37:家族会議


 侍女に呼ばれ、シンディが階下へ降りれば、すぐに居間に案内された。そこには難しい顔の母テレーゼが座っていて……半ば予想通りの光景に、シンディはもはや戸惑う暇もなかった。

「どうぞそこに」
「はい」

 示された椅子に座れば、テーブルの上に広がる釣書が一番に目に飛び込んできた。思わずシンディが顔をしかめれば、そんなことお見通しだと言わんばかりにテレーゼは肩をすくめた。

「舞踏会も終わったことですし、そろそろあなたのことも考えなくては、と思いまして」
「結婚、ですか」
「そうです。しばらく噂が落ち着いてからとも思ったのですが、先延ばしにして良い方向に進むとも限りません。相手に不足がないうちに決めた方がいいと判断しました」
「この方達が……皆、私に縁談を申し込んだ方達ですか?」
「そうですが」

 テレーゼの返事に、シンディは驚きを隠せなかった。
 バラード家を相手取ってシンディが裁判を起こしたことは、社交界中に知れ渡っていることだろう。にもかかわらず、ブランドン家と縁を持ちたいということは、バラード家が怖くないのか、それともそれを鑑みてもブランドン家と親戚になりたいということか。
 考えれば考えるほど嫌な方向に思考が沈む。
 シンディはテレーゼに視線を合わせた。

「あの、お母様」
「何ですか」
「私がこの方達と結婚することで、ブランドン家に何か利益があるんでしょうか?」
「利益?」

 被害者だとはいえ、バラード家に楯突いたブランドン家の行く先は暗い。にもかかわらず婿入りを申し込んでくるというのは、バラード家どうのこうのよりも、ブランドン家の地位、財産が目当てということ。それだけ家格の低い相手ならば、ブランドン家に何か利益はあるのだろうか。――もしも利益のない結婚ならば、自分には何の意味があるのだろう。
 テレーゼは眉間の皺を深くし、視線を逸らした。

「まあ、私たちの地位を思えば、利益はないに等しいですね。全て伯爵以下の身分の次男か三男ばかり。それも、成り上がりの新興貴族か没落した貴族などなど……。相手に多大な利益はあっても、こちらには雀の涙程度でしょうね」

 清々しいほどの言い切りである。

「ですが、それでも今は有り難い相手でもあります。今はとにかく早く結婚して、あなたの醜聞を覆い隠さなければ。結婚して数年も経てば、元の状態に戻るでしょう。今はとにかく我慢です」

 そういって眉間の皺をもむテレーゼに、シンディは一層縮こまった。

「お母様、本当に申し訳ありません。私のせいで……」
「過ぎたことは仕方ありません。今後のことを考えねば」

 手を挙げて侍女を呼び、テレーゼはお茶のおかわりを申しつけた。

「こんな時にこんなことを言うのは忍びないのですが……」

 しかし、今言わなければ一生後悔しそうな気がした。両手に力を込めて、背筋を伸ばす。

「好きな人がいるんです」
「は……?」
「ですから、結婚はもう少し後にしていただけませんか?」

 一瞬呆けたように固まるテレーゼだったが、やがて、額を片手で押さえ、長い長いため息をつく。

「相手はどなたですか」
「デリックさんと言って――」
「貴族ですか」
「……貴族ではありません」

 しゅんとして答えれば、テレーゼは思わずといった動作で天井を見上げる。

「許しません」

 そして断固とした口調で言い切った。

「ただでさえ今はあなたの噂で持ちきりだというのに、その上平民と結婚だなんて、今以上に好奇な目で見られること間違い無しですよ! もしやアーヴィンに影響されたのですか!? あなたという人は、今まで従順だったのに、家を出て行ったり裁判を起こしたり、反抗したり! 挙げ句の果てには平民と結婚ですか!」

 息つく暇もなくまくし立てられ、シンディにはもう返す言葉もない。
 思わず謝罪の言葉を述べようと顔を上げれば、丁度その時、ガチャリと居間の扉が開く。

「まあまあ母上、一旦落ち着いてください」
「なっ――」

 突然後ろから声がかかり、テレーゼは言葉を失う。血走った目で後ろを振り返れば、ニコニコと自身の息子が立っているではないか。
 驚き以上に呆れが襲ってきて、テレーゼは頭を抱えた。

「またあなたはいつもここに顔を出して……。一体どれだけ油を売れば気が済むつもりですか。マレット家当主としての自覚を持ちなさい!」
「何とか暇を見つけて顔を出してるに過ぎませんよ。妹の一大事じゃありませんか」

 颯爽と歩くと、アーヴィンはシンディに隣に腰を下ろした。両手を組んで、スッと真剣な雰囲気を身に纏う。

「僕もデリックのことは知っていますよ。シンディが辛いときにいつも側にいてくれた、面倒見のいい子です。現に僕も信頼してますし」
「あなたが信頼しようと、私からすれば信用に欠けますが」
「耳に痛いお言葉ですね。……あっ、お茶のおかわりが来たみたいですよ」

 アーヴィンが片手を挙げれば、居間の入り口でオロオロとしていた侍女が入ってきた。本当のことをいえば、お茶のおかわりはもうずっと前から準備ができていたのだが、テレーゼの怒鳴り声に、入る機会を失ってしまっていたのだ。
 三人に新たなお茶を注ぐ侍女。
 彼女に皆の視線が向いていたとき、アーヴィンが動いた。

「なっ……何をするんですか!」

 驚いたシンディは、反射的にアーヴィンの身体を押しのけた。突然アーヴィンがシンディの身体を抱き寄せ、そして顔を近づけてきたので、咄嗟の反応だった。
 なにが何だか分からないといった表情のシンディには何も言わず、アーヴィンは芝居がかった仕草で大きく首を振った。

「ご覧になりました? シンディは兄であるこの僕に触られただけでこのような拒絶反応を起こすんです。他の男性ならなおのことでしょう。こんな状態の彼女が、見も知らない男性と結婚できるとお思いで?」
「……そんなに酷いのですか?」
「酷いですよ、もちろん。僕とダンスをするときですら、震えてましたし。……でも、デリックは別だよね? いつも楽しそうに話してたし」
「えっ? あ……」

 あわあわと視線を彷徨わせ、結局シンディは下を向いた。男性が苦手なのは確かだが、多少触れることくらいはできるし、でもデリックが特別というのは事実だし……。
 兄の言うことは、事実でもあれば、多少言い過ぎな面もある。一言に事実だとも言い切れないので、嘘の言えないシンディは、困り果ててしまった。
 その様を、事実だと見たテレーゼは、額を手で押さえる。 いざ結婚が決まったときに、実は花嫁は男性が苦手で、なんて言い訳は通じない。いつかは克服できるかもしれないが、一体それはいつのことになるやら。

「……あなたたちの言い分は分かりました」

 重苦しい表情で、テレーゼは一言口にした。

「今日はもう疲れました。少し休みます」
「あっ、お母様……」

 珍しくフラフラとした足取りなので、シンディが支えようと立ち上がるのだが、それを制してテレーゼは侍女の手を借りて行ってしまった。