07:理想の家族
秋も深まった頃、バーナード家はマティアスの家メイリーに招待された。何度もマティアスがバーナード家に及ばれているので、たまにはというメイリー家側からの計らいだ。
メイリー家の領地には、馬車で行くことになった。都会から外れるにつれ、舗装されていたはずの道は、次第に砂利道に変わり、固い馬車に長時間座っているハリエット達にしてみれば、体力はすぐに消耗していった。
「ねえ、一体いつになったら着くの?」
すっかりふて腐れた様子で、グレンダはそう問う。バーナードはそれに疲れた笑みを返した。
「もうそろそろ着く頃だが。我慢しなさい」
「分かってるけど……」
「でも、思ったより早い時期に相手側と顔を合わせることになるのね」
カミラはグレンダの気を紛らわせるように口を挟んだ。
「相手もまだそんなつもりではないとは思うけれど、少し緊張するわ。もしかしたら、ハリエットの旦那様の両親になるかもしれない方達だものね」
カミラが笑みを浮かべてハリエットを見る。ハリエットはそれに応えようとしたが、一歩遅く、グレンダに先を越される。
「でもどうかしら」
グレンダはつまらなさそうに髪を弄った。
「お姉様、堅物ですもの。マティアス様は合わないんじゃないかしら。お姉様にしてみたって、マティアス様は趣味じゃないんでしょう?」
確信するような言い方に、ハリエットは内心首を傾げた。何を思って、彼女はそんな風に思っているのか、と。
やがて、その疑問がそのまま口から飛び出す。
「私は気に入ってるわ」
一瞬、その場の空気が固まった。
「誤解させてしまったのならごめんなさい。私、マティアス様のこと、結構気に入っているの。素敵な方だと思うわ」
「なっ――」
「ハリエット、それは本当なの?」
カミラは嬉しそうに両手を合わせた。
「ああ、嬉しい。あなた、本当は異性なんて興味がないんじゃないかしらと思ってたから、すごく嬉しいわ。いいわね、私は良いと思うわよ。マティアス様、すごく素敵だもの」
「ああ、そうだな。私も気に入っているよ」
「ありがとうございます」
そんな二人に、ハリエットは穏やかな笑みを返した。
目の端で、悔しそうに唇を噛むグレンダの姿が映った。
*****
メイリー家に着くと、メイリー家は総出でバーナード家を出迎えた。がっしりとした体躯のメイリーと、それとは対照的で、線の細い夫人ティルダだ。
「このような辺境の地まで、わざわざご足労頂き、ありがとうございます。バーナード様」
「いえいえ。こちらこそご招待頂き、ありがとうございます。しばらくの滞在、よろしくお願いします」
「精一杯おもてなしさせて頂きますね」
到着したのは、もう昼過ぎだったので、そのまま一行はメイリー家で昼食をとった。この辺りの郷土料理や、とれたての魚料理に舌鼓をうちながら、様々な話をした。政治的な話から、社交界の話、そして何より、年若い二人の話についても。
ハリエットは、マティアスの両親に好感を持っていた。聡明で、落ち着いていて。彼らからあのマティアスが生まれたというのも頷ける。あの妙に純真で真っ直ぐなのも、一人息子として大切に育てられたからだろう。ハリエットは、少しだけ彼のことが羨ましく思った。本当なら、ハリエットも彼の立場だったのだろうが。
昼食の後は、領地を案内するといって、外に連れ出された。曇り空で、少し肌寒いくらいだったが、歩くうちに身体も少々火照ってくる。
「まさか、このまま歩いて領地を見て回るの?」
隣を歩いていたのがハリエットだったからだろうか、グレンダは油断してそう零した。聞こえていたのか、メイリーが申し訳なさそうに振り返る。
「馬車で見て回るよりも、歩いた方がより身近に感じて頂けると思いまして」
「いえ、確かにそうですね。何よりここは空気がおいしい」
「そう言って頂けて何よりです。明日は湖の方にも案内しましょう。魚釣りも舟遊びもできるんですよ」
「それは楽しみですね」
当主二人は並んで歩き、談笑する。グレンダはマティアスの隣を陣取り、矢継ぎ早に話しかける。そうなると、自然に最後をハリエット、カミラ、ティルダが並んで歩くことになった。
「マティアス様は真面目で礼儀正しくて、本当に素晴らしい息子さんですね」
「そう言って頂けて光栄ですわ。一人息子なもので、少し甘やかしすぎたかしらと思っているところだったので」
ティルダはおかしそうに笑った。が、すぐにその表情が曇った。
「でも私は娘が欲しかったものですから、カミラ様が羨ましくて。二人も綺麗なお嬢様に囲まれて、毎日がお幸せでしょう?」
「毎日が騒がしいのなんのって。ドレスが欲しいだの、あそこに連れて行ってだの、いたらいたでうるさいものですわ」
カミラはしょうがなさそうに笑った。自分ではないもう一人の娘のことについて話していることは分かっていたため、ハリエットは居心地が悪く、顔を逸らした。
逸らした先には、マティアスがいた。いつの間にか、一行は村まで来ていたようで、丁度朝食を食べ終えた子供達が、マティアスに群がってはしゃいでいた。そこには階級の差など存在せず、ただ彼は、感じのよいお兄さんという呈でそこに立っていた。
「マティアス様は人気者なのですね」
