05:逢引 −3−
ミリアムたちは軽い食事を終えると、食後の紅茶を飲み、そして店を後にした。もう少しゆっくりしたいところだが、のんびりしているとこの広い園内を今日中に全て回れるか分からない。意見が一致して、ミリアムたちはすぐに次の場所へと向かった。
丘を降りると、道順の看板は林の方向を指していた。サンサンと輝く太陽が見え隠れするほど、そこは高く木々が生い茂っており、おかげで木陰がたくさんできていた。
太陽が見え隠れするほど高く木々が成長しており、来る途中に噴き出していた汗もすぐ引いた。
「林の中ってずいぶん涼しいんですね」
「ですね。ずっとここに居たいくらい」
噴水や丘ではそれなりに人もいたが、ここは全くその影もなかった。せっかく涼しいのに勿体ないとミリアムは思った。
「あれ、東屋かな」
ディアンの後ろをついていくようにして歩いていると、彼が振り返ってミリアムを見た。促されるまま前を見ると、確かに一ヶ所林が開けた場所があり、そこに人工的な木の建物が見える。世界と隔絶されたようなその場所は、見事なまでにミリアムの琴線に触れ、パッと顔が色づく。
「そうみたいですね。行ってみましょう!」
いつの間にかディアンを追い越し、ミリアムが先にその場所へとたどり着いた。木製の香りがミリアムを包み込み、興奮した気分も落ち着いてくる。
「素敵な所ですね」
「読書でもしたい気分になってきますね」
「……ディアンさん、どうせまた居眠りするんじゃないですか?」
「――っバレてたんですか!?」
ディアンが頬を赤くしてバッとこちらを見た。その慌てっぷりに、ミリアムはほくそ笑む。やっと意趣返しできたような気がする。
ディアンは、確かによくミリアムたちの書店に訪れていた。少ない店の売り上げにもずいぶん貢献してくれていた。しかし、他の常連客の様にジョセフと世間話をするでもなく、ただ静かに本を読んでいる様は印象に残っていた。何せ、本を読んでいると思ったら、いつの間にか居眠りを始めているのだから。疲れているのなら家でゆっくり休めばいいのにというのが常連客一同の総意だった。
本が手元からずり落ちることで彼は眠りから覚め、そして首を振って読書を開始する。しかしものの数分で再び眠りに落ちる、というのが一連の流れだった。ミリアムたちは見ない振りをしながらも、その姿にこっそりと癒されていたものだ。
「正直、店によく来ているお客様、みんな知っていますよ? 今まで見ない振りをしてあげてただけです」
「う……うわー……知らなかった」
恥ずかしそうにディアンは顔を両手に埋めた。今までの仕返しだ、とばかりにミリアムはそんな彼を得意げに見た。ディアンは場の雰囲気を変えようと、話題を探す。そして木製の机の上に置かれているものが目に入った。
「ほら、ミリアムさん! 何か置いてある」
「……って、これ、植物図鑑?」
「え?」
「読みたかったんですか? 確かにこれならディアンさんも一発で寝ちゃいますね」
「本当、勘弁してくれ……」
ミリアムはニコニコとそれを手に取ると、ディアンの隣に行った。膝の上でそれを広げる。
「でもさすが植物庭園ですね。すごく分厚いです」
「子供用なのかな。解説がすごく分かりやすい」
「他の季節の花も見れていいですね」
「今は夏だから、花は少なかったしね」
「でも、おかげでゆっくり散策することができましたよ。きっと春や秋だったら人が大勢いて、思う様に見れなかったかも」
「そう言ってもらえて良かった」
二人は再び図鑑に目を落とした。その分厚さから、一枚一枚ゆっくり見ている暇もないように思える。これ可愛い、この花言葉面白いと、二人で感想を言い合いながら図鑑に見入る。
しかしその分厚さは実に数百ページに及び、決して短時間で読み終えるような代物ではない。しかも子供用とはいえ、小難しく文字が羅列している様は、誰だって眠気を誘われる。
ミリアムとディアンは、いつの間にか穏やかな眠りに入って行った。
