13:私らしさ


 年に数回開催される、王侯貴族を集めての狩猟の季節がやってきた。今年度もバーナード家の領地が候補地に挙げられ、季節最後の狩猟が行われる際には、とうとうバーナード家で行われることが決定した。その夫人であるカミラと、使用人達は大わらわだった。たくさんの王侯貴族達をもてなすために、家具を新調したり、食事のメニューを考えたり、客室を整えたり。
 素敵な殿方が来るかもしれないのねとグレンダは胸を躍らせ、ハリエットは、もしかしてマティアスも来るのだろうかと落ち着かなかった。
 マティアスの狩りの腕は、社交界でも有名だ。最近は姿を見せないとはいえ、一時はバーナード家とも懇意にしていたのだから、メイリー家にも声がかかるのは自然だろう。
 狩猟の日まで、ハリエットは気もそぞろな日を過ごした。マティアスが帰ってから、バーナード家も一同に食事をとることがなくなり、ハリエットとしては穏やかな生活に戻るはずだったのに、何という有様だろうか。
 慌ただしい準備期間を終え、ようやく狩猟の日がやってきた。バーナード家はその日、朝から忙しかった。準備自体は前日までに終わらせているものの、女性達は身支度、そしてバーナードは、狩りに駆り出される狩猟犬や馬の調子を見るのに忙しかった。
 いつもならグレンダの身支度にてんてこ舞いなカミラも、今日は珍しくハリエットの元にいた。というのも、使用人の手が足りず、ハリエットの髪を結うはずの侍女も準備に駆り出されていたためだ。
 久しぶりに母に髪を触られたため、ハリエットは非常に落ち着かなかった。手慰みに、自分の両手を見つめる。

「久しぶりね。あなたの髪を結うのも」

 同じことを思っていたのか、カミラはそう呟いた。

「グレンダには時々結っていましたが」
「そうね。メイドがやってくれた髪型が気に入らないって我が儘を言うものだから」
「…………」

 無言のまま、ハリエットは鏡越しにカミラを見つめた。我が儘、と口では言っていながらも、その瞳は本当に嬉しそうだ。
 ハリエットは咄嗟に口を開いたが、そこから言葉が飛び出す前に、グレンダの大きな声が響き渡った。

「もう、お母様ったらどこに行ったのー? 私のドレスを一緒に選んでくれるって言ってたじゃない!」

 グレンダは廊下にいるらしかった。丁度その頃にはハリエットの髪もまとめ終えていたので、カミラはすぐに出て行こうと扉へ歩き始める。

「待ってください」

 ついハリエットは、彼女を引き留めた。驚いたようにカミラは振り返る。

「まだ何かあるの?」
「いえ……」

 自分でも、なぜ引き留めたのかは分からなかった。ハリエットは下を向き、訳も分からず声を押し出す。

「……グレンダは、マティアス様のことを気に入っています」
「何を……急に」
「それはお母様も分かっているでしょう?」

 顔を上げ、カミラを見つめれば、彼女は戸惑ったように視線を下げた。

「……そうね」

 ハリエットは唇を噛んだ。こんなことを言って何になるというのか。自分でも何をしたいのかが分からない。

「お母様!」

 ノックもせずに、グレンダがハリエットの部屋に押し入った。どの部屋にもいないので、ここだと当たりをつけたのだろう。

「どうしてお姉様の部屋にいるの? 私が先に約束したじゃない!」
「ごめんなさいね、グレンダ。確かドレスだったわよね。すぐに選びましょう」

 ハリエットに突っかかりそうな勢いを感じ、カミラはグレンダの肩に手を乗せ、扉まで押しやった。去り際、彼女はハリエットに視線を向けたが、もの言いたげに見つめるだけで、何も言わなかった。


