10:笑顔 −2− 


 何とも初々しいカップルだった。

 公園内にいた周囲の人々は微笑ましく彼らを眺める。少し前は二人とも思い詰めたような顔をしていて、緊迫した雰囲気だった。しかしそれはいつの間にか止み、今では見る影も無い。

 幸い、幸せの絶頂にいるであろう彼らを囃し立てる子供はいなかった。いつもなら真っ先に駆けつけ、囃し立てるはずのませた子供たちは、どうしてか今日はいないのである。しかし安心するのはまだ早かった。何しろ、囃し立てる子供はいなくとも、空気の読めない人はいたからだ。一度思ったことは言いたい、行動したい、そんな衝動を抑えることのできない問題児、グリンダである。

「〜〜っ、おめでとう!! 二人とも! これで晴れて恋人同士じゃん!」
「な……グリンダさん!? どうしてここに――」

 ミリアムは当然驚いて飛び乗った。二人きりだと思い込んで、随分ディアンに身を寄せていたからだ。
 しかしその様子すら、嬉しそうにグリンダはニヤニヤと笑う。その笑顔に、ミリアム嫌々ながらは自身の敗北を悟った。

「いや……私は嬉しい! ついに二人、くっついてくれたのね!」
 グリンダはさも自分のことの様に嬉しそうだ。そのお気持ちは有り難い。しかし、どうやら彼女は自分が覗き見していたということを忘れているようだった。

「ディアンもよくあのミリアムを射止めたわね!」
「ありがとうございます」

 恥ずかしくないのだろうか。ディアンが何とも爽やかな笑顔で対応した。

「て、ていうか、あの、どこから見てたんですか……?」
「もちろん最初からよ」

 その言葉に絶句。しかしすぐに思い出す。

「店番はどうしたんですか」
「へ……?」
「最後のお願いだって言ったじゃないですか」
「う……。それは……その」

 グリンダが言いよどむ。しかし先ほどの恥ずかしい場面を見られてしまった羞恥で、ミリアムは思わずじとっとした目になる。しかし、そんな彼女を取り成すように誰かが肩を叩いた。

「まあまあ、いいじゃないかミリアムちゃん。俺たち見守り隊は、君たち年若い二人の行く末が気になって仕方なかったんだ」
 振り返れば、店にいたはずの常連客達がずらりと並んでいた。いや、先ほど店に居た者だけではない。今日はまだ見ていなかったその他の常連客達まで揃っていた。

「もう他の奴らには連絡済みさ! こんな大事なこと、俺たちだけで見守るわけにはいかないからな!」
「は……ちょ、え……?」

 何が何だか分からない。どこからどう突っ込めばいいか分からない。とにかくミリアムは目先の疑問から潰していくことにした。

「み、見守り隊って……?」
「そりゃもちろん君たち若い二人の行く末を見守る隊のことだ!」

 ……そのままだった。

「はいはーい! 隊長は私だよ!」
 背後でグリンダが元気よく手を上げた。
 元凶はやはりあなたでしたか、とミリアムは額を手で押さえる。

「しっかし隊長って言っても名ばかりでなあ。見守り隊っていってんのに、どうしてかこの隊長は自分から首突っ込んでかき回してくれちゃうし……。後始末が大変だったよ」
「なあ? ミリアムちゃん、泣いちゃったことあるし」
「え、そうなんですか? 良かったらそのお話、詳しく聞いてもいいですか?」

 隣からディアンが首を突っ込む。

「お? 聞きたいか?」
「はい、もちろん。できればミリアムさんの小さい頃のお話も……」
「おう、青年! 喜んで話してやるよ!」

 ……もう、ついていけない。
 そう思ってミリアムは思考を彼方に飛ばす。するとどこか冷静なその頭が周囲の言葉を聞きとってきた。グリンダでもディアンでも常連客達の声でもない、彼ら。

「あそこ何だか騒がしいな……。何かやってんのか?」
「ほらあれ……あそこ、たぶん変人書店の人たちだよ」
「ああ、変人書店な」

 なぜその一言で納得するんですか!
 ミリアムは脱力した。あまりお客がやって来ないので、てっきり知られていないだけだと思っていたが、どうやら違う意味で有名だったようだ。