*****
頬を何かが撫でるような感触に、ミリアムは目を覚ました。すぐに風に煽られた自分の髪か、と気づく。しかし次の瞬間、頭が理解に追いつき、バッと身を起こした。すっかり自分はディアンに体を預けて眠ってしまっていたようだ。
「すっ、すみません!」
涎を垂らしていなかったかと思わず頬に手をやる。ディアンは図鑑を読んでいたようで、ゆっくりと顔を上げた。
「役得だったからいいですよ。それに」
ディアンは悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「これでミリアムさんも居眠り仲間ですもんね」
カーッと顔に熱が集まる。先ほどはこれでディアンをやり込めていたのだが、今度はそれを逆手にとられた。悔しさにプイッと視線を逸らす。
「い、一緒にしないでください! ディアンさんはもう何回居眠りしたことか……! たった一度の私とは比べものになりませんよ!」
「そうかなー、でも随分長い間眠っていたように思うけど。それこそものの数分の俺とは比べものにならないくらい?」
「こっ、これは、その……」
くうっ、と悔しそうに言葉に詰まっているミリアムを見ながら、ディアンは少し安堵の息を吐く。どうやら、自分もミリアムと一緒に居眠りしてしまっていたことには気づいていないようだ。
先にディアンが目を覚まし、ミリアムと寄り添う様に寝ていることに気付くと、慌てて身を起こしたのである。そうして何事もなかったかのように平静に図鑑を読み始めた。先ほどからかわれた身として、抜かりはなかった。
「……また図鑑読んでたんですか?」
話を逸らそうとミリアムは口を開いた。ディアンもそれに気づいたのか、意味ありげに笑みを浮かべるが、何も言わずに頷いた。
「結構面白いなって思って。花言葉の由来もいろいろ書いてありますし」
へぇーとミリアムは図鑑を覗き込む。情熱的な赤のバラが目に入った。花言葉は『あなたを愛しています』。
「そういえば、花言葉って恋愛に関するものが多いですよね」
今まで花言葉など考えたことがなかったが、こうして一度にいろんなそれを知る機会に恵まれると、その事実に気付いた。ふっとミリアムはその疑問を口にする。
「そりゃあロマンチックだから、かな? 花を贈るのは、だいたい恋人だからね」
「なるほど、そういえばそうですね」
ミリアムはふむふむと頷く。
「でも私は、やっぱり花言葉よりも自分が気に入った花が良いですね。伝えたいのなら、言葉にして伝えればいいのに」
「本当の気持ちを隠して贈るっていうのもロマンチックでいいものですよ」
「そう……なんでしょうか」
「ミリアムさんはどんな花が好きなんですか?」
「私ですか……?」
考えたこともなかった。花なんて、誰からも贈られたことがなかったし、お爺さんと生活するので精一杯だった。たまに道端で見かける花が可愛らしく見える程度で、これといったお気に入りはない。
ミリアムはディアンから図鑑を受け取り、静かにページをめくった。何か印象に残るものはあっただろうかと遡る。確かに色合いが良いものや、形が可愛らしいものなどそんな存在の花は山ほどある。その中で特に気に入ったもの、と言われてもすぐには思いつかない。
そう思ったところで、不意に手が止まった。薄紫の小ぶりな花のページだった。
「勿忘草……」
花の写真に見入ったわけではなかった。
――私を忘れないで。
寂しげに書かれたその花言葉に目が留まったのだ。
それを目にした途端、一気にミリアムは自分の立場を思い出してしまった。
自分が記憶を食べて生きていること、実の両親の記憶まで手に掛けたこと、今現在共に暮らしているお爺さんの記憶にだけは絶対に奪いたくないこと、しかし近ごろ更に食欲が増して困っていること、そして目の前の青年、優しく見つめるこの青年の記憶を頂くために、今日この場に来ているということ。
「気になるんですか?」
「あ! いえ、その……」
ミリアムは慌てて顔を上げる。しかしすぐにディアンと目が合い、逸らす。
「少しだけ……少しだけ、気になっただけです」
その花言葉が、あんまりミリアムの気持ちを代弁しているようで。
酷く胸に刺さった。