 シンディは山積みになっている本の山に目を向けた。

「でも、シロはケージの中があんまり好きではないようで、寝るときは大体ベッドの下で丸くなっています」
「そうなんだ。なんとなく想像つくけど。普通のウサギよりやんちゃみたいだね」
「はい! 部屋の中でもじっとしていることがほとんどないんです。いつもどこか歩き回っていて」

 シンディはシロについて話すのが嬉しくて仕方がなかった。どこで、どうして買ったのか聞かれるだろうことは分かっていたので、シロの存在はヘレンとカリーナには内緒だ。だからこそデリックは、シロについて話せる唯一の存在として、非常に貴重だった。
 それに、彼はシンディにシロを贈ってくれた人でもある。もとは、手紙の主の以来であることは分かっていたが、デリックがシロを選び、そして結局はただのウサギとして、シンディに渡してくれた。届け人としてはあり得ないことだろう。依頼主との約束を破り、シンディがウサギを受け取ったことを黙っているなんて。

「……今日も、手紙ですか?」

 そんな彼の手を、何度も煩わせているのは、紛れもなく自分。
 会話が途切れたのを見計らって、シンディはおずおずと切り出した。できればこの話題は避けたいものだが、彼の仕事のことを思うと、そんなことはできない。

「いや……。手紙では、ないな」
「贈り物……ですか?」
「それも違う。手紙とかじゃなくて、伝言」
「伝言……」
「手紙じゃ受け取ってくれないみたいだから、伝言でって」
「…………」

 ひどい罵倒だったら、どうしよう。
 シンディの顔は浮かない。
 そもそもの手紙の内容がどんなだったかも分からないのに、挙げ句の果て、いきなり伝言なんて無茶だ。
 しかしそれは、今までのシンディの積み重ねられた行動の結果とも言える。仕方がないとは思う。一度も手紙を受け取らなかったのは、他でもないシンディ自身なのだから。
 でももう諦めて欲しいと思うのは独りよがりなことだろうか。
 ここまで拒否の意を示しているのに、どうして分かってくれないのか。しまいには伝言だなんて。

「いい?」
「……どうぞ」

 拳を握り、シンディは顔を上げた。デリックは視線を逸らしながら、ゆっくり口を開いた。

「『ウサギなら、シンディが大好きだから受け取ってくれると思った。どうしたら許してくれるんだい?』」
「――っ」

 シンディは小さく息をのみ、そしてギュッと目をつむった。
 許す……?
 どういうことだろう。
 シンディにはさっぱり訳が分からなかった。自分は彼のことを知らないというのに、彼は自己紹介もしてくれないのだろうか。まるで、自分のことを知っていて当たり前、とでも思っているかのように。
 知らず知らず、シンディの身体は震えていた。
 伝言の主の正体を考えれば考えるほど、怖い。なぜ私の名前を、住所を知っているのか。執拗に手紙を送り続けるのか。
 そして、何より怖いのは。

「わ、私がウサギを好きなこと、誰にも言ったことないのに……」

 なぜそのことを、手紙の主が知っているのか。
 家族くらいなら、シンディがウサギを好きなことを知っていても不思議ではない。昔からウサギを飼ってみたいと口にしたことはよくあったし、ウサギを見るために、店に立ち寄ったこともある。だが、そのことを口にしたことはなかったのに。にもかかわらず、どうやって知り得たのか。
 その方法はいくつか考えられる。だが、もうシンディは疲れていた。どうして身も知らない人に怯え、頭を悩まさなければならないのか。

「私からも伝えてくれませんか」

 シンディは意志の強い瞳でキッと顔を上げた。

「『こういったことは迷惑です。もう二度と手紙も伝言も送ってこないでください』」
「……分かった」

 言葉少なにデリックは頷き、そのままきびすを返して降りていった。シンディはしばらくの間彼の姿を見つめていたが、やがて疲れたように寝台に倒れ込んだ。