03:前途多難な部屋割り
入学式も終わり、行く宛もないので、セシリアとハロルドは、そのまま寮に向かうこととなった。セシリアとしては、これから三年間お世話になるトラヴィスの中をしばらく見て回りたい気もしたが、いかんせん隣にはハロルドがいる。男の格好をするのは今日が初めてだったので、何か失態を犯すのではとそれどころではなく、泣く泣く見学を諦めるに至った。
トラヴィスの寮は三つある。一つは家柄の良い者たちが集まるクラウザー寮。更に上の由緒正しい寄宿学校も狙えるほどの身分ではあるが、財が足りず、渋々トラヴィスにやってきた者たちが入寮している。二つ目は少々荒くれ者達が集うソワルド寮。古くからの騎士の家柄だったり、農民から上がってきた者たちだったり、そういった腕力に自信のある者たちが多い寮である。三つ目は、セシリアが入ることとなるブルックス寮。成績優秀者や、どの寮にも属さない者たちが入寮する。他の寮に比べれば、いじめも喧嘩もないので、比較的穏やかに学校生活を送ることができるが、何せ地味な者たちが多いので、他の寮生から馬鹿にされることもあるらしい。
「そういえば、ハロルドさんはどの寮なんですか?」
「ハロルドでいい。敬語もいらない」
「え? あっ……じゃあ、そうする」
セシリアはドギマギして頷いた。
ハロルドには、何故だか思わず敬語を使ってしまいそうな威厳があるので、ほとんど無意識だった。しかし、同い年なのだから、確かに敬語もおかしい。
頑張って敬語無しで慣れてみようとセシリアは決心した。
「私はブルックス寮だ。君は?」
「わっ……僕もブルックス寮だよ! 良かった、知り合いがいないから、ちょっと不安だったんだ」
「そうだな。早速友人ができて、私も嬉しい」
「うん!」
男ばかりの寄宿学校生、セシリアは不安でならなかったが、ハロルドのような紳士がいるのなら、きっと大丈夫だろう。
セシリアとハロルドは、トラヴィスについて話しながら、ブルックス寮に向かった。
ブルックス寮は、寮棟が立ち並ぶ小道の奥――日当たりの悪い場所にあった。当然のことながら、最も豪華で大きく、日当たりの良い場所にある寮棟は、クラウザー寮である。財力の格差をひしひしと感じながら、二人は重たいだけのボロボロなブルックス寮の扉を押す。ギイイッと、まるで今にも壊れてしまいそうな音を響かせて、扉は開いた。
「あ、あのー……」
思ったより、中は普通だった。この様子なら、内装も酷い有様なのではないかと思っていたが、若干薄暗く感じるだけで、エントランスにはソファやテーブル、新聞やちょっとした美術品なども置かれ、なかなか小洒落ていた。
「あ、新しい生徒さんか」
寮母さんと見られる恰幅の良い女性が、入り口入ってすぐ右の小窓からちょいちょいと手を振っていた。セシリアは頭を下げながらそちらへ歩み寄る。
「こんにちは。新入生のセシル=セネットと申します」
「同じく、ハロルド=ヘミングスです」
「はいはい、初めまして。あたしはブレンダ。これから三年間よろしくね」
名簿に目を通しながら、ブレンダはうんうん頷いた。
「あなたたちの荷物はもう届いてるから、そこの扉から入って自分のを取っていって。他の生徒さんのもあるから、間違えないようにね」
「はい」
小窓のすぐ横の扉を開ければ、視界一杯に広がる荷物の山。セシリア達と同じくブルックス寮に入る人たちの荷物なのだろう。
セシリアは、なるべく優しく取り扱いながら、何とか自分の荷物を引っ張り出した。
「まだたくさんありますけど、他の生徒たちはまだ来てないんですか?」
「うん、あなたたちが一番乗りだね。大方、トラヴィスの中を見学でもしてるんじゃない?」
「そうですか……」
少し寂しいような気もして、セシリアは肩を落とした。
本当は自分だって見学をしたかったのだが、しかし何かの拍子に男装に気づかれてはいけないし――。
「後で私たちも見学に行かないか?」
「――っ、うん!」
ハロルドににこやかに微笑まれ、セシリアは反射的に頷いていた。きっと、セシリアの気持ちに気づいたからそう提案してくれたのだろう。
――優しい人だなあ。
セシリアはすっかり上機嫌になって、ブレンダの部屋を出た。
「ちょ、ちょっと! あなたたち、部屋割り聞いてないでしょ!」
「あ、そうでした」
「全くもう、せっかちだね。ええっと、確か、セシルとハロルドだったね。ちょっと待ってね」
ブレンダは先ほどの名簿を注視する。
「あ、良かったね。二人とも308の同室だよ」
「えっ」
セシリアとハロルドは、同時に声を上げた。ハロルドは純粋な喜びからだったが、セシリアには驚愕が主だった。
「ど、同室……? え、あの、一人部屋じゃないんですか?」
セシリアは勢い込んで尋ねる。しかし驚くのはブレンダの方だ。
「何言ってんの。一年から一人部屋はないよ。クラウザー寮は違うけど」
「私たちブルックス寮が一人部屋になれるのは、最終学年になってからだ」
「そ……」
ハロルドにまでそう言われ、セシリアはへなへなとその場に崩れ落ちた。
男子と、同室……? それも二年間も!?
