03:捨てられた手紙


 冷淡に追い返されて早一日。
 もう会うことは無いだろう、そう思っていたのだが、届け人デリックは再び例の少女の窓の下にいた。
 つい昨日の出来事のせいか、デリックの頭には今も鮮明に記憶に残っている。あの少女の、すごく迷惑そうな顔が。
 はあ、と一つため息をつくと、デリックは木に上り始めた。これも仕事だ、と半ば諦めながら。
 そもそも、今回の依頼人ほどの上客はなかなかいない。依頼料が途方もなく大金であることに加え、依頼内容は至って簡単。とある少女の元へ手紙を届けてほしいと、ただそれだけだ。
 もともと届け人の依頼料は、基本料金に加え、届ける距離によって料金が多少上がったりする程度だ。時々それにオプション料金を加えることで幅広い演出が加えられたりするのだが、今回はまた訳が違った。夜に届けてくれ、ということ以外は特に何も指定されていないにもかかわらず、依頼人は多額の金額を提示してきたのだ。
 それはもうもちろん、デリックの上司は、目の色を変えてデリックに叫んだ。丁寧に、ものすごく丁寧に手紙を届けろ、と。
 デリックが元来適当な性格をしていることを承知の上でのこのお言葉。デリックは少々不貞腐れ、俺だってやるときはやりますよ、と啖呵を切って手紙を届けに行った昨日の夜。結果はもちろん惨敗だ。丁寧に届けるどころか、相手には受け取ってすらもらえなかった。
 上司は嘆いた。嘆きに嘆きまくり、また言った。お前、明日もう一度行ってこい、と。更には適当なオプションをもつけろとのお達しも出ている。それを依頼人からのオプションとすることで、相手を懐柔するとの計画らしい。
 デリックとしては、そんなにうまくいくもんかねえ、などと斜に構えた態度ではあるが、一応使命に燃えてはいる。何せ届け人の仕事は歩合制なため、達成されなければその報酬もないという無情っぷり。
 何としてでも今日こそは手紙を届けなければ、とデリックは静かにだが、確かにやる気に満ちていた。

