04:告白 −3−
太陽が真上に到達する頃、ミリアムはお爺さんの昼食の準備を終え、ようやく書店へと向かい始めた。何だか、途轍もなく嫌な予感がし、足は相変わらず重かった。
そしてそれは、店に入った時に悟ることとなる。予感が当たってしまったと。
午前の時に告白してきた青年、グリンダ、そしてお爺さん。彼らは三人仲良く未だカウンターで談笑していた。
ミリアムは呆然と立ち尽くした。
「あ、ミリアム、遅かったね〜」
ニヤニヤしているグリンダ、緊張した面持ちの青年、嬉しそうな顔のお爺さん。三人仲良くこちらを向いているその様に、ミリアムの眉間に皺が寄った。
「まだいたんですか」
「何よ、そんな言い方しなくっても。私たちはただこの年若い青年のお気持ちを聞いてただけよ。ね、ジョセフさん」
「そうそう。本当、若いというのは良いものだの」
グリンダがニヤニヤと手を振る。その表情に腹が立った。
「――そうですか。お爺さん、もう食事を用意してるので帰ってもいいですよ。後は私がやりますから」
「ん? わしはもう少し居るとするよ。若者たちの行く末が気になるのでな」
「――グリンダさん、家には帰らなくてもいいんですか? いくらなんでも家を開けすぎだと思いますけど」
「大丈夫大丈夫、少しくらい。私も若い男女の行く末が気になるから」
彼らの思惑が手に取るようにわかる。どうせ、年頃の女の子らしい事件に、色めき立っているのだろう。しかし残念ながら、ミリアムは普通の女の子ではない。手放しに彼らの思う様に行動することができない。
「じゃあもういいです。私、しばらく本を読むので話しかけないでくださいね」
「ミリアム〜、そんなこと言わないで一緒に話しましょう?」
「…………」
無視だ、無視。
図太いグリンダは、多少のことでは挫けない。だからこそ遠慮なく無視をする。
「ミリアム……たまにはわしとも話さないか?」
「……家でならいくらでもお話しします」
さすがにお爺さんには無視は使えない。しかし、入れ違いになる書店とは違って、家ではたくさん話しているはずだ。だからこそ、無下に断る。
「あの……少し、よろしいですか」
「……何でしょう」
最後にきたのはやはりあの青年だった。調子の良いグリンダにせっつかれて口火を切ったようだ。常連さんに無視を使うわけにもいかず、ミリアムは渋々顔を上げた。
「あの、もう一度言わせてください」
「…………」
「以前からずっとあなたのことが好きでした。どうぞ、僕とお付き合い願えませんか?」
やはり来たか、とミリアムは詰まる。確かに午前、同じような告白を断ったのに、彼は何と鉄の精神を持っているのだろうか。
「おっ、聴衆の前で大胆ね! どうです、ジョセフさん!?」
「わしは良いと思うがの」
「さらには保護者公認!」
「余計な茶々を入れないでください」
傍の野次馬たちがうるさく、ミリアムはぴしゃりと言う。そして青年と向き直る。彼の真剣な瞳を真っ直ぐ見つめた。照れているようだが、その瞳は逸らされることがなかった。
ふと、別に良いかもしれないと思った。
結託していそうなこの三人には、きっと敵わない。ならば、この二人のいないところで記憶を奪ってしまえばいい。そうすれば、今の穏やかな生活を壊されることもない。
加えて、ミリアムの食欲も満たすことができる。最近、彼女の食欲は増し、朝夕二回だけでは足りない。いつお爺さんの記憶を奪ってしまうかと怯えるよりは、いっそのことこの青年の記憶を有効的に頂いてしまうのも手かもしれない。
それに何より、愛に見限られた自分は、恋をする気などない。ならば、ミリアムに好意を寄せているらしいこの青年には、自分なんかに時間を費やすより、すっぱり忘れて諦めてもらった方がよっぽど彼のためになる。
「いいですよ」
気づいたら、ミリアムはそう答えていた。
「でも私、あなたのことよく知りません。もしよろしかったら、明日一日デートしてみませんか?」
そう、ただ食べるだけじゃもったいない。もっともっと自分に関する記憶を植え付けて、その後でおいしく頂ければ。そうすれば、数日分は持つだろう。
そんなことをフッと考えたミリアムは、にっこりと笑う。
「一日、じっくりとあなたのことをよく知ってみたいんです」
青年はパアッと満面の笑みになった。喜色を隠すこともないその素直さに、逆にミリアムの方が照れてくる。そんな歳若い二人を眺めて、後ろの野次馬たちは感極まった。
「やるぅ〜!! ミリアム、早速のデート取り付け!? 何よ何よ、もしかして最初からその気だったの? 焦らすにも程があるわ〜」
「ミリアム……やっと年頃の女子のような一日を過ごす気になったのだね。わしは嬉しい……!」
