04:気遣い
約束通り、マティアスは昼過ぎにバーナード家にやってきた。さすがに昨日とは違う装いである。二日続けて同じ服は着ないと宣言したとおり、その信念は貫くつもりのようだ。
ジロジロ見られていることに気づいたのか、マティアスは浮かべていた笑みを一瞬のうちに曇らせた。ハリエットとしては、からかうつもりも、馬鹿にするつもりもなかったのだが、彼は悪い方に受け取ったらしい。子供っぽく拗ねたようにそっぽを向いたので、なんだかおかしくなってハリエットは笑ってしまった。
「ねえ、マティアス様。このドレスどうかしら? この間新調したのよ。素敵でしょう?」
グレンダはくるりとその場で回って見せた。彼女の身体の線に合わせ、ドレスがふわりと浮く。柔らかな桃の色のドレスは、確かに女性らしくて可愛らしい。
マティアスは深々と頷いた。
「とても良くお似合いですね」
「でしょう?」
「ハリエット様も、昨日とはまた違った雰囲気なのですね」
自分に話題が飛び、ハリエットは曖昧に頷いた。
確かに、昨日は母カミラによって、彼女は上から下まで派手派手しい装いにされたのだ。今回は、彼女の手が入らなかったため、完全にハリエットが所持するものだけで格好を整えていた。
「お姉様は、こういう地味な格好の方が好きなのよね」
グレンダが素知らぬ顔で間に入る。
「では、それがハリエット様の普段着なのですね? 昨日も素敵でしたが、今日の装いも落ち着いていて違った味わいがあります」
どうしたって褒めなければ気が済まない質なのだろうか。
ハリエットは呆れて苦笑を漏らした。
「本当に言葉の言い換えがお上手で」
「ありがとうございます」
「嫌味ですよ」
「承知しています」
涼しい顔でそう返されたので、ハリエットはもうそれについて言及しなかった。グレンダがイライラし始めたのが目に入ったせいもある。
挨拶が済むと、バーナード家所有の馬車に乗り込み、三人は、街に向かった。
馬車の中で、グレンダはめまぐるしい勢いでマティアスに話しかけていた。自分の話を長々としていたと思ったら、今度は怒濤の勢いで彼を質問攻めにする。マティアスは、苦笑いを浮かべながらも、その一つ一つを華麗に対処していた。
ハリエットはというと、すっかり蚊帳の外だった。グレンダの自慢話には飽き飽きしていたし、マティアスのことにしてみても、グレンダが尋ねるのはつまらない質問ばかりなので、興味も湧いてこない。
ハリエットにしてみれば、こんな状況はいつものことだったので、別段気にもしなかった。馬車の窓から移りゆく景色を眺めているだけでも、充分に楽しいのだ。
マティアスは、そんな彼女を気にかけ、話の合間に話しかけたりするのだが、それを許さないグレンダが、すぐに発言を奪い取る。そんなこんなで、ハリエットはほとんど口を開くことなく、目的地に到着した。
「まずはどこへ案内しましょうか。マティアス様、どこか行きたい場所はありますか?」
「そうですね。何があるのか分かりませんから……。お二人の好きな場所に案内して頂けると嬉しいです」
「まあ。それならあそこへ行かないとね」
上機嫌でグレンダが二人を連れて行ったのは、劇場だった。グレンダは演劇が好きで、暇を見つけては、父か母を伴って良く見に来ていた。
「さあ、行きましょうか」
そう言ってグレンダは我先にと劇場へ入っていく。その手前でチケットを買わなくてはならないのだが、彼女は金銭を持ち歩かない主義のため、必ずいつも同伴者に払わせようとするのだ。
こういったことはもう慣れっこだったので、ハリエットは三枚のチケットを買い、そのうちの一枚をマティアスに渡した。
「お支払いします。いくらでした?」
「結構ですよ。私たちに付き合わせることに対してのお礼です」
「…………」
マティアスは釈然としない顔をしたが、ハリエットはそれ以上彼と話すようなことはせず、グレンダにも渡しに行った。