*****


 昼過ぎには、貴族達は全員集まった。遠くからやってきた者には屋敷の客室を開放し、近隣からやってきた者には、居間でもてなした。その中には、マティアスの姿もあった。いつもと変わらない柔和なその笑みを久しぶりに目にし、ハリエットは、どこかホッとしたような、落ち着かないような、フワフワとした心地になった。しかし、同時に彼の腕の怪我にも思い至り、ハリエットの表情は曇った。見たところ、彼の腕は支障なく動いているようにも見える。が、本当のところはどうだろうか。ジャケットに覆われ、傷が残ってしまったのかも確認できない。ハリエットは彼の元へ行こうか、しかしここで行ったら周りの注目を浴びるのではと、二の足を踏んでいた。そんな彼女の横を、グレンダはいとも簡単にすり抜ける。

「マティアス様、お怪我は大丈夫ですか?」
「グレンダ様」

 男性達が集う場所に、華やかなドレスを纏った少女が飛び込んできた。しかもその彼女が話しかけたのは、今社交界でも優美な美男子。
 周りの注目は、人知れず二人に集まった。その視線を意識しているのかしていないのか、グレンダはマティアスの腕に手を置いた。

「あれから全然姿も見せてくれなくって、もしかして何かあったんじゃないかと心配していました」
「すみません、ご心配をおかけして。でも、腕はこの通りピンピンしていますよ。傷もそれほど残らずに済みましたし」
「まあ、それなら良かったです。私、本当に心配で……」
「何かあったんですか?」

 興味を惹かれた隣の男性が、二人に声をかけた。マティアスが答えようとする前に、グレンダが勢い込んで言う。

「猪に襲われそうになったときに、マティアス様に助けて頂いたんです。あの時のマティアス様、本当に格好良かったわ」
「いえ、そんな……。むしろ、何もできなくて不甲斐なかったです」
「そんなことありませんわ!」

 グレンダは拳を握って力説した。年相応の青臭い会話に、周りの目は次第に温かくなってくる。

「どうですかな。今日の狩りは、その手負いの猪を目標とするのは」

 コホンと咳払いをして、バーナードが声を上げた。

「マティアス殿を襲った猪が今もなお暴れているようで、領地が荒らされているんです。足に右目も負傷して、酷く痛むんでしょう」
「それは良い考えですな」

 貴族の一人が頷いた。周りの男達も、同調するように首を縦に振る。

「面白そうだ」
「腕がなりますな」
「では、これで決まりということで。早速狩りに出掛けましょう」

 マティアス達への注目が薄れ、彼とグレンダは、再び何やら話をしていた。ハリエットは、彼らの元へ行こうかとも思ったが、カミラに手伝いを要請され、渋々諦めた。
 狩猟に出掛けるのは男達だけではあるが、バーナード家の自慢の庭では、女性達によるお茶会が催される。男達が狩りをして帰ってきた所を、彼女たちで労い、迎え入れるのだ。此度の狩猟には、若い貴族の男子が多かったことから、茶会に参加するのも、若い女性ばかりである。舞踏会ではないが、こういった場で男子を検分することも多く、彼女たちは互いを牽制しつつ、良い殿方がいないものかとあちこちに目移りさせていた。

「皆様は、どの殿方が猪を射止められると思います?」

 男達が狩りへ出掛けてしまったので、女性達の話題は自然、彼らの話になる。テーブルにある様々なケーキや焼き菓子に手をつけながら、彼女たちはそれぞれ顔を見合わせる。

「そうねえ。私はテレンス様かしら。ほら、あの方、このまえの狩りでも一番に仕留めていたじゃない?」
「でも、あそこは行き慣れた領地だったと伺っています。不慣れな土地で、腕前を披露なされますかどうか」
「私はマティアス様に賭けますわ」

 不意に自信満々な声が上がった。皆の視線は、グレンダへと向けられる。彼女の母カミラもまた、彼女に目を向けるが、その眉間には皺が寄っている。

「賭けだなんてはしたないわ」
「ちょっと冗談で言ってみただけじゃないの。でも、マティアス様が射止められるっていうのは本心よ。マティアス様、狩りの腕はお父様のお墨付きだもの」
「まあ、そんなんですの」
「本当に素敵なことね。お顔も綺麗で、狩りもお上手だなんて」
「でも残念ながら、そのマティアス様は、もうお相手がいらっしゃるとお聞きしましたが」

