06:逃げたウサギ
今度こそ、もう本当に会うことは無いのだろうと、デリックは呑気にもそう考えていた。もちろん、通常の依頼人であれば、受取人が受け取り拒否をした、と一言告げれば、それはもうものすごく悲しそうな顔で依頼を取り消すのが常だった。
届け人の活用方法は幅広く、通常の手紙の配達から、手品などのオプションを交えての愛の告白、なんてのもよくあった。後者の場合、大抵はほとんど面識がない場合が多かったので、驚きはあるものの、知らない人からの告白なんて、と少女がドン引きしている最中、寒々しい手品をやってのける、なんて修羅場も何度経験したことか。その場合、失敗ではあるのだが、料金は受け取る。もちろん、失敗の旨をしっかり伝えた後、である。
しかし――中には、告白に失敗してもなお、諦めない輩がこの世にいるらしい。
デリックはつくづくその男たちに説教したい気分だった。仮にも意中の女性に想いを伝えるのならば、せめて他人経由ではなく、直接伝えてくれ、と。
デリックは儚げな月を見上げ、思わずため息をつく。つきたくなるのも当然だ。
一応、シンディのことは相手にやんわりと伝えたつもりだった。依頼人は遠い場所に住んでいるらしいので、手紙を経由しての連絡だったが、それでも相手は男性が苦手なので、身も知らない人からの手紙は受け取れないらしいと伝えたはずだった。しかし返ってきたのは全くもって見当違いの反応。デリックがため息をつきたくなるのも当然だった。
そもそも、依頼人の手紙の内容も告白かどうかはデリックにとっては分からないことではあるが、十中八九そうだろう。大金を叩いてまで女性に手紙を送り続けることが、告白以外の何だというのか。――いや、そもそもそこまでするのなら、一度くらいは直接気持ちを伝えてみたらどうだと言いたいのだが。
こうしていても仕方がないと、デリックは勢いよく木に上り始めた。
これも仕事だ。彼女には諦めてもらうしかないだろう。
「…………」
コンコンと窓を叩いて数秒。デリックはもの言いたげな表情のシンディと目が合った。
「……ごめん」
思わず謝罪が口をついて出る。シンディは静かに首を振った。
「別に謝らなくても大丈夫です。仕事なんですから」
「いや……本当、一応伝えたんだ。依頼人にも」
しかし、いざ返ってきた手紙には、大丈夫大丈夫、せめてこれだけでも、と今までの二倍の依頼料と更なる依頼内容が書かれていたのである。仕方なしにデリックも上司にそれを見せたが、結果は明白だった。彼はすぐに目の色を変え、デリックに何とかシンディに譲歩してもらって受け取ってもらってこいと命令したのだ。デリックとしては、シンディに会わせる顔が無かったが、所詮は雇われている身。上司に従うほかなかった。
デリックも、最近ながらようやくその依頼人が危険な奴ではないのか、という意識を持ち始めていた。受取人側に全く面識がないにもかかわらず、対してその依頼人はシンディの名前も住所も知っている。シンディが受け取り拒否をしても、挙句の果てには更なる金を上乗せして依頼するばかり。
さりげなさを装って、デリックも上司にそのことを伝えてみたのだが、取り付く島もなかった。純愛っていいねえ、などとほざくだけだった。
「ごめんなさい。デリックさんには悪いとは思いますが、私、やっぱり――」
「あ、今回はちょっと違うんだ」
デリックは、毎度のおなじみの台詞を口にしようとするシンディに待ったをかけた。
「依頼人の方も……その、趣向を変えたようでね」
「……何ですか?」
言い訳のようにデリックが付け加えると、シンディの方も少々興味を持ったようだ。彼女は一歩窓に近づく。
「その……あなたが今被っているシルクハットに関係が?」
「……うん」
ようやく突っ込んでくれたか。
デリックは若干頬を赤くして頷いた。
自分だって分かっている。こんな大きいだけのシルクハットが似合うわけもないということは。しかし店の方針なのである。雰囲気を出すためにも、それっぽい恰好をしろというのは。
「じゃあこちら、注目してください。種も仕掛けもありませんから」
何度と使ってきた口上を述べながら、デリックはシルクハットを取り出した。シンディの冷めた目に見守られながら、デリックはそれを上へ下へ向けた。