その日の演目は、悲恋をテーマにしたものだった。グレンダなんかは特に号泣で、劇が終わる頃には、ハリエットが渡したハンカチはグシャグシャになっていた。
「なんて悲しいのかしら。どうしてうまくいかないのかしら。現実は主役二人に厳しすぎるわよ」
「確かに悲しいお話しでしたね」
「ええ、本当にそうなの。心が締め付けられるようだわ。それなのに、お姉様ったら、何て冷たいのかしら。全く心を動かされなかったの!?」
「そういうわけではないけれど……」
ハリエットは首を傾げた。確かに悲しいとは思うが、涙を流すほどではなかった。
「本当に冷たい人。心が凍ってるんだわ」
吐き捨てるようにグレンダが言うと、マティアスは慌てたように二人の間に割って入った。
「ハリエット様は行きたいところはないんですか? 確か、街に用があるとおっしゃってましたね」
マティアスはハリエットに目を向ける。まさか昨日自分がふと零したことを覚えているとは思っていなかったので、ハリエットは返事をするのに時間がかかってしまった。
「そうですね。私は図書館に行きたいと思っていましたが」
「いいですね、図書館。僕も本は好きですよ。では行きましょうか」
くるりと身を翻し、マティアスは馬車へと歩みを向ける。簡単に行き先が決まってしまい、グレンダはふて腐れた。
「本当に図書館に行くんですか? お姉様も、どうせなら皆で楽しめる場所を挙げれば良かったのに」
「僕は図書館好きですよ。もしお気に召さないようなら、別行動にしましょうか」
「なっ、それじゃあ一緒に来ている意味がないじゃないですか! ……分かりました、私も行きます」
分かりやすく膨れながら、グレンダは渋々承諾した。嫌々なら、むしろついてきてくれない方が良かったのだが、ハリエットとマティアスを二人きりにするつもりはないらしい。
図書館に着くと、自然とハリエットとマティアスが隣に並んだ。グレンダはというと、もとより本などに興味はないので、足取りが重たくなっているのだ。
「ハリエット様は、どのような本が好きなんですか?」
「そうですね。推理小説でしょうか」
「へえ、意外ですね」
「どうしてですか?」
すかさずハリエットが聞き返せば、マティアスは少し視線を逸らした。
「いえ、なんとなく小難しそうな本を読むのかと思って……」
「失礼ですね。私の性格が一筋縄ではいかないので、そうお思いに?」
「そういうわけではないのですが」
ハリエットの厳しい切り返しに、マティアスは頬をかいた。どう言おうか悩んだ結果、彼は直接伝えることを決心する。
「あのですね、失礼ですが、いちいち僕の言葉を曲解して受け取るのは止めて頂けませんか?」
「あら、そんなつもりはありませんでしたけど」
「ありますでしょう。むしろありありでしょう? 昨日から口が上手だの、言い換えがうまいだの、僕のことを胡散臭く思うのは分かりますが、そのままに受け取ってくださいよ」
「自分がどう思われているのか、存じ上げているのですね」
ハリエットはカラカラと笑った。一層マティアスは不機嫌になる。
「あなたは一体僕のことをどうしたいんでしょう? 一言嫌いと言ってくだされば、もうこのように会いに行くことは止めにしますが」
「そう言われたいのですか? 私と結婚したいのでは?」
「ハリエット様」
窘めるようにマティアスは厳しい声を出した。やり過ぎたか、とハリエットは内心舌を出して口をつぐむ。
なぜだろう。
計画を進めるためには、マティアスと仲が良い雰囲気を出さなければならないのに、ついつい彼をからかってしまう。マティアスの反応があんまり面白いので、つい歯止めが利かなくなってしまうのだ。
「お姉様は捻くれているのよ。マティアス様も苦労するわよ、この人と付き合っていこうだなんて考えていたら」
捻くれたのは誰のせいかしら、と言いたくなるのを、ハリエットはすんでのところで堪えた。今までずっと我慢してきたのに、こんな所で台無しにするわけにはいかない。