今となっては、父親が恨めしかった。トラヴィスは寮生活だが、一人部屋だから安心しろと言っていたのに。娘が入学するというのに、下調べが甘すぎやしないか。
あまりに落ち込んでいるのを見かねてか、ハロルドはそんなセシリアの肩に手を置いた。
「……そんなに落ち込むな。私の方が悲しくなってくる。私は君と同室で嬉しかったが」
「そ、それは、うん、僕も嬉しいけど」
でも、それとこれとは話が別だ。未婚の女の子が男と一つ屋根の下で暮らすなんて。
だが、相手がハロルドだということはせめてもの救いだった。彼ほどの紳士ならば、適切な距離感で、人が嫌だと思うこともしないでいてくれるだろう。当たり前のことではあるが、時折、人は羽目を外すときがある。男だらけの監督すべき両親もいないここトラヴィスでは、そんな輩が一体どれだけ増えてくることやら……。
二人は、ブレンダに挨拶をした後、308号室に向かった。その途中、誰ともすれ違わなかったが、きっと先輩寮生たちは、今頃授業を受けている最中なのだろう。
308号室の鍵を開け、セシリアはパッと扉を開く。そして目前に広がる、一年間お世話になる部屋――。
「なっ……!?」
セシリアは言葉を失った。部屋の入り口で突っ立ったまま、呆然とする。
何故だか、ベッドが二つある。それは別にいいのだが――問題は、なぜそのベッドがどちらも二段ベッドなのかということ。
「四人、部屋!? え!?」
「何をそんなに驚いている」
セシリアの横から、ハロルドは部屋の中に入っていった。隅に自分の荷物を置き、彼女を振り返る。
「だ、だって、二人部屋じゃなかったの!?」
「当たり前じゃないか。おそらくソワルドは二人部屋かもしれないが、何せブルックスはお金がないらしい。今までも、そしてこれからもずっと一年生は四人部屋だろうな」
「そんな……」
二人ならまだなんとかなったかもしれないが、四人だなんて!
早速セシリアは目の前が暗くなっていく気がした。部屋の中を見渡してみても、狭い部屋に二段ベッドと机と椅子が二つずつあるだけで、身を隠せるような場所はない。
こんなところで、どうやって着替えろというのか。
セシリアが絶望に打ちひしがれていると、遠くから大きな声が響いてきた。
「なんで俺がソワルド寮じゃないんだよ!」
どこかで聞いたことのあるような声だ。ブレンダの声も聞こえる。
「そう言われてもねえ。そういう風に手続きされてるから、もう変更は不可能なのよ」
「納得いかねえ!」
――おそらく、彼も自分たちと同じく新入生なのだということは、容易に想像がついた。
セシリアはひたすらに祈る。どうかこの乱暴な声の主が、この部屋に入ってきませんように、と……!
「あーあ、最悪。坊ちゃんと同じ部屋かよ」
だが、セシリアのその真摯な祈りは早々に打ち砕かれた。308の部屋の扉をおおっぴらに開け、黒髪の少年が舌打ちをしているところだった。
「君、その坊ちゃんというのは止めてくれないか。私の何が気に入らないんだ?」
「全部」
少年はずかずかと侵入すると、部屋の中を見渡す。
「小せえ部屋だな。こんな所に四人も押し込められるのかよ」
そう言うと、少年は自分の荷物を乱雑に床に置く。思いのほか少ない荷物が、鈍い音を立てた。
「一応忠告しておくけど、ソル……だっけ? 部屋の中で暴れたりしないでよ。他の同室の子達とも仲良くね」
「うるせえな。さっさと行けよ」
ソルがしっしと追い払うような仕草をすると、ブレンダは顔をしかめて応酬した。彼女が扉を閉めるとき、同情するような視線をセシリアとハロルドに向けていったので、セシリアは更に悲しくなった。
「げっ、それになよなよした新入生代表もいんのかよ。どうなってんだよ、ブルックス寮は」
「なっ」
カチンときて、セシリアは思わずソルに向き直る。
「そういう言い草はないんじゃない? ソワルドに入れなかったからって、僕たちにまで当たらないでよ」
「何だと?」
一触即発。
セシリアとソルが睨み合っていると、コンコンと場違いなノックの音が響いた。ハッとしてそちらを見やれば、半開きのドアに寄りかかるようにして赤毛の少年が立っていた。
「ノックはしたんだけど、聞こえなかったみたいで。お取り込み中かな?」
「あ……いや、そういうわけじゃ」
「なら良かった」
ニコニコと人好きのする笑顔で、少年はずんずん部屋に入ってきた。セシリアの前に立つと、右手を差し出した。
