05:垣間見る一面
とある貴族家が催す舞踏会に、バーナード家が招待された。それはいつものことだったのだが、バーナードは、娘のパートナーの相手は、マティアスにお願いしようと言い出した。先日、ハリエットとグレンダ、そしてマティアスの三人が仲良く街へ出掛けたことに気をよくしたらしい。てっきり両方共に相手のことが気に入ったのだと勘違いをし、彼はそう提案したのだ。
しかし、ハリエットとしては特に反対もしなかった。グレンダの前ではマティアスと仲良く見せる必要があったし、そうなると、これは絶好の機会だろう。
その話を聞いてから、グレンダはものすごく不機嫌になった。ハリエットのパートナーは、見目も人当たりも良いマティアスで、対する自分のパートナーは、いつものように従兄弟のハービーなのだから。ハービーは、見目が悪いというわけではないが、身長が低く、いつも平身低頭な態度のため、グレンダは毛嫌いしているのだ。
舞踏会当日になると、新調したドレスを身に纏い、グレンダは幾分か機嫌を軟化させたようだ。何度も鏡の前で格好を確認しては、マティアスの到着を今か今かと待ち望んでいる。
「ようやくね」
執事が彼の到着を知らせると、グレンダは我先にとロビーへ出迎えに行った。ハービーの時は、迎えるどころか、彼が挨拶をしても生返事だったのだが。
「マティアス様、お待ちしておりました。今日はよろしくお願いしますね」
よろしくするのはハリエットの方なのだが、グレンダは彼女を押しのける。
「まあ、いつ見てもやっぱりマティアス様は素敵ですね。今日の舞踏会でもきっと噂の的だわ」
「お褒めにあずかり光栄です。ハリエット様もご機嫌はいかがですか?」
「ええ、おかげさまで好調です」
軽く挨拶を交わしていると、バーナードもやってくる。
「今日は来てくれてありがとう。あまりに突然だったから、もしかしたら準備が間に合わないかと思って、正装はこちらで用意させて頂いたが、構わないかな?」
「え?」
マティアスは困惑したような顔を見せたが、すぐに気を取り直した。
「お心遣いありがとうございます。では、お言葉に甘えさせて頂きます」
「ありがとう。では、ついてきてくれ」
客室に下がってしばらく。
ようやく出てきたマティアスは、随分見違えた姿になっていた。彼が着てきた服が粗末というわけではないが、著名な仕立屋と念入りに打ち合わせをしたかいあって、立派な装いである。事前に軽くサイズを聞いていたのだが、身丈も身幅もピッタリだったし、何より最近の若者に流行な細身のシルエットは、マティアスによく似合っていた。
惚れ惚れとグレンダはため息を漏らす。
「すっごく素敵よ、マティアス様。お姉様にはもったいないくらい!」
「いえ、そんなことは……」
「もしよろしければ、そのままその服はもらってくれないだろうか? 君のために用意したから、もらってくれると嬉しい」
バーナードはマティアスの肩を叩いた。驚いたように彼はバーナードを見返す。
「よろしいのですか? こんなに素敵なものを」
「ああ。ぜひもらって頂きたい」
「ありがとうございます。大切に着させて頂きますね」
バーナードは鷹揚に頷き、両手を広げた。
「さあ、準備もできたことだし、早速出掛けようか。ほら、グレンダ。ハービーを呼んできなさい」
「……はあい」
先ほどまでの輝かんばかりの笑みはどちらへ、ハービーを伴って戻ってきたグレンダは、悲愴な顔をしていた。
二台の馬車に別れて、一行は舞踏会に出掛けた。もちろん、両親と若者達とで別れた構図だ。後者の馬車は、グレンダとマティアスが話し、ハリエットとハービーはもっぱら聞き手に回っていた。
会場に到着すると、バーナード一家は注目を浴びた。バーナードは力のある家で、その割に嫡男がいないため、誰が跡取りになるのか、もっぱら社交界の噂だったからだ。その上、長女のハリエットのパートナーとして現れたのは、子爵家のマティアス。その見目、人となりから、彼もまた、社交界の噂のタネである。年頃も同じ二人がパートナーであることから、会場は沸き立った。
一家が主催者側に挨拶をしてもその興奮は冷めやらず、何なら、舞踏会が始まっても未だチラチラとハリエット達に視線を向けるものまで出てくる始末。バーナードは苦笑いで年若い二人に目を向けた。
「気が早いことに、皆は二人の仲を誤解しているようだ。やはり、今回のことは早計だったかな」
「ハリエット様のご迷惑になるのではと気が気でなりません」
「いいえ、そんなことは。このように素敵な方にパートナーになって頂けて、とても嬉しいです」
「やはり私の目に狂いはなかったようだ。仲睦まじくて何よりだ。どうだ、二人でダンスをしてきては」
「そうですね。ハリエット様、お手をどうぞ」
マティアスは軽く屈み、ハリエットに手を差し出した。ハリエットも、そこに自分の手を軽く乗せる。
「よろしくお願いします」
ハリエット達が会場の中央に進み出ると、自然に空間が空いた。注目を受けていることに、ハリエットは少々気後れしたのだが、そこは百戦錬磨のパートナーマティアスだけあって、見事にハリエットをリードする。
