28:友人と共に
原告側の控え室は色めき立っていた。暑苦しい仮面を脱ぎ捨て、女性達は手に手を取り合っている。
響き渡る女性達の高らかな歓声に、自然とシンディも気持ちが高揚していく。
信じられない気分だった。――いや、今でも実際そうだ。未だに現実味が湧かない。
「やったね、シンディ!」
そんな彼女の首に、マーシャが腕を回した。顔をつきあわされ、まるで幼子のようにガシガシ頭を撫でられる。
「本当に良かった! にっくきファビウスが有罪だなんて!」
「で、でも、あのバラード家ですから、それほど重い刑にはならないのでは……」
有罪になったとは言え、相手は公爵家だ。賄賂や情報操作だけではなく、情状酌量の余地があるとして、罪が軽くなることもあるのだ。そもそも、バラード家は名のある貴族な上に、家系を遡れば王族に名を連ねる者もいる。そんな家の息子が刑に服すわけにもいかないので、おそらく金を積んで終わりになるだろう。
「そんなことはどうでもいいんだよ!」
しかし、シンディの暗い考えを、マーシャは笑って受け流した。
シンディ達は、総じてファビウスが有罪になることを熱望しているわけではなかった。自分たちを辱めたファビウスが悠々と暮らしていることが我慢ならず、また、過去の傷に苦しめられたまま今後も暮らしていくのが嫌で、声を上げただけだ。有罪にはならずとも、ファビウスの罪を日の下にさらすことができれば、それで気は済んだのだ。
しかし、思いも寄らないことに、ファビウスが有罪になった。それは、降って湧いた僥倖だった。ファビウスの罪を明らかにできただけでなく、罰を受けさせることができたなんて。
この判決は、ずっと日陰にいた自分たちを照らしてくれる希望の光となった。そのことが、今は途方もなく嬉しい。
「感謝するよ、シンディ」
シンディの両肩に手を置き、マーシャは真っ直ぐに見つめた。
「あたし達は、低い身分のせいで、ファビウスを訴えることもできなかった。すっかり自信も喪失してたし、泣き寝入りすることしかできなかったんだよ。でも、この場をもって、あいつの罪を明らかにすることができた。本当、清清したよ」
「ありがとう、シンディ」
他の女性達もシンディのことを見つめる。
この場の女性達の身分は様々だ。伯爵令嬢のシンディに、男爵令嬢、酒屋の売り子、針子にメイド。身分は違えど、同志だった。ここまで一緒に駆け上がってきた同志。
「こ、こちらこそ……」
すん、とシンディは鼻をすすった。
「私……私も、ずっと辛かったんです。あの事件があってから、母にすぐ相談しましたが、身持ちを疑われることを避けるため、黙っているように言われました。私自身も、あの人を糾弾する勇気が出ず、結局うやむやに……。でも、社交界に出ればあの人にいつも遭遇しました。社交界で噂が流れることを危惧して、周囲に悟られないよう、心底憎い相手でも笑顔で挨拶をしなければならない。そのことが、酷く辛くて――」
嗚咽に埋もれて途切れる声。
マーシャは、弱々しいシンディを、その豊満な胸で受け止めた。シンディはしばしぼうっと呆ける。
「よくやったよ、本当に。格好良かったよ、あんた」
「そ、そんなこと……。今回のことは、ほとんどマーシャさんが――」
「そんなことない」
強い声でマーシャは否定の意を示した。
「あんたがあたし達を集めて、ここまで連れてきてくれたんだからね。功労賞は間違いなくあんただよ、ね?」
確認するようにマーシャが視線を巡らせると、それにあわせて周りの女性達も各々頷く。
マーシャはシンディに向き直った。
「これからは、きっとシンディに一番辛いことが待ち構えていると思う」
シンディは、この中で一番身分が高い。マーシャも素顔と素性とを明らかにしたが、シンディの存在にすぐにかき消されるだろう。社交界の人々は、もとより下町の酒屋の売り子などに興味はなく、むしろ身分ある伯爵令嬢の醜聞の方がより興味をそそられ、そして噂になりやすいからだ。
「でもこれだけは忘れないでおくれ、あたし達は仲間だよ」
そう言い切った途端、マーシャは顔をしかめて黙る。そして考え込んだ様子で口を開く。
「いや……ファビウスに対して一致団結した仲間なんていうのは嫌だな。――友達……そう、あたし達は友達だ」
その言葉に、シンディは目を丸くした。
シンディも、社交界で、家同志の繋がりや、有益な情報を得るための伝手は手に入れていた。お茶会や夜会で、顔を合わせればしばらく談笑するような仲の女性達。
しかし、その中にシンディが心を許せるような人はいなかった。皆、どこか互いを値踏みしているような感覚があったし、何より社交界で話したことが、いつの間にか尾ひれがついて面白おかしく話をされることなどよくあることで、それを警戒していたら、友人などできなかったのだ。
「はい、また絶対に会いに行きますね。皆さんの所にも」
シンディは女性達を見回した。
この裁判に当たって、シンディは主に連絡役をしていたため、全員の住所を把握していた。もし嫌でないのなら、時々声をかけて、皆で集まってもいいかもしれない。そのことを思うと、ワクワクしてくるシンディである。
「でもさ、うちのとこに来る時は、ちゃんとそれなりの格好をするんだよ。あんた無防備だからね」
「それなりって……あれじゃいけませんでした?」
シンディはきょとんとした顔で首を傾げた。ドレスの上から地味な外套を羽織った、至って普通の格好だと思っていたのだが。
「駄目に決まってるだろ! ドレスが目立つ目立つ! どうせなら下町の雰囲気に染まるような平民の格好をして来な。あの辺りは昼間からでも酒を飲んでる酔っ払いが多いんだから、何かあっても大変だろ?」
「――はい」
この人は、心から私のことを心配してくれている。
シンディは、そのことが嬉しくて仕方がなかった。自分の中の靄が晴れたことで、素直にそういった感情を受け取れる余裕もできていた。
――今までは、自分のことしか考えられなかった。だから、これからは、もっと周りのことを見て行動できるように。
「シンディ! 良かった!」
バンッと突然大きな音を立てて控え室の扉が開いた。焦った顔でそこから入ってくるのはアーヴィンである。
「よくやったよ、シンディ! 格好良かった!」
女性達をかき分けシンディの下へやってくると、感極まって彼女を抱き締める。咄嗟のことに、シンディは目をぱちくりさせるのみだ。
「ふ、ふえええん……」
アーヴィンの騒がしい音に驚いたのはシンディだけではなく、先ほどまで昼寝をしていたマーシャの息子が泣き出した。マーシャは慌てて息子の元に駆け寄り、宥めるが、彼女以上に慌てたのはアーヴィンだっだ。
「ああっ!? ご、ごめんよ! 悪気はないんだ! え、えっと……どうしよう? 大丈夫?」
兄の威厳など形無しで、弱り切った表情で彼は男の子を覗き込む。
純粋で素直な彼の一連の行動に、なんだかおかしさがこみ上げてきて、その場の女性達が残らず噴き出してしまったのは仕方のないことだろう。