*****

 さて一方シンディの方では。
 届け人のことなど、もはや靄のようにすっかり消えかかっていた。お茶の時間に届け人について話が盛り上がっていたのは事実だが、もう会うことは無いだろうと楽観視していた。手紙はきちんと突き返したし、そもそもこちらは相手のことを全く知らない。
 突き返した手紙を懲りずにまた送る人なんてそうそういない。
 そう考えて寝台へ潜り込んだ矢先、またもや窓から声がかかった。
「あのー、すみません。手紙を持ってきたんですけどー」
 間延びしたようなあの口調。シンディは瞬時に身を固くする。
 どうして……また。
 見も知らない人からの手紙も恐怖だったが、今のシンディにしてみれば、窓を隔てたすぐ向こうに男がいる今の状況により不快感を抱いた。シンディはぎゅっと目を瞑ったまま、窓に背を向けるように寝返りを打つ。
 今度は一体何だろう。また……この前の人からの手紙だろうか。
 シンディは総毛立った。
 どうして知らない人から手紙が来るのか。一度ならまだしも二度までも。
 シンディはカタカタ震える身体をギュッと抱き締める。誰かに相談したいが、でも誰がいるだろうか。
 真っ暗な闇の中、どんどん思考が深みにはまっていく。しかしその時、思考を切り裂くように窓がガタガタッと揺れた。シンディは瞬時に飛び起きた。
「やっ……止めてくださいっ!」
 窓から侵入する気だと思った。信じられないといった瞳でシンディは睨み付ける。思ったよりも鋭い視線に、デリックは慌てて両手を上げた。
「え……あ、いや、押し入ろうなんてしてませんよ? ただ、窓の隙間から手紙を届けられないかなーと」
 空笑いをするデリックからは、狂気の色は垣間見れない。シンディは警戒心を解かないまでも、少しだけ安堵の吐息を漏らした。
「ていうか、やっぱり狸寝入りだったんですね。困りますよ、そんなことされたら」
「…………」
 シンディは寝台から動かない。またもや毛布の中に潜り込もうとした気配を感じたのか、デリックは矢継ぎ早に続けた。
「本当、手紙を届けたら帰りますんで、開けてくれませんかねー」
 デリックの困ったような声に、シンディは唇を噛みしめる。
 シンディとて、別に相手を困らせたいわけじゃない。だが、知らない人からの手紙を受け取るなど、不快なだけだ。もうあんな思いはしたくない。
「そもそも、どうして夜中に来るんですか」
「夜に届けてほしいという依頼なんです」
「……気持ち悪い」
 思い切り眉を顰めてシンディは言い放つ。
 ただでさえ想像しにくい手紙の差し出し人が、余計ぐにゃぐにゃと気持ちの悪い形に生成される。
 昼ならば、多少対応が違ったかもしれないのに、どうしてわざわざ夜に届けさせるのか。相手の思考が全く分からず、それゆえに嫌悪感しか抱かなかった。
「それを俺に言われても困りますけど」
 しかし、そんなシンディの心情をよそに、デリックはあっけらかんとそう言ってのける。そんな彼が子憎たらしく思えてきて、シンディは息を吐き出した。
「とにかく、もう帰ってください。知らない人の手紙なんて受け取りたくありません」
「そう言わずに……。受け取るだけじゃないですか。何をそんなに頑ななんだ……」
 呆れたような声に、シンディは一層身体を固くする。
「帰ってください」
 その声は鋭い。
「衛兵を呼びますよ」
「えー、そんなこと言われても……」
 デリックの言葉は尻すぼみに消えていく。そのままどこかへ行ってくれれば、とシンディは思うものの、彼はまだ諦めない。
「あ、じゃあこれだけ」
「……?」
 少しだけ、ほんの少しだけシンディは興味を覚え、そちらに視線を向ける。デリックの声が、急に明るくなったのが気になったのだ。
「ちょっと見ててくださいねー」
 デリックは木の上で居住まいを正すと、手紙を一旦窓の枠に置き、懐からハンカチを取り出したた。そしてそれをシンディに向けてひらひら振って見せる。
「ほら、種も仕掛けもありませんよね?」
「…………」
 シンディは無言で睨み続けるばかりだ。デリックはそれに苦笑したまま、ハンカチを丸める。次にそれを開いた時、パッと花びらが舞い散った。
「……!」
 シンディが目を見張ったのに気を良くし、デリックはにんまり笑った。
「まだまだですよー」
 言いながら、今度はハンカチを畳む。そして四つ折りにしたところで、その隙間から手を突っ込んだ。次に手を引き戻した時、その手には一輪の薔薇があった。
「え……」
 シンディはポカンと口を開けたままだった。すぐにデリックはハンカチを広げるが、そこには何も仕掛けは見当たらない。
「楽しんでもらえました?」
「う……」
 悔しいが、シンディは何も言えなかった。目の前でシンディのためだけに行われた手品は、意外にも頑なだった彼女の心をほんの少しだけ溶かしたのだ。
「これも手紙の主からのオプションなんですけど」
 その一言が無ければ。
 シンディは瞬時に身を固くした。そんなこととは気づかないデリックは、軽い口調で続ける。
「どうか窓を開けてもらえませんかねー。いいじゃないですか、薔薇なんてロマンチックで」
「……いりません。知らない人から頂く義理なんてありませんから」
「まあまあそう言わずに。貰ってもらわないと、これ、ただ枯れるのを待つだけですから、ね?」
 それでもシンディは動かない。
 すっかり心を閉ざしてしまった彼女に、デリックは困ったように頬を掻いた。
「じゃあ分かりました。花はここに置いておきますから、後で回収してくださいね」
「え……」
「まあそのまま花が枯れていくのを見るのも一興かもしれませんが」
「…………」
 嫌な言い方だ。
 シンディは恨みがましい視線を送るが、デリックはどこ吹く風。一歩後退し、彼は窓から離れた。
 しばらくの間、二人は相手の様子を窺いながらも動かなかった。
 シンディとデリックの間は人三人分くらい開いている。少しだけなら、窓を開けてもいいかもしれないと、シンディはふとそう思った。何より、冷たい風に身を震わせている薔薇がどうしても見ていられない。 
 シンディは警戒を解かないまま、しかしおずおずと窓を開けた。本当に小さな隙間だ。そこから手を出して薔薇をつまみ、すぐにまた引っ込めた。本当に僅かな時間だ。しかし、その瞬間をデリックがのんびり見過ごすわけがなかった。シンディが薔薇に気を取られている間に、目を細めて狙いを定め、僅かな窓の隙間からポイッと手紙を放り投げたのだ。
 届け人としてはあってはならない雑な届け方だが、今回ばかりは仕方がない。
 デリックは任務完了とばかりにっこり微笑んだ。
「まいどありがとうございましたー! さようなら!」
「ちょ――」
 シンディも当然慌てる。一旦薔薇をテーブルに置くと、すぐに手紙を掴んで窓に駆け寄った。
「これ! いりませんから!」
「返品不可ですから。じゃ、これで失礼しますね」
 デリックは身軽な様子で大木を降りていく。その姿がどんどん小さくなっていくことにシンディは焦りを覚えた。咄嗟の行動だった。
「――っ!」
 勢いよく窓を開けると、反射的にシンディは持っていた手紙を投げ捨てた。それはへなへなと下へ落ちて行き、ついには地面に辿り着く。
 そのすぐ側にデリックは着地した。緩慢とした動作で手紙を拾うと、真っ直ぐにシンディを見上げる。
 しばし、その視線が交差する。先に目を逸らしたのはシンディの方だった。デリックの責めるような暗い瞳に、耐えることができなかったからだ。
 小さく息を呑むと、急いで窓の鍵を閉め、寝台に飛び込んむ。
 大丈夫、大丈夫。私は悪くない……。
 そんな、暗示のような小言を繰り返しながら。