 一人の婦人がチラリとハリエットに視線を移した。

「そうよね。私も実はマティアス様狙いだったのだけど、諦めるしかなさそうだわ。先日の舞踏会もそうだし、最近は、バーナード家とメイリー家が懇意にしてらっしゃるという噂も伺っております。カミラ様、どうなんですの?」
「まあ、もうそんな噂が? 事実ではありますが、今後どうしたいかは、本人達に任せていますので」
「姉は興味がないみたい」

 ティーカップをテーブルに置き、グレンダはよく通る声で言った。

「マティアス様、あんなに素敵なのに、ちっともなびかなくて」
「そんなことないわ」

 負けじとハリエットは声を上げていた。自分でも、咄嗟の行動に驚いたくらいだ。自身に注目が集まるのを感じる。

「でも、マティアス様が怪我をなさっても、ちっとも心配そうじゃなかったじゃない。ずっと知らんぷりしてるし」
「……あなたみたいに、素直に感情が表に出るわけじゃないの」
「何それ、言い訳? でも残念ね、マティアス様は私に気があるみたい。私が連れて行ってと行ってくれた場所には、皆連れて行ってくれるのよ」
「マティアス様はお優しいから」
「何ですって!?」

 グレンダはテーブルに両手を叩き付けた。

「じゃあ真正面から言った方が良いのかしら。マティアス様は私のものだから、盗らないでって!」
「グレンダ、ハリエットも止めなさい! みっともないわ!」

 カミラが慌てて止めに入った。その時になってようやく、ハリエットは我に返った。
 ハリエットだって、分かってはいた。こんな所で醜くも義妹と言い争いをするなんて、みっともないことくらいは。
 しかし、溢れ出る感情を抑えることができない。今までせき止めておいた思いが、こんな所で爆発するなんて、運が悪い。――いや、抑圧していたからこそ、時と場所も分からずに、いきなり決壊してしまったのだろうか。

「――少し、頭を冷やしてきます」
「ハリエット!」

 小さく呟くと、ハリエットは席を立ち、屋敷の中へ入っていった。後から母が着いてきていることに気がついたが、足を止めることはない。ようやくポーチまでたどり着いたとき、カミラはハリエットに追いついた。

「ハリエット、ちょっと待って」

 息を切らした様子で、カミラは娘の肩に手を置き、無理矢理振り向かせる。

「ハリエット、さっきはどうしたの? あなたらしくないわよ」
「私らしさって何ですか?」

 意地と共に、ハリエットは地面を睨み付けた。

「どういう振る舞いが私らしいんですか」
「ハリエット――」
「確かに先ほどの私は見苦しかったです。思い返しても、顔から火が出るくらいに。でもこれが私です。いつもグレンダに嫉妬していたんです。平静を装って、でも内心は、醜く妬みと嫉妬で渦巻いているんです」

 きっと、今の自分は酷い顔をしているだろう。
 そうは思ったが、握った拳の力は解けない。そのことがもどかしくて、ハリエットは深々とため息をついた。

「しばらく一人になりたいんです。失礼しても?」

 これ以上この場にいたら、またいらないことを口走ってしまいそうで、ハリエットはそのままきびすを返した。勇気が出ず、母の顔は見ることができなかった。


*****


 大分時間をおいて、ハリエットは茶会に帰ってきた。失礼しましたと再び席についても、先ほどのバーナード姉妹の醜態について、話を蒸し返すようなものはいない。気を遣わせただろうか、とハリエットは申し訳なくも惨めな気持ちだった。
 テーブル上の話題は、気になる異性から、すっかり女性特有のものに変わっていた。最近流行のドレスから装飾品、小物に至るまで、彼女たちの話は尽きない。ハリエットは、お洒落には無頓着だが、興味がないわけではないので、話には入らずとも、耳だけは傾けていた。
 やがて、日も傾き始め、辺りは一層寒くなり始める。そろそろ狩りに出掛けた男達も戻ってくるだろうかと噂話をしていると、丁度地響きが聞こえてきた。馬たちが駆けてくる音だ。女性達は顔を見合わせ、徐に立ち上がる。
 そう間をおかずに、なだらかな草原の向こうに馬に乗った男達の姿が見えた。先導するように彼らの前に立つのは、狩猟のための犬や武器を管理している使用人だ。彼はいち早く女性達の元に到着すると、声高々に叫ぶ。