「行きましょう。いつまでも入り口で突っ立っているわけにはいきません」
「入り口を前にして、グダグダつまらないことを言っていたのは誰よ」
グレンダが小さく突っ込むが、ハリエットは気にしない。三人は連れだって図書館へ入った。
図書館の中は、仄かに明るく、静かだ。ハリエットは、この本の匂いが好きだった。意味もなく図書館の中を歩いて、タイトルをザッと見ていくのも好きだったし、普段は読まない本を軽く流し読みするのも好きだった。軽く読んだだけなのに、意外に面白くて借りることもあったし、何を伝えたいのかかさっぱり分からないこともあった。しかし、そのどれも出会いが新鮮で、思っても見ない本にも出会えるかもしれないことを思うと、止められないし、止める気もない。
ハリエットは、マティアス達など気にもとめず、スタスタと図書館の奥へと歩いて行った。しばらくは、マティアスも彼女の後に続き、本を見て歩いていたのだが、グレンダがとりとめもないことについて話しかけてくるので、やがて彼女を引き連れてどこかへ行ってしまった。静かな図書館の中、ハリエット達を見つめる視線が痛かったので、彼女としては非常に有り難いことだった。
しばらく数冊の本を検分した後、その中から二冊の本を選んで借りた。用は終わったので、マティアス達はどこだろうと彼女はキョロキョロ図書館の中を見て歩いた。
「――私ね、新しいドレスが欲しくて」
聞き慣れた声に、ハリエットは気を引かれた。思った通り、ロビーのソファに、マティアスとグレンダは向かい合わせに座っていた。
「それでね、この後、マティアス様にドレスを選んで頂きたいの。私、ドレスを選ぶのが下手で、いつも失敗しちゃうの。だからもしマティアス様に選んで頂けたら、私、本当に嬉しくって泣いちゃうわ」
「そ、それは……光栄なことで」
マティアスの頬は引きつっていた。
男性側が女性に装いを選ぶというのなら、その代金はもちろん男性持ちだろう。例によってお金を払う気も術も持ち合わせていない彼女は、おそらくマティアスに買ってもらう気満々である。
今、マティアスの頭は、恐ろしいほどに早く計算していることだろう。――ここで頷いてしまったら、一体何日断食しなければならないのだろうか、と。
「グレンダ」
速やかに二人の元へ行くと、ハリエットは義妹の肩に手を置いた。
「寂しいわね。そういうことなら私が選ぶわよ。とびきりのドレスを探してあげる」
突然割って入ったハリエットに驚き、そして彼女が発した言葉に目を丸くし、最後には取り澄ましたような笑みを浮かべ。
ほんの数秒の中で、グレンダはめまぐるしく表情を変えた。
「お、お姉様の趣味は私には合わないから……」
「失礼ね。私の趣味を押しつけるつもりはないわ。ちゃんとあなたに似合うドレスを買ってあげる」
「け、結構よ」
「遠慮しないで。そういえば、誕生日の贈り物もまだだったものね。今回は私からの贈り物ってことで。楽しみね。さあ行きましょうか」
ハリエットはマティアスとグレンダを交互に見やる。最初に立ち上がったのはマティアスだ。
「何を借りたんですか?」
「歴史小説を二冊ほど。ちょっと読んだだけですが、思いのほか面白かったものですから」
「へえ。読み終わったら感想を聞かせてください」
「もちろんです」
グレンダのことを放り出し、二人並んで先に行ってしまうものだから、彼女はいよいよ不機嫌になる。つい直前、ハリエットにやり込められたことも気にくわなかった。
「お姉様!」
グレンダは無理矢理ハリエットの腕をとった。
「私、あっちの店がお気に入りなの。あっちへ行きましょう」
そうして強引に引っ張り、目的地へと誘う。
彼女が向かったのは、この辺りでも老舗の有名店だ。そこに置いてあるドレスは全て一点もので、値段ももちろんそれに相当している。
「ここ……?」
「ええ、ここがいいわ」
ハリエットは苦い顔をしたが、グレンダは構わず店の中へ入っていく。肩をすくめ、ハリエットはその後に続いた。
