35:本当の気持ち


 正装を身に纏ったデリックを見るのは初めてで、シンディはまじまじと彼を見つめた。いつもは動きやすい軽装か、機能性重視の格好ばかりで、きちんと上着を羽織った姿を見るのも物珍しかった。

「お似合いです」

 思わずシンディは漏らす。デリックは途端に嫌そうな顔になった。

「……君以外からそんなことを言われたら、からかっているのかと怒っていたところだった」
「……? からかったつもりはなかったんですけど……」
「うん、君はそうだろうね」

 いまいちよく分からない返答にシンディは首を傾げる。しかし、すぐに先ほどのことが頭に浮かんだ。

「そういえば、お兄様が呼んでらっしゃるというのは――」
「ああ、あれは方便。他になんて言えばいいのか分からなかったから」
「……そうですか。でも、ありがとうございます」

 助けられたのは嬉しいが、あんな所を見られてシンディは恥ずかしかった。いつも自分は助けられてばかりで、一人では何もできないという事実を突きつけられるようで。

「でも、一人でこんな暗がりに行かない方がいい。何があるか分からないから」
「……はい、そうですね」

 自分の危機管理能力にもほとほと嫌気が差していた。以前嫌な目に遭ったのだから、それ相応の防衛をしなければならないというのに。

「…………」

 それからは、言うことがなくなったのか、シンディとデリックとの間で沈黙が流れた。この気まずい空気に、シンディは思わず視線を下に下げる。
 せめて、顔見知り……いや、友達くらいには戻りたいと思っていた。届け人と客という関係でもない、ただの友達に。顔を合わせたら、そつなく世間話ができるような。

「あ、あの――」
「こんな所にいたのか。探したぞ」

 シンディが口を開きかけたとき、また新たな来訪者がやってきた。背の高い男性だ。
 逆光に、よく見ようとしばしシンディは目を凝らしたが、その人物にようやく検討がつくと、ハッとして居住まいを正した。

「でっ、殿下……!」
「衛兵に聞いたらもう着いてると。しかし会場を見渡してみてもお前の姿はない。全く、お前は庭を散策するような柄だったか?」
「いや……そういうわけでは」

 そこまで会話したところで、殿下――フェリクスは、初めてシンディに気づいたようで、彼女に顔を向けた。

「こちらの彼女は?」

 そう口にしたところで、すぐにパッと片手を挙げた。

「いや、待て。見覚えがあるな。確か……ブランドン伯爵家の令嬢だったかな?」
「はい、殿下。シンディ=ブランドンと申します。お会いできて光栄でございます」

 シンディはギクシャクと挨拶をした。このような間近で王族に会うことなど初めてで、何か粗相をしてしまうのではないかと緊張して声がうわずった。

「二人で庭を散歩していたのか? デリックもなかなかやるな」
「え? いや……」

 チラッとシンディに視線を向け、デリックは口ごもる。

「女の影もなかったのに。彼女と恋仲なのか?」
「いえ、私たちはそのような関係ではありません」

 シンディはやんわりと否定の意を述べた。

「そんなことを言っては、デリック様にご迷惑が――」
「め、迷惑じゃ、ない……」

 咄嗟にデリックはシンディに一歩近づいた。彼女の腕をとろうとして、そのままデリックの腕は宙で停まる。
 拙く言葉を口にしながらも、デリックはシンディと視線を合わせた。

「迷惑じゃない」

 再度、彼は口にした。

「ただ……俺は、自分が情けなくて。平民だし、性格にも難があるし、君を幸せにできるような度量もないから……。むしろ、君が俺なんかのどこを好きになったのかも分からないし。多分、この前のことで義理を感じてるだけなんじゃないかと」
「そんなことありません!」

 シンディは、デリックの腕をとった。

「デリックさんは、すごく優しいです。シロの時も、私の時も、親身になって看病してくれて。……いいえ、それだけではなくて、ふとしたときの言動にも、私に対する心配りをしていただいて、私、本当に嬉しかったんです」

