05:迷子のような


 大木の前で、デリックは珍しく焦ったような表情でその場を行ったり来たりしていた。頭にあるのは屋敷の二階にいるであろう少女のこと。
 先日は言い過ぎた……と、デリックは少なからず反省していた。
 もともとデリックは飄々とした性格をしているので、彼の無神経な発言で誰かと衝突することは多々ある。が、デリックだって素を出す相手は考えているからこそ、衝突と言っても軽いもので済んでいる。――のだが、今回ばかりは相手が悪かった。というより、こちらが無神経すぎた。
 相手の立場になってみれば、簡単なことだったろうに。
 全く知らない男性からの手紙。相手は、こちらの名前も住所も知っている。そんなの、か弱い少女からしてみれば恐怖以外の何物でもないだろう。
 頑なに手紙の受け取りを拒否するシンディの瞳には、紛れもない恐怖があった。あの時、彼女に叫ばれたあの時、デリックは初めて気づいたのだ。彼女が、ただ単に気まぐれで拒否しているわけではないのだと。
 デリックはすっかり項垂れて腰にぶら下げているブツを見やる。
 我ながら、柄じゃないものを買ったものだと思う。しかし仕方が無かった。仕事中一向に身が入らず、頭に浮かぶのはあの晩の少女の恐怖におびえた表情ばかり。
 手紙を届ける最中、ふと目に着いた店で、衝動的に一つ洋菓子を買ったとしても、仕方がないといえるだろう。
「あー……」
 考えても埒が明かないと、デリックは意を決するとずんずん木に上り始めた。これほどの大木はあまり上ったことは無かったが、ここ何度か来ているので、もはや手慣れたものだった。
 いつもの定位置に到達すると、デリックは深呼吸して窓を覗き込む。部屋の向こうは真っ暗で、寝台の毛布がこんもりと盛り上がっているのが目に入った。
「あの……」
 声をかけるが、その盛り上がりに反応はない。
 狸寝入りか、はたまた本当に寝ているのか。
「起きて……ます?」
 躊躇いがちに声を出すが、彼女はピクリとも動かなかった。
 寝ているのか起きているのか。
 もはやデリックはもうどうでもいいと思った。むしろこの方が都合がいいかもしれない。面と向かって謝罪をするのは気恥ずかしいし、かと言って謝罪もなしにうやむやにするのはデリックのなけなしの正義感に反する。
「――悪かった」
 思い切って声を出した後、デリックは流れるように続けた。
「この前は……その、言い過ぎた。君の気持ちも考えずに……無神経だった」
 寝台の盛り上がりの反応を窺うのも恥ずかしかった。デリックはさっさと懐から包みを取り出す。
「これ……」
 そして窓枠にことりと置いた。
「いらなかったら捨てても構わない。せめてもの……謝罪の気持ちというか」
 それだけ言うと、デリックはさっと身を翻し、木を降り始めた。誰かも分からない贈り物に、あの少女はきっと恐怖を抱くかもしれないが、デリックは構いやしなかった。とりあえずは謝ったということで、胸のつかえが下りた気分だった。
 しかし今宵はまだ終わっていなかった。
 キーッと軋む音に彼は顔を上に向ける。ゆらゆらと瞳を揺らめかせているシンディと目が合った。
「――あの」
 躊躇ったように口を開いた後、彼女は唇を少し震わせた。見ると、彼女は薄い寝間着一枚だ。秋も深まってきた夜だ。そんな恰好では寒いだろう。デリックはぼんやりとそんなことを考えていた。
「……私も、すみませんでした」
 思いもよらなかった言葉にデリックは目を丸くした。ポカンとシンディを見上げる。
「きつく……怒鳴ってしまって。本当に……ごめんなさい。私も申し訳なく思っているんです。手紙を受け取るだけなのに、それであなたの仕事は終わるのに、でも」
 デリックは何か言おうと口を開きかけるが、シンディは更に言い募る。
「私……男の人が苦手で……知らない人からの手紙、受け取りたくなくて」
「…………」
「以前……嫌な目に合って、それで」
 シンディの言葉は、尻すぼみに消えていく。
 まるで、迷子のような瞳だった。助けてほしいと、まるで誰かに切実に訴えかけているような瞳。
 デリックは思わず目を逸らしていた。言い訳のように、言葉がどんどん口から飛び出す。
「もう、いいですよ。俺も気にしてません。確かに俺は手紙を届けるだけが仕事ですけど、多少の自由は利くんです。依頼人の方にも伝えておきます。刺激しない程度に」
「いいんですか?」
「大丈夫ですよ。まあ多少は上司にグチグチ言われそうですけど、まあいつものことだし」
「ありがとうございます……!」
 シンディは柔らかく微笑んだ。初めて見る笑みだ。デリックは再び目を逸らした。
「ではお願いします。あっ、後これもすみません」
 シンディは窓枠に置いてあった洋菓子の包みを持ち上げた。デリックは照れたように苦笑した。
「お詫びだから気にしないで」
「いいえ、ありがとうございます」
「うん」
「お休みなさい。お気をつけて」
「お休み」
 もう半分降りかけていた途中だったので、地面に降り立つにはそう時間はかからなかった。
 ありがとうございます、と言われることはあれど、おやすみなさいなんて言われたことは無かったなーと、デリックはのんびり考えながら、その日は帰路についた。