「ねえ、マティアス様? 私にはどのドレスが似合うかしら?」
入って早々、グレンダは年頃の少女の瞳でマティアスを見た。マティアスは、一通りぐるりと店内を見渡す。
「そうですね。グレンダ様は何色がお好きなんですか?」
「そうねえ、私はピンク系統かしら」
「だったらこちらは?」
随分安直だが、マティアスは言われたままの色のドレスを指し示した。だが、グレンダはそれで充分なようで、一層瞳を輝かせた。
「じゃあそれを買うわ」
「えっ、そんなに簡単に決めるの?」
グレンダの買い物はいつも長くなるので、今回もそれを見越した上での覚悟をしていたのだが、ハリエットは拍子抜けしてしまった。
「失礼ね、簡単じゃないわよ。マティアス様が選んでくださったのだから、それを着たいと思うのは当然でしょう?」
「はあ……。じゃあいいわ。会計してくるから」
「あ、ですが、ハリエット様は何か買わないのですか?」
マティアスは待ったをかけ、ハリエットは困惑して立ち止まる。
「そうですね」
彼女の視線は、店内を一通り滑っていく。グレンダは、その集中をそぐような大きな声を立てた。
「あっ、お姉様! このドレスなんかいかが?」
喜々として彼女が持ってきたのは、なんとも派手派手しいドレスだ。上部は清楚なレースの白で形作られ、そのすぐ下の切り替えから、次第にグラデーションがかかり、下部のドレスに移る頃には、すでに真っ赤になっている。グレンダのように彫りの深い顔ならまだしも、ハリエットのような一見地味に見える顔には似合わないだろう。
「私は遠慮しておくわ」
「でも、この方がお姉様の顔色も良くなって見えるんじゃない? ほら、ただでさえ地味に見られがちだし」
「気持ちだけ頂くわ。今はグレンダのドレスを買いに来たのよ。私のものは今度でいいわ」
「つまらないの」
グレンダは鼻白んだが、ハリエットは相手にせず、すぐに会計を済ませた。
ドレスを買った後、再びグレンダの行きたいところに付き合わされた。宝飾店や、露店、花屋などなど……。途中途中ハリエットが会計しながらも、果ては三回分ほどの誕生日の贈り物になってしまったことは計算しなくても分かった。
家に到着する頃には、もうハリエットとマティアスはクタクタで、相変わらずグレンダだけが元気だった。
「マティアス様! 今日はとても楽しかったわ、ありがとう」
「いえ、こちらこそ街を案内してくださってありがとうございました」
案内した、というよりは、グレンダの行きたいところに付き合わされたというのが真実なのだが。
「私もありがとうございました。マティアス様のおかげで、久しぶりに楽しい一日を過ごせました」
「そう言って頂けて嬉しいです。ハリエット様、もしよろしければ、また今度お出かけしませんか?」
「その時は私もご一緒に!」
グレンダは、すかさず手を挙げた。もちろんマティアスはこれを快く承諾。
「ええ、ぜひグレンダ様もいらっしゃってください」
「いつでもお声がけくださいね」
にこにこと愛想笑いが飛び交う中、マティアスは馬に乗って行ってしまった。ハリエットとグレンダが家に帰ると、バーナードとカミラがすぐに出迎えた。
「マティアス様とのお出かけはどうだったの?」
「ええ、とっても楽しかったわ。お父様、お母様、どう? このドレス。マティアス様に選んで頂いたの」
「素敵ねえ。さすがマティアス様だわ」
「ハリエットはどうだったんだ?」
「とても楽しかったです」
「……何か他にないの? まさか、ずっとそんな感じで歩いていたわけではないでしょうね?」
詰問するかのようにカミラは視線を鋭くする。そんな彼女を、バーナードはまあまあと押しとどめた。
「ハリエットも疲れているだろう。久しぶりに家族四人で夕食にしよう」
「そうね! 私とってもお腹ペコペコだわ。早く行きましょう」