「本日の標的、手負いの猪を、メイリー家のマティアス様が射止められました!」
「まあ、マティアス様が?」

 女性達は一気に色めき立った。やはりこういった場は、女性に人気のある男性が射止めた方が盛り上がるものなのだ。
 やがて、遅れていた男達も到着していく。女性に配慮してか、討った獲物は彼女たちの目にとまらないように速やかに屋敷の中に運ばれていく。

「マティアス様、おめでとうございます!」

 マティアスが馬から降りないうちに、もう既に周りは若い女性達に囲まれていた。マティアスは苦笑をしながらも、一言二言断って地面に降り立つ。

「本当にマティアス様は何でもおできになるのね。素晴らしいわ」
「いえ、そんなことは。今日の成果も、パディのおかげですし」
「まあ、またパディが役に立ったのね!」

 グレンダはマティアスの一番側で嬉しそうに笑った。

「はい。果敢にも猪を追い立ててくれました」
「さすが私のパディだわ。でも、マティアス様もご謙遜が過ぎるわ。マティアス様の実力は、お父様のお墨付きだもの。もっと誇っても良いわ」
「ありがとうございます。そう言って頂けると嬉しいです」

 マティアスが微笑を浮かべると、女性達は頬を赤らめ、顔を俯けた。彼の微笑み一つで、世の女性達が黄色い声を上げるのは、日常茶飯事なのだ。

「ハリエットは行かないの?」

 いつの間にか、ハリエットの隣にはカミラがいた。二人して遠巻きにマティアスのことを眺める。

「私は行きません」

 ハリエットは小さく呟いた。

「グレンダもいるのに、私まで行ったら、また注目を浴びるでしょう?」

 今度こそ、ハリエットは平静を保とうと思った。母の言うとおり、私らしく、冷静に。

「マティアス殿、腹は大丈夫か?」

 折を見て、輪の外からバーナードが声をかけた。マティアスはすぐに反応する。

「はい。それほど痛みませんし、ちょっと青くなった程度だと思います」
「まあ、どこか怪我をなさったの?」
「興奮した馬に腹を蹴られたんだよ」

 マティアスの代わりにバーナードが応えた。マティアスは恥ずかしそうに下を向く。

「お恥ずかしい限りです」
「でも、本当に大丈夫なの? 医者に診せた方が良いわ」
「マティアス殿のことになると、グレンダは心配性だな。だが、確かに一応見てもらった方が良い。何かあっても大変だから」
「ご迷惑をおかけします」
「ほら、お医者様も来たわ」

 何かあってはいけないので、あらかじめ町医者は呼んでいたのだ。自分の出番かと、医者は駆け足で寄ってきていた。

「お腹を蹴られたのですか? シャツを脱いで見せて頂いてもよろしいですか?」
「ご婦人方の目もありますし、屋内で……」

 己の周囲を女性達がぐるりと囲んでいるので、マティアスは若干恥ずかしそうに言った。だが、町医者はきょとんとして移動しようともしないし、一方で女性達は、そこから動く気配も見せない。マティアスは観念してシャツのボタンを外し、前だけをはだけさせた。何が嬉しくてこんな衆目の場で脱がなくてはならないのかと、マティアスは内心項垂れていた。

「まあ、何てお身体……」

 しかし、女性達はそんなマティアスの心境などいざ知らず、ほうっと熱のこもったため息をついた。細身だが、ほどよく筋肉のついたマティアスの身体に、度肝を抜かれたのだ。

「顔だけの優男かと思ったら、なかなか……」

 遠巻きに様子を見ていた男達も、観念したように呟いた。この一言で、今までマティアスのことをどう思っていたかが容易に想像がつく。
 女達の集団を抜け出し、グレンダはハリエットの元にやってきた。目を丸くしてマティアスのことを見つめるハリエットに対し、グレンダはさも満足そうな顔で耳打ちした。