「ではいきます。一、二……三!」
窓枠に置いたシルクハットを、伸縮可能なステッキで叩く。掛け声とともにパッとシルクハットを上げてみれば、中から白いウサギがちょこんと現れた。シンディが息を呑みこむ音がした。
「このウサギ……依頼人からの贈り物らしいよ」
「…………」
「お詫びだ……とかなんとか言ってたけど」
「…………」
「あの、聞いてます?」
シンディは、ぼんやりとした表情のまま、カチャリと窓を開けた。そのことに、デリックは思わずあんぐりと口を開けた。滅多に窓を開けたことがなかったのに、ウサギ一匹で彼女の心が絆されたというのか。
「あ……どうぞ」
物欲しげな目で見られたので、デリックは慌ててウサギを差し出した。
「……あったかい」
おずおずと差し出された彼女の手は、ウサギの柔らかな体毛に包まれた。しばらく彼女は恍惚とした表情でウサギを撫でていた。
さすがのデリックも、この一連の彼女の行動には呆気にとられるばかりだったが、喜んで受け取ってもらえたことには変わりはないようだ。
これで大手を振って事務所に帰れる。
デリックが笑みを浮かべるのも無理はなかった。
「では、喜んでもらえたようで」
小さく声をかける。ハッとしたようにシンディは顔を上げた。
「俺は帰りま――」
「まっ、待ってください!」
シンディの慌てたような声に驚いたのは、何もデリックだけではなかった。シンディの手の中にいたウサギも、ピクッと耳を揺らした後、ぴょんと部屋の中に降り立った。テーブルを介して動き回る。
「あっ……あ!」
「あのー、俺もう行きますよ?」
「ま……待って! お願い!」
必死の形相で引き留められ、デリックも帰る機会を失ってしまった。ムスッとした顔で彼が振り返ると、シンディはぶんぶんと勢いよく首を振る。
「ひ……引き取って行ってください! 無理です、この子……いただけません!」
「え? でも――」
「無理です!」
泣きそうになりながらシンディは叫ぶ。が、相変わらずウサギは捕まえることができないようで、追いかけっこのように部屋の中を駆け回ってばかりだ。デリックも困って頬を掻く。
「……ウサギ、嫌いなんですか?」
嫌そうには見えなかったけど。
そんな風に思っていたら、シンディの動きがはたと止まった。
「――大好きです」
ぽつりと呟かれた言葉に、デリックの動きが止まる。
大好き? ……ああ、ウサギのことか。
「でも……でも、どうして手紙の方がそのことを? ……怖いです。偶然かもしれませんけど……でもやっぱり受け取れません」
断固とした瞳に言い切られ、デリックは思わず空を見上げた。
しかし、受け取り拒否されたものを、まさか無視してそのまま置いて行く訳にはいくまい。
「……分かりましたよ。でもそれなら早く捕まえて」
「えっ……あ、はい!」
慌てた様にシンディはウサギを捕まえることに専念するが、ウサギは慣れない場所に緊張しているのか、寝台の下から一向に出る気配が無い。
「…………」
どうしましょう、と言いたげなシンディと目が合う。
「あーもう! 面倒くさいなー」
「すみません……」
項垂れるシンディに、少し言い過ぎたかとデリックも声を落とす。
「……分かった。じゃあこうしよう。ここには一週間後にまた来るから、その時までにちゃんと捕まえておいて」
「いいんですか?」
「他の仕事のついでに寄るからいいよ。とにかく君はそのウサギ捕まえることだけを考えてて」
「はい」
項垂れながらもシンディは頷いた。しかしすぐに、デリックの様子を窺うようにおずおずと顔を上げる。
「……あの、注文をつけるようで申し訳ないんですけど……」
「なに」
「依頼人の方には……上手く伝えておいてもらえますか? 必ずウサギは一週間後に返しますので、どうか――」
「…………」
切実なシンディの瞳に、デリックは僅かに瞳を揺らした後、すぐに頷いた。彼女にしてみれば、確かに一瞬でも受け取ったということは隠しておきたい事実だろう。付け入る隙があった、などと依頼人に思われたくはないはずだ。
「分かりました。上手く言っておきます」
「ありがとうございます……!」
晴れやかな笑みに見送られ、デリックは闇夜に姿を消した。そんな呑気にしている暇があったら、さっさとウサギ捕まえてよ、などとぼんやり考えながら。