05:逢引 −2−
植物園に着くと、ミリアムたちはもう汗だくだった。軽く手で仰ぎながら、うっそうと茂る植物の園に足を踏み入れる。もわっとした熱気が二人を襲う。
「あ……暑いですね」
耐え切れずミリアムが言った。振り返らずディアンが苦笑する。
「そうですね。まさか俺もこんなに暑いとは思わなかったんだけど」
「でもその分人がいないから静かで落ち着いていますね」
「――ありがとうございます」
ミリアムの拙い取り繕いの言葉に気付いたのか、ディアンは僅かに笑みを見せる。
「でも、もう少し行ったらすぐに涼しくなると思う。豪華な噴水があるので」
「噴水……?」
「はい、ほら、聞こえてくるでしょう」
「あ……」
耳を澄ますと、確かにどこからか涼やかな水の音が響いてきた。同時に、はしゃぐ子供の声も聞こえる。
その音が聞こえる方向に歩みを進めると、鬱蒼と木々が生い茂っている中、急に目の前が開けた。瞬時に、水が幻想的に空を舞う光景が目に入った。
その場所は、人々が休憩するための場所だった。ポツポツと点在するベンチに座り、談笑している。周囲には小ぶりな噴水がいくつか設置され、その中央に大きい噴水が鎮座していた。水が太陽に反射し、辺りは一面キラキラ光っている。水を透かして後ろの緑が見える様も素敵だった。
ミリアムがしばらくその様子に見とれていると、噴水は次第に小さくなっていき、そして止まった。先ほどの様子が華美だったせいか、止まってしまった噴水がやけに寂しく思えた。
「止まっちゃいましたね」
ミリアムはぽつりと呟いた。その背中が、あんまり寂しそうだったので、ディアンが声をかけようとすると、瞬時に噴水から水が噴出した。
「――わっ!」
案の定ミリアムは驚き、後ずさった。何が面白いのか、ディアンはそれを見て噴き出す。
ミリアムの抗議の視線にディアンも気づいたのか、否定するように手を振った。
「いや……ごめん。驚き方が可愛いなって」
「そ、そういうこと言うの止めてください!」
飾る気のない、自然に漏れ出たようなディアンの言葉は、瞬時にミリアムの頬を赤くする。彼の言葉に一挙一動踊らされているようで、虫の居所が悪かった。
彼から離れる様にして、ミリアムは噴水に近づく。
「でも……本当に涼しいですね」
噴水の前で目を瞑った。ミリアムが今いる場所は、細かな飛沫がかかって程よいくらいに心地良い。
風の通り道なので、噴水は風によって飛沫の向きが変わるようだ。風向きが変わるたびに、飛沫を味わおうと子供たちがその方向へ一声に走っていく姿が何とも可愛らしい。
「そうだね、綺麗だ」
その声があんまり優しかったので、ミリアムはそっとそちらを窺った。その声に違わず、彼も優しい表情でこちらを見つめていた。目が合い、瞬時にカーッと顔が熱くなってきた。
「あ……っと、次行きましょう、次!」
ふいっとミリアムは目を逸らす。
「あ、待って!」
後ろで何か声がするが、構いはしない。ミリアムはどんどん先へ進む。噴水の間を縫うようにして歩くと、その先のアーチが目に入った。白い柵に色とりどりのツル状の花が巻き付いているそのアーチは、見事にミリアムの乙女心をくすぐった。すぐに潜ってしまうのが何だか勿体なくて、ふっとその足は止まった。
「可愛いですね」
「――っ!」
耳まで赤くなった。自分が言われているわけではないのに、この可愛らしいアーチに向けられているに決まっているのに、どうにも落ち着かない。今まで大した異性経験がなかったことが、ミリアムの耐性が低い元凶だ。きっとディアンはそんなこともないのだろう。そう思うとすごく悔しい。
「……え、もう行っちゃうんですか。勿体ないですよ」
「いいんです! もう十分見ましたから!」
どしどしと女子らしくない足音をさせながら、アーチを超え、小道を進んだ。再び出口らしいアーチをくぐると、今度は小高い丘に辿り着いた。目前に広がるそこは、芝生の代わりに小ぶりな花が植えられているようだった。その花を踏むのが何だか申し訳なくて、ミリアムはつい忍び足になる。
「あ、何だか良い香り……」
歩くたびに、どこからか良い匂いが立ち込めてくる。ミリアムはきょろきょろと辺りを見回した。そんな様子に、ディアンはひそかに笑う。
「イブキジャコウ草だね。踏み潰すと空中に芳香を放つんだ」
「物知りですね」
驚いた顔でディアンを見ると、彼は視線を逸らしながら首を振った。
「あ……いや、ちょっと知る機会があってね」
珍しく歯切れが悪い。ミリアムは不思議そうに彼を見上げたが、その視線から逃れる様に彼方を見る。
「ちょっとこの辺りで休憩しようか」
「休憩……? そうですね。ちょっと足も疲れてきましたし」
丘を越えると、少し人が多くなってきた。この広い植物園は散策するのに時間がかかるらしく、結果的にここで昼を過ごす者も多い。そんな人たちのために軽い休憩所が設けられているようだ。
ミリアムたちは程よく空いてきたお腹を抱えてそちらへ向かう。
「そういえば、もうとうにお昼過ぎてましたね」
「お腹鳴ってましたもんね」
「え……ええ!? 鳴ってましたか!?」
思わず口走って、しかしその後にはたと気づく。自分のお腹が鳴っておきながら、自分がそれに気づかないわけがない。
「――酷いですね。仮にも女の子に向かって」
ミリアムは口を尖らせた。これを言ったのがグリンダあたりであれば、絶対にからかい文句だと分かる。しかしこれがディアンとなると、どうも冗談を言っているような気にならない。
「いや、つい。すみません」
謝ってるようには思えないその言葉に、次第にミリアムは呆れて無視することにした。彼の言動に翻弄される自分が馬鹿らしい。
「さっさと入りましょう」
「あれ、やっぱりお腹空いたんですか」
「〜〜っ、馬鹿にしないでください!」
ミリアムは結局怒ってディアンを睨み付けた。始めは対等な立場だったはずが、いつの間にこんなにからかわれる側になってしまったのだろうか。
「ほらほら、拗ねてないで早く入りましょう」
「……誰が拗ねさせたと思って」
「はいはい。すみません」
突っ込むのも怒るのも、いい加減疲れてきた。
ミリアムは大人しくディアンの後ろに続いて店に入った。と言っても、この店には仕切りも天井もない。色とりどりのパラソル、真っ白いテーブルにイスが備えられているだけだ。一見簡素なものに見えるが、やはり自然を感じられる場所での食事、というのがコンセプトなのだろう。
「眺め、素敵ですね」
周囲よりも高い位置にあるこの丘からは、先ほどの噴水の眺めが一望できた。相変わらず先ほどの子供たちも、飽きる様子なく走り回っていた。
「はい。食欲も進みそうです」
にっこりとほほ笑みを交わすと、二人は食事を始めた。眺めだけでなく、自然の中で食べる食事は美味しかった。爽やかな風が頬を撫でとても心地よかった。
こんな穏やかな日々が続くのもいいかもしれない。
ふとミリアムはそう思った。