14:手紙の主
手紙の主から指定された当日、シンディは暗い面持ちで準備をしていた。今日、うまくいけば、煩わしい思いから解放される。でも同時に――。
考えていても仕方がない。
シンディはしっかり着込むと、すっかり寒くなった外に足を踏み出した。といっても、寒さはあまり感じられなかった。早く今日という日が終わってくれればと願うばかりである。
勢いよく門を出たところで、シンディの足は止まった。と同時に、しっかり決意を固めていた心が、へなへなと萎んでいくのを感じた。
「――デリックさん」
「どうも」
情けなくなって、シンディは思わず俯いた。どうして、彼がこんなところに。
それはそのまま声になった。
「どうして、ここに?」
「……不安かな、と思って」
シンディは言葉に詰まり、何も返さなかった。
ただの客なのに、どうしてここまで心を砕いてくれるのか。
待ち合わせをするなら、直接その場所で構わないのに。
シンディは深く考えないようにすると、そのまま歩き出した。数歩遅れてデリックも続く。
「どんな人か、ご存じですか? 相手の方……」
他にするべき話題が思い浮かばなくて、シンディは仕方なくそれを口にした。この関係に、もともと豊富な話題などないのだ。
「いや、俺もよくは知らない。遠いところに住んでるらしくて、手紙でしかやりとりしたことがないから」
「そう、ですか」
誰も知らない人と、今から会うのか。
一人ではないとは言え、シンディは不安で堪らなかった。
いつしか、二人は並んで歩いていた。デリックの方が歩くのが速かったが、彼がシンディの歩く速さに合わせた形だ。
……こうして、二人並んで歩くのは初めてのことなのに、全然楽しくない。シンディはそのことが悲しくて堪らなかった。すれ違う人全てが、心底楽しそうに話しながら連れ立っているのもシンディを落ち込ませている要因の一つだ。彼らを見ていると、自分の無力さが、むなしさが、浮き彫りになってしまうから。
待ち合わせ場所として指定されていたのは、植物園だった。冬でも楽しめるよう、温室が設けられているため、非常に寒い今の時期は、逆に家族連れや恋人達に人気となっている。
……何のために、手紙の主がここを指定してきたのかは謎だ。シンディとしては、一言もの申してそのまま去るつもり満々なのだが。
庭園の入り口では男女が待ち合わせをする姿がよく見受けられた。シンディ達も、ちょっと見渡して、手紙の主がいないことを確認すると、手持ち無沙汰に枯れ木のすぐ側に身を寄せた。楽しそうに男女が連れ立って行くのを尻目に、二人は別々の方向を向いて手紙の主を待った。
待ち人は、なかなか現れなかった。植物園の目の前に位置している大きな時計塔が、約束の時を告げたが、それでも来ない。シンディは若干腹立たしくなってきた。自分で時間と場所を指定しておきながら、その時間に遅刻するとは――。
「シンディ!」
「――っ!?」
突然、衝撃と共に背中がぬくもりに覆われ、シンディは戸惑った。下を見ると、男のものと思われる大きな腕が自身のお腹に回され、耳元には熱い吐息が。
「良かった、来てくれないと思ってたよ」
「あっ……やっ」
一体誰が、こんな、急に、ひどい。
たくさんの言葉が頭の中に溢れたが、そのどれも声になることはなかった。ようやく声になったのは、たった一言。
「……止めて……」
それすらも、力のない細い声として、頼りなく風に散っていく。
「突然なんなんですか! 彼女から離れてください!」
デリックも声を荒げる。しかし男の方は、聞く気がないようで、一向に腕の力を緩めない。
「あ、もしかして君がデリック君? 助かったよ、シンディとの橋渡しになってくれて」
「嫌がってるのが分からないんですか!?」
「え? いや――」
デリックは力強く男の腕を掴む。
「な、何をそんな怖い顔で――」
「は、なし……」
「離れてください!」
シンディのか細い声に、デリックはついに動いた。無駄に馬鹿力の腕を解くことを諦め、無防備になっていた男の顔を殴りつけたのだ。
「いっ!?」
男は思わず腕を放すと、左手で頬を押さえた。信じられないといった顔でデリックを見上げた。
「な、何するんだよ!」
思わず男は叫ぶが、この場に彼を哀れむ者はいない。むしろ、冷ややかな視線だけが注がれる。シンディはというと、まだ彼に背を向けたままだ。両腕で己の身体をかき抱くようにする。
「ひ、酷いよ君たち……」
思わず男は涙目になってシンディに手を伸ばした。
「シンディ、そんなに僕のことを恨んでるのかい? たった一人の兄じゃないか……。許してくれとはいわないが、せめて話だけでも聞いてくれたって――」
「えっ」
シンディとデリック、二人が同時に固まった。シンディは恐る恐る振り返った。幼い頃から見慣れた、茶色の瞳と目が合う。
「お、兄様……」
「君もひどいじゃないか! 話も聞かずに突然殴るなんて!」
兄と名乗るその男は、デリックに指を突きつけた。デリックも困惑気味に首を傾げる。
「あ……え、お兄様でいらっしゃったんですか……?」
「そうだよ! 僕は正真正銘シンディの兄さ!」
「シンディさん宛てに手紙を書いてらっしゃったのも……?」
「僕だよ!」
憤慨したようにその男は叫ぶ。デリックは、未だ疑いの目つきで、今度はシンディに目を向けた。
「……本当にお兄さんなの?」
「そうだよな、シンディ!?」
二人の視線がシンディに降り注いだ。シンディはギュッと唇を噛みしめ、力一杯スカートの裾を握り、そして――。
「知りません、そんな方!」
「ええっ!」
男の絶望したような声と、デリックの「やっぱりか!」という叫びが重なり、事態はまたもや混迷を極めた。