 寒くないよう、窓を僅かしか開けなかったり、男性が苦手だというシンディに対し、自分からは近づかないようしてくれたり。

「……でもそれは、誰もがやることだよ。俺は……正直、最初君のことはただの客としか見てなかったし」
「そんなことは分かっています。でも、それでも嬉しかったんです」

 デリックは言葉を失い、黙り込んだ。

「私、デリックさんのおかげで勇気が出せるようになったんです。初めて手紙の主に会うときも、裁判を起こそうと思えたのも、全部デリックさんがいたからできたことです」

 シンディは、デリックと目を合わせて微笑んだ。

「私、もう一度我が儘になってみたいんです。――自分に。諦めることはできます、でも、できることがあるのなら、力を尽くしてやってみたい」

 身分違いの恋だということは分かっていた。もし母にこのことを話せば、多くを語らないうちに却下されるのがオチだろう。それでも、話し合いを重ねることはできる。もし……もしも、この恋が叶うことがなかったとしても、何もせずにここで諦めれば、一生後悔しそうな気がした。

「デリックさんはどうですか……?」

 恐る恐るシンディは尋ねる。彼の気持ちが知りたかった。この気持ちは、迷惑ではないのか、重たくはないのか。

「俺は――」
「目の前で口説かれるとは、私も随分落ちぶれたものだな」

 やれやれといった口調に、シンディとデリックはハッとして顔を上げた。

「私はお邪魔かな? おいとました方がいい?」
「も、申し訳ございません!」

 シンディは、慌てて深く頭を下げた。
 フェリクスには申し訳ないことだが……すっかり存在を忘れていたのた。その上、今の一連の流れを、すぐ近くで見られていたことに思い至り、シンディの顔は自ずと熱くなる。

「失礼しました」

 デリックも気まずい様子で少しだけ頭を下げる。
 だが、フェリクスはさして気にした風ではなく、むしろ、面白そうに口元を緩めた。

「お前達の関係はよく分からないが……。デリックに問題があることは分かった」
「えっ」

 一瞬驚いたようにデリックはフェリクスを見たが、すぐに自分でも納得したのか、僅かに項垂れる。
 フェリクスは、その様子をさも面白そうに眺めていた。

「デリック、お前は本当に昔から自信がないな」
「自信……は確かにないかもしれませんが」
「大胆不敵に見えて、実は自分に自信がないだけの臆病者」
「はっ!?」

 あんまりな物言いに、デリックは目を剥いて固まった。しかし言い返すようなことはしない。難しい顔で、そうだろうかと自問自答していた。

「あ……えっと、そうですか?」
「ああ。自分のこととなると極端に臆病になる」
「はあ」

 いまいち釈然としないデリックに、フェリクスは顔を寄せた。

「――お前に仕事を頼みたい。難しいが、きっと今後役に立つだろう仕事だ。後で私の部屋に来い」
「はい」

 途端に仕事の顔になり、デリックは真面目な顔で頷いた。それを満足げに見ると、フェリクスはシンディに視線で挨拶をすると、そのまま王宮へ向かっていった。彼の姿が見えなくなったところで、シンディは窺うようにデリックを見た。

「殿下とお知り合いなんですか?」
「まあ……ちょっと、仕事を依頼されたことがあって」
「そうなんですか」

 あの恐れ多いフェリクスと対等に話しているように見えて、シンディは驚嘆の思いだった。もっと色々と聞きたいような気もしたが、王族の仕事の話、というものにこれ以上踏み込む勇気もなく、シンディは後ろ髪を引かれる思いで諦めることとなった。

「シンディ!」

 その時、丁度王宮の方から、アーヴィンの声が聞こえてきた。挨拶回りが終わったのだろうか、それとも、もう帰ろうと母が兄のことをせっついているのか。

「戻ろうか」

 デリックの言葉に、シンディは小さく頷く。

「あの、でも私……」

 きびすを返すデリックの服の裾を掴み、シンディは彼を引き留める。

「今日はこうしてデリックさんと直接話せて嬉しかったです。いつも、窓越しでしか話したことがなかったから」

 ダーウィンという手紙の主――その正体は兄だったが――に会うときや、ファビウスと一悶着会ったときなど、デリックとは二度、直接話はしていた。が、そのどちらも緊張と恐怖で、それどころではなかった。実質、今回が初めて、シンディにとって同じ目線でデリックと話した瞬間だった。
 窓から見えるデリックの身体は小柄に見えたが、やはり同じ地面に立つと、自分よりも背が高いんだとか、窓越しの時よりも距離が近く感じるとか、まるで、デリックが窓枠という額縁から飛び出してきたように感じて、シンディはドキドキしてばかりだ。

「シンディー」

 兄の声が近い。
 シンディはもう一度微笑むと、小さく頭を下げてそのまま王宮の方へ駆けていった。後に残されたのは、僅かに頬を赤くして、小さくため息をつくデリックのみ。