「ね、脱いだらすごかったでしょう?」
「えっ?」

 まさにそう思っていた所だったので、ハリエットは思わず聞き返した。しかしその瞬間、合点がいく。かつて調子を狂わされたグレンダの一言や、マティアスの全然すごくない身体、そしてその後にかけた言葉――。
 外面を良くするよりも、中身を磨いていく方が良いとの言葉の意味を取り違えたのか、はたまたハリエットに笑われたことがそんなに悔しかったのか。
 真相は分からない。しかし、とにかくハリエットはおかしくて仕方がなかった。それはもう、笑いを堪えるために、頬の内側を噛むほどには。

「――ええ、本当にすごいわね」

 黙りこくっている訳にもいかないので、ハリエットはようやくそれだけ口にした。しかし、予想とは違った反応だったためか、グレンダは視線を鋭くした。

「それだけ? 何か他にないの?」
「他に何を言えば良いのよ。感想とか?」

 ハリエットは、改めてマティアスの身体を見る。あの時――狩猟小屋で見た時よりとは遙かに鍛えられているとは感じた。おそらく、あの時から必死になった鍛えたのだろう。悔しかったのか、果たして向上心があったのか。

「あれから頑張って身体を鍛えたのだと思うと、おかしくて仕方がないわ」

 そこまで言うと、ハリエットはついに小さく吹き出したしまった。自分で自分の言葉に笑ってしまうだなんて、情けないことこの上ない。しかし、家で必死になって身体を鍛えているマティアスのことをひとたび想像してしまうと、もう止められなかった。
 クスクスと楽しそうに笑う声に、皆が唖然と自分を見つめていることには気づいていた。が、もうどうすることもできない。ついには、ハリエットは大きな声を立てて笑い出してしまった。

「どうかなさったんですか? ハリエット様」

 女性達も困惑している。マティアスすら唖然と彼女のことを見つめていた。

「ええ、マティアス様の身体があんまり素敵で、思わず……。きっとさぞ懸命に鍛えられたのでしょう?」

 馬鹿にするつもりはなかったのだが、からかいの気持ちはあった。息も絶え絶えにハリエットがそう言えば、マティアスはみるみる頬を赤くしていく。彼もまた、狩猟小屋でのことを思い出したようだ。言い返そうと口をパクパク開けたが、結局そこから反論が飛び出してくることはなく、彼は諦めたようだ。このような場で言い返して、見世物になる気はないようだ。
 ハリエットとマティアスの間に流れる不思議な空気に、皆は入れずにいた。困惑したように静かになっていた場だが、一人カミラが動く。

「マティアス様、部屋で休まれては?」
「え?」
「何かあっては大変だわ。祝賀会は夜に開きますから、それまで休まれてはどうでしょう」

 突然の申し出に、マティアスは目を白黒とさせた。怪我自体は大したことがなく、このままこの場にいても何の問題もないのだが。

「ハリエット、付き添ってあげて」

 しかし、カミラがその後小さく付け加えたので、彼は彼女に従うことにした。

「では、すみません。お言葉に甘えて、この場は失礼いたします」

 マティアス我僧頭を下げれば、女性達は至極残念そうな声を上げた。が、怪我人に対してあれやこれや言うわけにもいかず、その場は大人しく引き下がる。
 怪我人にしてはピンピンした態度で、マティアスはハリエットの元にやってきた。
 母がわざとこの状況を作り出したことには気づいていたが、何をどうすれば良いか分からず、ハリエットはとりあえずおずおずとマティアスに手を伸ばした。グレンダは口を真一文字に結び、マティアスに追いすがろうとしたが、そんな彼女をカミラは強く引き留める。

「お母様!」
「グレンダ、大人しくしていなさい」
「どうしてよ! お母様は私の味方じゃないの!?」

 さすがのグレンダも、周りの目を気にしてか小声だ。カミラも同じく小さな声で呟いた。

「私は公平よ。……公平の、つもりだったの」

 カミラは、悲しそうな瞳でハリエットの後ろ姿を見つめた。その頃には、もう彼女もマティアスも遠くに行っており、カミラ達の声は届かなかった。