ハリエットはついそう口にした。ティルダが面白そうに笑う。
「根がまだ子供なんです。ここは田舎だから、マティアスが社交界に顔を出したのも遅かったし。まだまだ充分に社会にもまれていないんです、あの子は」
「そうでしょうか」
ハリエットは内心首を傾げた。
マティアスは、充分大人に見えた。波風立てずに、むしろ愛想よく人々と話をすることができるし、自分に向けられた悪意もさらりと受け流すことが可能だ。八方美人過ぎて、若い女性に勘違いをさせるきらいはあるが、欠点だってそれくらいだろう。
「ありがとうございます」
ハリエットの納得しきれない思いを感じ取ったのか、ティルダは柔らかく微笑んだ。
「親の私から見れば、マティアスはまだまだ子供だと思っていましたが、その考えはそろそろ改めないといけませんわね」
「子供はいつの間にか大きくなっているものですからね」
賛同するようにカミラも頷いた。
「本当に。親からしてみれば、少し寂しくもなってしまいますが」
しみじみとティルダは呟いた。カミラも思うところがあったのか、少し押し黙る。
三人は、言葉少なに歩いた。しばらくして、ティルダは顔を上げた。
「でも、こんな田舎はハリエット様達には少し退屈すぎたでしょうか。見ての通り、何もないところですから」
「そんなことはありません」
ハリエットはすぐに首を振った。
「私、マティアス様からエヴァリーズ地方のことをお伺いして、とても楽しみにしていたんです。マティアス様、とても生き生きとこの地方のことを話されていましたから。自然が豊かだって」
「まあ、マティアスがそんなことを?」
ティルダはさも嬉しそうに笑った。声が聞こえたのか、マティアスが振り返り、三人の元へやってきた。
「何を楽しそうに話しているんです?」
「あなたのことよ」
予想していなかったのか、マティアスは目を丸くした。
「変なこと言っていませんよね?」
「さあ、どうかしら」
顔を見合わせて女性陣が笑う。その光景に、マティアスは一層複雑そうな表情になった。
メイリー家の領地は、山とその山裾という二つに分類される。今回は、平坦な地にある村を一周したところで散策は終わった。そもそもの到着が遅かったし、山を散策するには、馬に乗っていかなければ、到底全部を見ることはできないからだ。
日が暮れる前に屋敷に帰ると、早めの晩餐をとった。昼よりも豪華で、ロースト料理が主だった。食事が終わった後は、女性達は別の部屋に移って茶を飲みながらお喋りを続け、男性達はというと、そのままそこでボードゲームを始めた。
隣室で嬉しそうな声が上がるので、女性達のお喋りはしばし中断し、時折グレンダがちょっかいをかけにいっては、追い出されるという光景はままあった。
それもやがて終わりが来ると、マティアス、そして女性陣が立ち上がり、それぞれ自室に引き上げ始めた。当主二人は、未だ盛り上がる話があるようで、距離を近くし話し込んでいた。
階段を上り、ハリエットは自分に割り当てられた客室に向かった。二階には、寝室や客室がずらりと並んでおり、マティアス達メイリー家の私室は奥にあるのだという。ハリエットは、長い廊下に立ち並ぶ家系の肖像画を眺めながら、ゆっくり歩いていた。
メイリー家は、それほど経済的に困窮しているようには見えなかった。来客のため、気を遣っているのかもしれないが、普通に生活は送れているようでハリエットは安心した。
ただ、使用人の数は極端に少ないと感じてはいた。給仕をする使用人もただ一人だったし、メイドとすれ違ったのも一度や二度あるかないかくらいだ。
貴族は、土地の収入から利を得ているが、エヴァリーズ地方には利益が得られるような海や鉱山はなく、山裾の村にも、特産品があるわけでもなかった。となると、農作物で生計を立てている農民達からの税収はほんの僅かだろうし、取り立てを厳しくしているわけではないのなら、一層メイリー家の経済状況は厳しくなるばかりだろう。
昼よりも暗く感じる廊下を、ハリエットは静かに歩いていた。今日から一週間ほどお世話になるが、そのことすら、申し訳ない思いが胸をこみ上げてくる。
と、背後から軽い足音が聞こえてきた。夕食のワインで軽く酔っているグレンダである。上機嫌な様子で、彼女はポンとハリエットの肩を叩いた。
「もう休むの?」
「ええ。グレンダもでしょう?」
本の世間話のつもりだった。だが、グレンダは心から嬉しそうに頬を緩める。
「ええ、そうなの。とはいっても、私はその前に約束があるのだけど」
グレンダはハリエットを追い越し、その場でくるりと回って見せた。
「私ね、実はマティアス様と約束してるの」
一瞬、ハリエットは言葉を詰まらせた。そんな彼女を置いて、グレンダは一人マティアスの部屋まで行く。
「マティアス様、グレンダです」
「ああ。お待ちしていましたよ」
軽い調子でマティアスは扉を開け、そしてグレンダを招き入れる。夕食後のこの時間。まだ未婚の若い女性を二人きりの部屋に引き入れるには、少々早計ではないのか。
「失礼しますね」
マティアスの部屋の扉を閉めるとき、グレンダはハリエットの彭を振り返った。その顔は、心の底から嬉しそうな笑みだった。