「――この前の本は読みました?」
華麗にダンスをする傍ら、マティアスはそんなことを話し出した。
「ええ、とても面白かったです。マティアス様お気に入りの本なのですか?」
「はい。父の書斎にあった本を僕が譲り受けたんです。家の周りには自然しかなかったので、外で遊び回るか、本を読むかくらいしかすることがないんです」
「でも、素敵ですね。私の家は、見ての通り、都会にあるので、自然を満喫する機会がなくて。遠出もしたことがないので、羨ましいです」
「では、もしよろしければ、今度僕の屋敷に遊びに来ませんか?」
突然の申し出に、ハリエットは目をぱちくりさせた。
「よろしいんですか?」
「ええ、ぜひ。舟遊びでも魚釣りでも、何でもできますよ。山に行けば、のびのびと乗馬もできますし」
「それは楽しそうですね」
その後も、読書のことやマティアスの領地について話しているうちに、曲は終わってしまった。
マティアスと踊った後は、グレンダが私も私もと主張をするので、パートナーを交代して踊った。ハービーと話すのは久しぶりだったので、ハリエットは彼と近況報告などをしあってダンスを終えた。
マティアスは、ダンスの相手として女性から人気を誇っていた。いつもの彼ならば、来る者拒まずの精神なのだが、今日はバーナード家の手前、明らかに目的があるような若い女性の誘いは、のらりくらりとうまく躱していた。
そして最終的には、ハリエットの元に戻ってきて、甲斐甲斐しく話しかける。それはもう、周囲に向かって誤解してくださいと言わんばかりに。
この時初めて、ハリエットはマティアスの趣味が狩猟だったことを思い出した。獲物を追うときは、まず外堀から埋めていく主義なのだろうか。一瞬、ハリエットは自分が兎になったような気分になったが、すぐにその考えを振り落とす。ハリエットは、兎のようにか弱い動物ではない。
「これはこれはマティアス殿! お久しぶりですな!」
野太い声が二人だけの空間を打ち破った。マティアスはその声の主に目をとめると、すぐに頭を下げた。
「お久しぶりです。その節はお世話になりました」
「いやいや、そんなこと。あれくらいお安いご用だ」
マティアスと恰幅の良いその男性は、しばらく談笑を続けていた。ハリエットと男性の連れの女性は、ニコニコと聞き手側に回るばかり。
「それはそうと」
しかし、話が一段落ついたところで、風向きが変わった。今気づいたとばかり、男性はハリエットに目を向けると、からかうような視線で今度はマティアスを見た。
「バーナード家のご令嬢を伴って舞踏会とは、マティアス殿も随分出世したのだね。侯爵家に取り入って、着せ替え人形になったのかな?」
マティアスは目を見開いた。だが、それも一瞬のことで、すぐに取り澄ました笑みを浮かべる。
「ええ、素敵な服をご用意して頂きました。私も驚きました。これが馬子にも衣装と言うのでしょうね」
「またまた。マティアス様は元から美青年なんですから、何を着ていても素敵なことに変わりありませんわよ」
婦人がおほほと取りなすが、あまり役に立ってはいない。
二人が去った後で、マティアスは息を吐き出した。
「……すみせん。お気を悪くされましたでしょう?」
「そんな!」
ハリエットは慌てて首を振った。身を縮こまらせ、頭を下げる。
「私の方こそ申し訳ありません。先日こういったことは止めて欲しいと言われたばかりなのに、父が聞かなくて。マティアス様にご不快な思いをさせてしまったのではと……」
「いえ、そんなことは。こういったことは慣れていますから、別段なんとも。……それよりも、あなたに恥はかかせないと言ったばかりなのに、こんなことになってしまって、自分が情けないです」
珍しく、マティアスが気落ちした表情を見せる。ハリエットは戸惑ってしまった。彼は何も悪くないのに、どうしてここまで気に病むのか。
「私……あの」
ハリエットは拙く口を開いた。
「外見よりも、中身を磨いた方が良いと思うんです。ですから、そのことについて言えば、マティアス様は素晴らしいと思いますよ。人のことを常に気にかけて、優しい言葉もかけることができて。私は不器用なので、マティアス様のそういうところ、とても尊敬しています」
「本当ですか?」
マティアスは目を瞬かせた。
「まさかそんな風に思って頂けているとは思いも寄りませんでした。これは脈ありでしょうか?」
「人が真面目に話しているのに、茶化さないでください」
「茶化してませんよ。本気です。僕のことどう思ってますか?」
あまりに身を乗り出して聞いてくるので、ハリエットは顔を引きつらせた。
「良い方だとは思いますが」
「嫌な予感がする。一生良い人止まりではありませんよね? そこからの昇格はありますよね?」
「さあ、どうでしょうね」
ハリエットは笑って受け流した。話が変な方向に流れているのは気にくわないが、マティアスの調子が元に戻ったので良しとしよう。
「もうすぐ次の曲が始まりますね。また踊りましょうか」
マティアスが手を差し出した。断る理由もないので、ハリエットはその手を取った。