04:危険な侵入者
久美子は、しばらくじっと二人組の男を見ていたが、やがてハッとすると、窓の前に立ちはだかった。
『俊之君、ちょっと下がっていて』
「え?」
『嫌な予感がするの。念のため、ね?』
「はい……」
訝しげに思いながらも、俊之は窓から数歩下がった。丁度男たちがトランクから重そうなアタッシュケースを取り出した時だった。
「おい、こんなところで夜を明かすのか? なんだか気味悪いなあ」
「仕方ないだろ。さすがにサツだってここまでは来ないはずだ」
二つの声は次第に廃病院へと近づいてくる。久美子は息を潜めていた。
「お前、知ってるか? ここは幽霊が出るって噂があるらしいぜ」
「げ……。なんで今更そんなこと言うんだ? 俺、そういうの苦手なんだよ」
「情けないな、それでも男か。……まあいいさ。その代わり、きっとサツだって滅多にここには来ない。きっと今頃は県境周辺を血眼になって探してるはずだ」
男たちは、そのまま廃病院の中へ姿を消した。扉を閉め切っているせいか、中から声は届かなかった。
「あの、おばさん……」
さすがの俊之も、なんだかまずい状況に巻き込まれていることに気がつき始めていた。久美子が険しい表情をしているので、余計にだ。
「実里は……」
思わず俊之が呟いた声に、久美子はハッとして顔を上げた。
『実里……実里はどこ!?』
そして同時に自分の口を押さえると、声を潜めて俊之を見やった。
『俊之君は、ここに隠れて――ああ、いえ、ここはやっぱり危険だわ。隠れる場所なんてないもの』
久美子は焦った様子で頭を叩き始めた。そしてすぐに俊之に向き直る。
『とにかく、俊之君は、どこか他に隠れられる場所を探して、そこでじっとしていて。ね、できるわね?』
「で、でも、おばさんは……」
『実里を探してくる。すぐに連れてくるから、そうしたらどうにかしてここから脱出しましょう』
「でも、危ないですよ……」
思わずといった風に口走った俊之に、久美子は寂しげな笑顔を見せた。
『大丈夫よ、もう死んでるんだから』
そのまま、久美子は扉をすり抜けていってしまった。同時に彼女の身体は透け始めていたので、透明な身体になって娘を探しに行ったのかもしれない。
俊之は深呼吸をすると、意を決して静かに部屋から出た。
俊之とて、実里の身は心配だが、自分が行ったところで何かできるわけでもない。ここは、彼女の母にも言われたようにどこかに隠れなければ。
俊之は足音を忍ばせながら、廊下を歩いた。階下からは、かすかに男たちの会話が聞こえる。その声に身を引き締めながら、廊下を進む。
隠れられそうな場所として思い浮かぶのは、やはりロッカーだろうか。
俊之は、隠れ鬼の探索の際、通った道のりを頭に描きながら、更衣室を探した。その間にも、心臓は早鐘のように鳴っている。幽霊と遊ぶ、ということがすでに非日常ではあったのだが、実際に自分の身に危険が及ぶ非日常など、お呼びではないのだ。
ようやく更衣室を見つけると、俊之は喜々として中へ入った。が、一番奥のロッカーを開けたところで、彼は固まった。
確かに、隠れるべきは、こういう所が理想的なのだろう。だが。
「無理だし……」
暗くて狭いロッカーの中は、ただでさえ恐ろしいのに、ここは廃墟である。もしも中に入ったところでロッカーが壊れてしまったら? 二度とそこから出られない、なんてことになったら笑えない。
俊之は諦めて、別の場所を探すことにした。幸いなことに、階下の男たちは、下を探索しているようで、しばらくは二階に上がってこなさそうだった。
彼が次に向かったのは、突き当たりを右に曲がった、病室が立ち並ぶ部屋だった。その中の一つに目星をつけて、中に入ってみる。何の変哲もない、埃にまみれたベッドが並んでいた。隠れられそうな所はあまりない。強いて言うならば、ベッドの下か。
俊之は何の気なしに下を覗き込んだ。そして目が合う。
「ひいいいっ」
『あ、見つかっちゃった?』
『普通の人』と目が合うのならまだしも、相手は幽霊である。
俊之は腰を抜かして情けない声を上げた。またしてもこの絵里子という女性幽霊に驚かされたことが、不満で不満でしようがない。せめて別の幽霊だったならば。
しかし、そんな悠長なことを考えている暇はなかった。何の生活音もない廃墟では、彼の声は思った以上に響き渡ったからだ。
「なんだ今の声は!?」
「上から聞こえてきたな。……おい、見に行け」
「俺一人でか!?」
俊之の声が向こうに聞こえたように、向こうの声も、俊之の耳に入ってきた。
「当たり前だろ。一階にだって他に人がいるかもしれない。俺たちの存在がバレるわけにはいかないんだよ」
「ったく……わかったよ」
一人の男が、用心深く階段を上っていく。俊之は止めていた息を吐き出して、すぐに立ち上がった。
『あらあ、どこに行くの? 隠れ鬼は?』
状況が分かっていない幽霊に返事をしている暇はない。
俊之は泣きそうになりながらも駆け出した。どこか……どこか、隠れる場所!