「二人とも止めてください。それとお爺さん、明日一日休みを頂いていいですか?」
事後だが、彼ならきっと了承してくれると思っての行動だった。案の定、快く頷いてくれた。
「いつもいつも店番や家のこともすっかり任せっきりで……。いいよいいよ! 明日は二人で楽しんできておくれ! 店のことはわしに任せて!」
「私も手伝うわ! ふふっ、だから楽しんできてね〜」
「はあ……ありがとうございます」
やけに高揚している様子の彼らに、ミリアムは押され気味だ。呆れた気分で彼らを見やっていると、真剣な様子でこちらを見ている青年と目が合う。
「あの……本当に僕でいいんですか?」
「それを言うなら私の方です。私、見ての通りお堅いですし、明日一日一緒に過ごしたら、きっとこんな人だとは思わなかったって――」
「そんなこと言いません、絶対に!」
急に青年が叫んだ。驚いて、ミリアムたちだけではなく、店の常連客達も何事かとこちらを見た。
「あ……すみません。突然こんなこと。でも、僕はミリアムさんがいいんです。他の誰でもない、ミリアムさんが」
「……情熱的ね」
珍しくグリンダがミリアムの心情を代弁してくれた。
助かった。きっと今、自分は気恥ずかしさで顔も上げられなかったと思うから。
「あの、ミリアムさん。明日の待ち合わせなんですけど、大広場に九時の鐘が鳴る頃でよろしいですか」
「――はい、大丈夫です」
声を絞り出した。見た目とは大違いに、情熱的な言葉を吐く青年だと思った。素直に、飾りっ気のないその言葉を紡ぎ出しているからこそ、余計に質が悪い。
「じゃあ明日、よろしくお願いします!」
元気よく手を振って店を出て行く青年に、ミリアムは軽い会釈を返した。彼の姿が見えなくなったと思ったら、急にずいっとグリンダが顔を近づけてきた。
「ミリアム、一体どうしたのよ」
「何がですか?」
「だって、朝はあんなに嫌がってたのにどうして急に……?」
彼女は始め、熟考するように腕を組んだ。しかしすぐにその真面目な表情はニヤニヤとした笑いに変わる。
「やっぱり顔? 顔が気に入ったの? 飛びぬけて二枚目なわけじゃないけど、清潔感溢れる好青年!って感じだったものね〜」
「そんなんじゃありません。少しくらいなら良いかなって思っただけです」
「それにしたってねえ……」
「ほら、グリンダさんももうお帰りください。旦那さんがお待ちかもしれませんよ?」
はいはい……とぶつぶつ言いながらグリンダは帰り支度を始める。その様子を見届けるとミリアムは振り返り、今度はその矛先をお爺さんに変える。
「お爺さんもですよ。最近腰の調子が良くないんでしょう? 明後日は私が一日店番しますから、今日はもう休んでください」
「わしはまだそんな歳じゃないんだが……」
「そんなこと言って。最近階段上るの辛そうにしてるの知ってますよ?」
ミリアムはお爺さんの背を押すと、店の外に追いやった。本当なら家まで付き添ってあげたいのだが、店番もある。
ミリアムは心配そうにその後ろ姿を見つめると、中に入った。常連客はまだ数人いて、店を閉じるにはまだ時間がかかりそうだ。
「ね、明日頑張ってね」
帰り支度を終えたのか、グリンダはミリアムの横に並んでいた。
「……何でグリンダさんはそんなに彼と私をくっ付けたがるんですか。まだあの人とは会ったばかりなのに」
「別に彼に限ったことじゃないわよ。他にもっと良い人がいたらその人でもいいし。私が言いたいのは、もっと周りに目を向けてみたらってこと」
「周り……ですか」
「ミリアムの生活範囲なんて、せいぜいこの書店と家くらいじゃない。そんな中で関わり合う人なんてほんの一握り。もっと視野を広げて、いろんな人と関わった方が良いと思う」
「そう……ですね」
でも、他の人と関わり合ったとして、それが何になる?
言葉にすることはせず、ミリアムは心の中で問いかけた。
もし……もしも、ミリアムの食欲が更に増し、朝夕の食事だけでは足りなくなってしまったら。もしもお爺さんの記憶にまで手をつけそうになってしまったら。――ミリアムは間違いなくこの店の常連客の記憶や、目の前のグリンダのそれを奪うだろう。誰も、お爺さんの存在には敵わない。路頭を彷徨っていたミリアムを助け、ここまで育ててくれた恩と愛情は、誰にも勝ることはないのである。
そんな中、その程度の知り合いを幾人か作ったところでどうなる? その時が来てしまったら、ただミリアムの食事のためだけの存在になり替わるかもしれないというのに、誰がそんな存在になりたいと思う?
ミリアムはそっと空を仰いだ。彼女の心境とは裏腹に、明日は暑くなりそうだと思った。