「で、結局何を騒いでるんだよ」
「カップル誕生したらしいよ」
「カップル?」
「変人書店で」
「ふーん……」

 男は熟考するように顎に手を置く。そして一言。

「変人書店カップルか……」
「何ですか、その呼び名は!!」

 ミリアムは思わず目を見開いて突っ込んだ。

「なんか長くて呼びづらいな。変人カップルでよくね?」
「大切な所抜けてますから! 私たちが変人みたいじゃないですか!!」

 ミリアムは当然いきり立つ。

「ちょっとディアンさん、聞きましたか、私たちが変人カップルって!! 変人じゃないですよね!?」
「ん?」

 爽やかな笑顔で振り向くディアンを見て、ミリアムはその言葉を訂正する。この人は変人で間違いなかった。

 いやしかし、たとえ彼がそうであっても自分は違う。
 ミリアムは自信を持って言える。自分は普通の人だと――。

「あれ、知らなかったの? ミリアムも変人で有名だよ」
「へ……へえ!?」
「笑わない書店員ってことで有名だったもの」

 ミリアムはフラッと足元をふらつかせる。
 見守り隊、変人カップル、笑わない書店員……。陰でそんな言葉たちが飛び交っているなど、全く知らなかった。というか、知りたくなかった。

「でもその称号も、今となっては返上できるんじゃない?」
「え?」

 どういうことですか、と聞くまでもなく周りの常連客達がうんうんと頷き始めた。

「分かりやすい書店員」
「流されやすい書店員」
「突っ込み書店員」
「突っ込みって……」

 ミリアムが突っ込みをさせられているのは、間違いなく周囲の人々のせいだ。一筋縄でいかない彼らを統率するには、一人くらい真面目な人が居なければ大混乱だ。にもかかわらず、突っ込み書店員とは――!

「……笑うと可愛い書店員」
 ぽつりと呟かれたその言葉。バッと振り返ると、照れたように笑うディアンがいた。場が静かだ。と思ったら、次の瞬間一斉に歓声が上がる。

「やるねえ! さっすが彼氏様!」
「ミリアムちゃんのことよく見てるー!!」
「でも俺あんまりミリアムちゃんの笑顔見たことないぞ」
「馬鹿ねえ。だからこそ恋人の特権って意味でしょ。恋人だからミリアムも構えることなく笑顔を見せるっていう」
「ああ、なるほどね!」
「勝手に変な解釈しないでください!」

 周囲で盛り上がる常連客たち相手にミリアムが抗議の声を上げた。しかし多勢に無勢。彼女の声はかき消される。

「――ディアンさんも変なこと言わないでくださいよ」
 仕方ないので標的をディアンに変えた。声が届かないことを心配して、彼の裾を掴み、興味を引いてから言った。

「事実だよ」
「ま、またそんなこと言って!」
「ミリアムは笑った方が可愛い」
「――っ!」

 非常に悔しい。衆目の場で真っ赤な顔を晒してしまうのも、ディアンに何も言い返せないのも、すごくその言葉が嬉しかったのも。
 そんな気持ちの反動で、ついミリアムは怒ったようにそっぽを向いてしまった。だが、彼女を見た常連客が、更に茶々を入れ始める。

「お、ミリアムちゃん怒らせちゃったかー」
「怒ると怖い書店員も追加で!」
「怒っても可愛い書店員の間違いでは?」

 再び場が静まる。そして。

「こりゃ一本取られたな!」
「気に入った。青年、夜に一杯どうよ!」
「喜んで」

 はははーと男たちは陽気に笑った。ミリアムだけがなぜか置いてけぼりだ。明日も仕事があるんじゃないか、という非難の意味を込めた目で隣を見上げても、ディアンはものともしていない。むしろ目が合うと、嬉しそうに頷かれるばかりだ。そんな仕草だけで彼女の溜まっていた怒りが消化されていくのだから不思議だ。

「もう……馬鹿みたいですね」
 気づくと、ミリアムは微笑んでいた。思わずと言った笑い声も漏れる。しかし、貴重な彼女の笑い声は、酒盛りの話で盛り上がる男たちの歓声にかき消されて聞こえない。隣のディアンも、ミリアムの表情の変化に気付いていないようだ。

 馬鹿騒ぎをする常連客達に、私も参加する!と元気そうなグリンダ。いつの間にか公園にやって来て彼らの手綱を握っているお爺さんもいる。そして何より隣には、ミリアムの大切な人。

 ミリアムは笑顔を絶やさない。彼女の笑顔は、かつて皆で隠れん坊をしていた頃の様に、無邪気で楽しそうで。
 隣の彼がその笑顔に気付くのは、一体いつになるのだろうか。