俊之は混乱のあまり失念していたが、彼は運動神経が悪い。そして対する相手の男は、成人男性。体力も運動神経も倍近く違う。
「いた! ガキだ!」
俊之が見つかるのも、時間の問題だった。
「ひいっ!」
「よくやった、捕まえろ!」
こちらの声が聞こえたのか、階下の男も援護するかのように怒鳴り返した。俊之は半泣きになって走った。が、階段に到達する前に、首根っこを捕まえられた。思わず潰れたような声が出る。
「残念だったな、もう逃げられねえぞ」
ぐいっと顔を近づけられる。無精髭だらけの強面が目に入り、いよいよ俊之は涙ぐむ。
「おいガキ。ここにはあと何人いるんだ?」
「う、うう……」
襟元を押さえられているせいで、俊之は思うように息が出来ない。そのことにようやく気がついたのか、男は俊之を下ろした。
「お前一人か? ここで何してたんだ」
「お、れ……僕一人です。あの、秘密基地……作ろうと思ってて、ここに」
俊之は途切れ途切れに言葉を紡ぐ。嘘を言うのは苦手だが、俊之の言葉が拙いのは、恐怖を感じているためと勘違いしてくれたのか、男はかすかに笑みを浮かべた。
「そうか、ならいい。ちょっとこっちに着いてきてもらうぜ」
「は、い……」
泣く泣く俊之は彼の後についていった。隠れるだけで良かった後、こうも早く彼らに見つかるとは運がない。……いや、もともとは度胸がなかったことが一番の要因か。
一階では、男が一人タバコをふかしていた。彼の足下にはもう何本ものタバコの吸い殻が落ちている。
「おい、ガキが一人いたぜ。ここにいるのはこいつ一人らしい。秘密基地を作りたかったんだと」
「……それは本当か?」
ガタイのいい男は、鋭い眼光で俊之を睨み付ける。俊之は、ごくりとつばを飲み込んだ後、恐る恐る頷いた。
「はい……」
「お前がここにいるということを知っているやつは? 友達も知ってるんじゃないのか?」
「秘密基地だし……誰にも、言ってない」
「一人で作ってたのか? 友達は? ……寂しいやつだな」
若干哀れみを浮かべた顔で、ひげ面の男が俊之を見下ろす。口から出任せの嘘ではあるが、なんだか俊之は少々腹が立った。一応俺にだって友達はいる!
しかしそんなことを口に出せるわけもなく、俊之はただただ黙り込んでいた。男はペッとタバコを吐き出し、もう一本に火を点ける。
「しかし厄介だな。いずれこのガキの捜索願が出されるだろう。今日はなんとかいけても、明日にはここも捜査の手が回るかもしれない」
「――っ」
非常事態のためか、珍しく俊之の頭の回転は速い。
男の頭痛の種がなんなのかをいち早く察すると、俊之は急に元気になって叫んだ。
「な、何も言いませんから……! 僕、大丈夫です。ホント、何も言いません!」
「――信用ならねえな」
一瞬間をおかせ、男は凄みをきかせた。
「こういうガキってのは、目の前に菓子やゲームをちらつかされたら、すぐに吐いちまう」
「だ、大丈夫です……。お、俺、そういうのに興味ないし……。お、お菓子とか、そんなに好きじゃないし……」
「嘘つけ。顔に菓子の食べかす零してるやつに言われたくねえや」
「え……あ!?」
俊之は慌てて口元をゴシゴシこする。ついで、念のため服も両手で払った。……隠れ鬼の間中、口元に食べかすがついていたのか。どうして誰も何も言ってくれなかったんだろう。
今この状況においては、非常にどうでもいいことだが、俊之は幽霊たちを恨みに思った。
「おい、いつまでもそいつで遊ぶな」
不機嫌そうに、男は白い息を吐き出した。
「……選択肢はないな。こいつは連れて行くしかない」
「正気か? ガキ一人連れての逃避行なんて冗談じゃねえや」
「安心しろ。俺だっていつまでもガキ連れて歩くなんてごめんだな。用が済んだら始末するさ」
なんてことない口調で紡がれた言葉に、俊之は固まった。――始末。それが何を示すかくらい、俊之にだって分かっていた。ただ、何の躊躇もなく、それを口にしたことが、彼にとってはひどく末恐ろしかった。
「サツが来たら、こいつには人質になってもらう。何事にも保険は必要だろ?」
「……それもそうだな」
話し合いは終わったようで、しばらくしてひげ面の男が俊之に近づいてきた。手には短く裂かれたシーツを持っている。
「おい、ここから逃げようなんて思うなよ。お前も知っての通り、ここは人里離れた山奥だ。万が一この廃墟を脱出できても、俺たちはすぐにお前を捕まえる。痛い目に遭いたくなかったら大人しくしてることだな」
言いながら、彼は手際よく俊之の手と足を縛った。縛られた時点で、逃げるも何もないのだが。
これでいよいよ唯一の希望も失ってしまった。
俊之は絶望の表情を浮かべた。