10:笑顔 −1−
あれから数日、ミリアムはいろいろ考えていた。
ディアンのおかげでミリアムの大きな悩みが解決した。彼が快くミリアムの体質を受け入れてくれたおかげで、今後とも記憶の食事については心配することは無いだろう。
しかし、ならば彼に対して、私は何ができるだろうか。
やはりそれは、彼に先送りにしていた返事を返すことだと思う。何度も彼は好意を示してくれた。しかしそれに返事をせずに、曖昧な関係を作り出していたのは紛れもない自分だ。
彼の真っ直ぐな好意に、私も向き合わなければならない、そう思った。
「ミリアム、おはよう」
「……ディアンさん、おはようございます」
三日ぶりだろうか。ディアンが現れた。
「グリンダさん」
「何?」
彼が次に書店に来た時、覚悟を決めようと思っていた。
「本当にこれで最後にしますから、少しの間だけ代わってもらってもいいですか?」
「……やっと頼ってくれたわね」
「え?」
「ううん、何でもない。分かった、行ってきな!」
「ありがとうございます」
グリンダ他幾人かの常連客達の騒がしい声援に見送られ、ミリアムとディアンは書店を後にする。
「皆さん相変わらず元気ですね」
「……そうですね。ここ最近は特に」
それは、ミリアムが何かと心配をかけたせいもあるのだろうが、彼らの存在はミリアムにとって安心できるものだった。両親から忘れ去られたが、あの書店はミリアムのちょっとした家族のようなものだった。恥ずかしくて、きっと永遠にそんなことは言えないと思うが。
「あの公園、寄って行きませんか?」
「俺もそう思ってた」
いつもディアンが誘っていたあの公園。そしていつも受け身だったミリアム。しかし今日は違う。
「いろいろありましたね」
ベンチに座り、これもミリアムが口火を切った。
「中でも、ディアンさんにはたくさんご迷惑をおかけしてしまって」
「そんなことないよ」
場が静かになった。しかし居心地が悪いわけではない。この沈黙は、ミリアムが決心を固めるのに十分な間だった。
「私の話、聞いてくれませんか」
「……うん」
「私……ディアンさんの仕事場に行ったとき、ほんの少しの記憶をもらうだけのつもりだったんです。でも、その後本当に目の前でディアンさんが記憶を失ってしまったので……焦りました。同時にすごく身に染みました。こんなにディアンさんのことが……大切な存在だったんだって」
自分で言っていて恥ずかしくなってくる。しかし、今までディアンが同じことをミリアムに伝えて、そして同時に勇気をくれていた。今度は自分が伝える番だ。
「その後、私がこの体質を話した時も、優しく受け入れてくださって、すごく嬉しかったんです。私、ずっと一人でこれを抱えていくんだなって、お爺さんもグリンダさんも常連客の皆さんも、私の周りにはたくさん見守ってくださる方がいたのに、それに気づかないまま、私は自分が一人になったつもりで……勝手に悩んで勝手に落ち込んでました。でも、ディアンさんが私のこと……受け入れてくれたことで、すごく勇気が湧いたんです。すごく自信がついたんです」
息を吸い込む。ここからだ。
「今までずっと、すみませんでした。確たる返事もすることなく、ディアンさんのご好意に甘えてしまって」
声が震えそうで緊張する。
「私、ディアンさんのことが好きです」
ぎゅっと服の裾を掴んだ。顔は上げられない。
「ほ……本当はずっと、ディアンさんが私に優しくしてくれるたびにすごく嬉しかったんです。植物園の時も、ハンカチを頂いた時も、看病してもらった時も。ただ書店で一緒に話すだけの時も、ずっと嬉しかった。本当は、ずっと前から返事がしたかった。想いを伝えたかったのに、私……私は普通じゃないから、きっと拒絶されると思って――」
「……ミリアム」
ディアンが静かに体を寄せてきた。
「……抱き締めてもいい?」
「なっ、何を急に――!」
「いや、我慢できなくて」
「がっ、我慢って……」
「いい?」
散々躊躇った後、こくんと頷いた。顔は上げられない。
ディアンがそろそろと近づく気配がする。目の前で足が止まったと思ったら、その瞬間心地よい温もりに包まれた。
「すごく、嬉しい。そんな風に言ってもらえて。正直、俺の方が拒絶されても仕方ないと思ってたから」
「拒絶なんて……!」
「いや、だって俺のあの部屋見られたし」
「あ……」
色々なごたごたですっかり忘れていた。彼の執着を、見事に再現したようなあの部屋。
「べ、別に拒絶は……しませんよ」
「何その間。地味に傷つくな」
「す、すみません。でも、それもディアンさんなりの愛情だと思って受け入れたいなって」
「……ミリアム」
「はい?」
「キスしてもいい?」
「はっ……はあ!?」
思わずミリアムはディアンを仰ぎ見る。しかし思ったより顔が近かったのですぐに視線を逸らす。
「いや……あの、そんな、いきなり……」
「そう言うと思って、だから一応許可をと」
「う……」
「駄目?」
「いや、あの、その……」
言いよどむ。自然と頬も赤くなった。
「もう……勝手にやっちゃってください!」
やけくそになって、ぷいっと顔を逸らす。微かにディアンが笑う気配がした。ムッとして顔を上げようとすると、その瞬間に口を塞がれた。突然のことに目を白黒させる。あらかじめ言われていたくせに、いざされてしまうとどう対応すればいいのか分からなくなってきた。頭が真っ白になる。
というか、息ってどうやってすれば――。
思わず反射的にディアンの胸を押した、力一杯。それほど力を入れてなかったのか、あっさり体は離れた。
「長いですよ! もうちょっと……その、簡単な感じで、あの」
「これくらいで根を上げられたら困るなあ。普通はもっと長いよ?」
「え……?」
「もう一回練習する?」
顔を近づけてディアンはにこりと笑う。
「結構です!」
しかし思いっきり眉を寄せたミリアムに顔を押しのけられた。が、ディアンも負けてはいない。再び顔を近づけた。しかしすぐに押しのけられる。
しばらくは、そんなイチャイチャという名の押し問答が繰り広げられる。この場が公園だということを忘れて。しかも夕方や夜でもない、真昼間。彼らのイチャイチャは大変目立っていた。