17:二通の手紙
シンディの兄、アーヴィンとカフェで再会して以降、シンディは度々彼からの手紙を受け取っていた。彼が手紙の主だと知ってからは、シンディもそのまま手紙を突き返すようなことはしなかった。読みもしないというわけではない。ちゃんと中身も読んでいる。ただ、それに対して返信するかどうかは全く別の話だが。
シンディは、同時に外出もしなくなっていた。外に出れば、またアーヴィンに遭遇するのではないかという怯えと嫌悪が抜けないのだ。シロの餌については、家にあるものでまかないきれないので、仕方なくヘレンやカリーナに打ち明けた。といっても、兄からの贈り物だと、嘘とも真実とも言い切れないことだけだが。そうしてカリーナに買い物のついでにシロの餌や通院を頼んでしのいでいたのだ。
外出もできずに、頼みごとばかりしている自分のことを、シンディは時折情けなくて仕方がなかった。しかし、ここへ来たばかりの時もそうだった半年前のことを思うと、なんとかなるのではないかと思わずにはいられなかった。半年前だって、外出が嫌で嫌で仕方がなかったが、あるとき猛烈に太陽の光を浴びたくなって、外に出たのだ。そのときの高揚した気分の心地よさと言ったら!
事件後間もないあのときですら外出できるようになったのだから、今回も。
シンディはそう思うことで、今の自分の惨めな状況について、考えないようにしていた。
アーヴィンからの手紙は、始めこそ疑問文ばかりで、まるでシンディに返信を示唆しているかのようなものばかりだったが、最近は自分の結婚後の心境報告が多くなってきて、シンディとしては嬉しかった。返信云々はともかくとして、兄の今の状況について知れるのは嬉しかったのだ。結婚してすぐに家を出て行った彼は、一度も実家に帰ってこず、消息もほとんど分からなかったのだから。
デリックからアーヴィンの手紙を受け取ると、シンディはその分厚さに、まず困惑示した。
「お兄様も暇人ですね」
そう呟くシンディの口元には、知らず知らず笑みがこぼれていた。それを見てデリックも無意識のうちに頬を緩ませる。
「返信はしないの?」
「……どうでしょう。もうそろそろ、いいかなとは思うんですけど」
兄のこととなると、途端に素直ではなくなるシンディだ。手紙を一旦テーブルに置くと、デリックに向き直った。
「あの……その場合、デリックさんにお願いすればいいんでしょうか?」
「うん、お兄さんの住所は分かってるし、俺に渡してくれれば」
「そうですか……。あの、では次回お兄様の手紙を持ってきて頂くときに、私の手紙もお願いしても?」
「いいよ」
顔を見合わせると、二人はなんとなく笑った。
相手が笑ったから、自分も笑った。
それぞれその程度の認識だろうが、本当のところは、ただ同時に笑っただけのこと。今となっては二人には知る由もないが。
「あ、そういえば」
デリックはふと思い出して、懐からもう一枚の手紙を取り出した。実は、シンディ宛にもう一通手紙があったのだ。彼女の部屋について早々、二枚一緒に出すつもりだったのだが、デリックの姿を見つけた途端、素早く窓を開ける彼女の仕草から、なんとなく兄からの手紙を心待ちにしている様が想像できて、まずはとアーヴィンの手紙だけを渡したのだ。
デリックが取り出した手紙は、上等な代物だった。侯爵家に婿入りしたアーヴィンのそれよりも一層上質だと分かる紙質に、複雑な文様の家紋。デリックにはその家紋がどこの家のものかは分からなかったが、相当の身分のものだろうことは容易に想像がついた。
「はい、これ」
「――ありがとうございます」
シンディの方も、多少なりとも困惑は見せたが、素直に手紙を受け取った。アーヴィンの件で、手紙に対する抵抗が薄くなっていたのだ。何気なく手紙を裏返して、そして固まった。――また、この名を目にすることがあろうとは。
「知り合い?」
シンディの奇妙な表情に、興味を引かれたデリックは、思わずそう問うた。シンディもハッとして顔を上げるが、デリックと目が合っても、彼女の口は開かない。
「どうしたの?」
純粋に聞き返すデリックに、シンディは押し黙り、手の中の手紙を見つめた。
――受け取り拒否を、したい。
だが、今までだって兄のことで困らせてきたのだ。今回も受け取り拒否だなんて、彼に迷惑ではないのか。
「……なんでもないです。手紙、ありがとうございます」
小さく笑って、シンディは頭を下げた。
「返信、とかは」
「大丈夫です」
きっぱり断ると、シンディは机の前に進み出た。
誰が、あんな男――ファビウス=バラードなんかに、返信するものか。
シンディは、ファビウスからの手紙を、自分の目の届かないところ――引き出しの、一番奥深くに押し込んだ。