そのまま、四人は軽く夕食をとった。グレンダが、今日の出来事を事細かに両親に話すので、食卓はいつもより賑やかだった。
夕食が終われば、今日はもう疲れたからと断り、早めに自室に引き上げた。半日ずっと外で歩き回っていたので、思っていた以上に疲れが溜まっていたのだ。着の身着のままで、ハリエットはベッドに倒れ込んだ。明かりも点けなかったので、窓から仄かに月の光が射し込むだけで、部屋の中は暗い。ハリエットはそのまま軽く目を閉じた。すぐに眠りの中へ引き込まれた。
しばらくして、ハリエットは侍女に起こされた。
寝ているところをわざわざ起こすなんて、両親に呼ばれたか、客人が来たくらいしかない。ハリエットはすぐに身を起こす。
「どうしたの?」
「客人がいらっしゃっています。マティアス様が」
「マティアス様?」
つい先ほど別れたばかりだというのに、一体何の用だろうか。
ハリエットは、軽く様相を整え、すぐに階下へ降りた。遠慮したのか、彼はロビーにはおらず、どうやら外にいるようだ。外に出ると、ポーチのすぐ側にいたマティアスがパッと顔を上げた。
「こんな時間にどうなさったんです?」
「どうしても今日のうちに伝えておきたいことがありまして」
マティアスは控えめに笑った。玄関の照明が、仄かに彼の顔を照らし出す。
「今日はたくさんお気遣いを頂きまして、ありがとうございました。ハリエット様は気遣いのできる素敵な方なのだとお見受けしました。しかし、今後もうそのようなお気遣いはいりません。私にも矜恃というものがあります」
彼の表情は真剣だった。誤解したのではとハリエットは慌てる。
「私は……同情などでなく、マティアス様のご負担になるのではと思って」
「分かっています。あなたが善意からそうなさっていることは。ですが、僕は僕の力で生きていきますから」
矛盾を感じ、ハリエットは僅かに首を傾げた。
「ですが、私と結婚したいのは、お金が目的だとおっしゃいましたよね?」
それって、自分の力で生きていくことにはならないのでは?
言外にそう問えば、マティアスは咳払いをした。真実を突かれても、彼はちらりとも取り乱さない。
「そうですね。その通りです。ですが、あなたのお心くらいは、自分の力で射止めてみせます」
「……?」
格好良いような、そうでないような。
「頑張ってください……?」
ハリエットは、そう返すだけで精一杯だった。
マティアスは、再び空咳をした。
「それでですが」
そうして手に持っていた荷物から、三冊の本を取り出す。
「今日はこれを持ってきたんです。もしよろしければ、読んでみませんか?」
「いいのですか? でも、どうして本?」
「あなたが何が好きかくらいは分かります。ドレスを贈るよりも、こっちの方が良いのかと思って」
グレンダとのことを気にしているのだろうか。
ハリエットは小さく笑みを浮かべた。
「でも私、お洒落が嫌いなわけじゃありませんよ?」
「えっ、あっ、いや、てっきり……」
あまりにハリエットが簡素な格好をしているので、勘違いをしたのだろうか。
そう思うと、ハリエットは笑いがこみ上げてきた。すんでのところでそれを堪えると、本を胸に抱き、頭を下げる。
「でも、ありがとうございます。大切にしますね」
「はい。本当は新品を贈りたかったのですが、何分古い本なので、すぐには取り寄せできないと言われまして。汚い本ですみません」
「いいえ。大切に読ませて頂きます」
「そう言って頂けると嬉しいです。もしよろしければ、感想も聞かせてください」
「もちろんです」
再び馬で帰るマティアスを見送って、ハリエットは、三冊の本に目を落とした。随分古びた本で、所々剥げている部分もあったが、それほど日焼けはしていないし、汚れもない。この本の所有者は、さぞ大切に扱っていたのだろうことが容易に見て取れた。
ハリエットは、それほど物欲はない。しかし、それでも誰かが大切にしているものを貸してもらえるというのは、思っていた以上に心が温かくなるのだと彼女は思った。