「やあやあ、入学式でも会ったね。俺はレドリー=ラドフォード。これからよろしく頼む」
「あっ、よろしく。セシル=セネットです」
「ハロルド=ヘミングスだ」
順々に握手をすると、レドリーはソルにも顔を向けた。その顔は、非常に握手をしたそう……だったのだが、ソルがそれに応じるわけがない。仕方なしにレドリーは握手を諦め、荷物を床に置いた。
「そうだ、あの男の子は大丈夫だった?」
「ああ、うん。今は保健室のベッドで寝ているよ。先生も、しばらく休んだら治るんじゃないかって」
「なら良かった」
微笑むセシリアに対し、レドリーはにこやかに頷いた。
「ハンカチも助かったよ。後で洗って返す」
「え、ううん、気にしなくても大丈夫だよ」
「俺が気にするさ。手入れされたハンカチだったが、多分女性からの贈り物だろう? 綺麗にして返すよ」
「――キザな野郎だな」
ボソッとソルが呟いた。レドリーの言葉に、感動すら覚えたセシリアはムッとする。が、当のレドリーはさして気にした風でもなく肩をすくめた。
「言われ慣れてるさ。俺は女性が大好きだからね」
「え? あっ……」
反射的に自分の身を守るような動作をしてしまったセシリアだが、レドリーは慌てて首を振った。
「勘違いしないでくれよ! 別に君が女性に見えるとかそういうことではない! 単に、騎士道精神に則って、女性や子供には優しくしたいという意味も含めて……」
「はあ、そうですか」
とりあえずは相づちをうちながらも、セシリアはレドリーから一歩退いた。
――彼には近づかないでおこう。なんとなく、自分の身に危険が及びそうな気がしたのだ。自分の第六感を信じたいセシリアは、そのことを重要事項として心に留めておいた。
「だが、これで四人が揃ったわけだな。荷物を整理して落ち着きたいし、それぞれの寝る場所を決めよう」
ハロルドの言葉に、セシリアは内心諸手を挙げた。彼女が目指すは、二段ベッドの下の段だ。そこならば、カーテンを吊して、何とか周りの目から逃れることができる。今のセシリアの財政事情からいうと、賄賂となりうる物はないため、最悪泣き落としをする覚悟で下の段を狙っていた。
怖い顔でセシリアが周囲の様子を窺っていると、唐突に扉が開いた。呆気にとられた四人が入り口に目を向ける間もなく、眼鏡の少年が黙々とと部屋の中に入ってきた。入学式で倒れた少年である。
「――ノエル、もう大丈夫なのか?」
最初に彼に声をかけたのはレドリーだった。ノエルは小さく頷く。
「別に、ちょっと不調だっただけだし」
若干まだ顔色が悪いような気もするが、確かに足取りはしっかりしている。少年は、そのまま床に荷物を下ろすと、二段ベッドに腰掛けた。ふうっと長いため息をつく。
「――で、なんで四人部屋に五人もいるの」
「いやいや、こっちの台詞!」
咄嗟にセシリアは叫んだ。折角四人揃ったというのに、なぜまた新たに生徒がやってきたのか。
「どうしてあなたがここに? あなたも308号室なの?」
「そう言われたけど。誰か間違ってるんじゃないの?」
「俺は確かにここだって言われたぜ。気にくわねーけど」
「私もそう言われた。セシルと一緒に」
「俺もここだと言われたが」
「…………」
なんとも言いがたい沈黙が漂う。
一体誰が間違っているのか。
互いが互いを疑うような目で見渡していると、明るい声と共に扉が開いた。
「ごめんごめん! ちょっと名簿に手違いがあったみたい!」
入ってきたのはブレンダだった。名簿を大きく掲げた後、申し訳なさそうに両手を合わせる。
「今年は、急に一人ブルックス寮に入れてくれって子がいたから、例年より一人多いのよ。でももう部屋は余ってないし……。悪いんだけど、あなたたちだけ五人部屋ってことでいい?」
「んなの受け入れられるわけねえだろ! ただでさえちんけな部屋に五人だと!?」
「それに、ベッドは四つしかないんですよ? あと一人はどこで寝るんですか?」
「……床?」
「俺たちをなんだと思ってんだ!」
部屋の中は土足なのに、そこで寝ろというとは。
ソルほどではないが、もの言いたげな視線が自分に集まっていることに気づき、ブレンダは両手を目一杯広げた。
「う、嘘! 今の無し! 分かったわよ、あと一週間もしたら、ちゃんとしたベッドを手配するから、少しの間だけ、誰か一人床で我慢してくれない?」
ブレンダの必死の哀願に、もう仕方ないかという空気が五人の間に流れた。とはいえ、ソルだけは未だに納得がいかないようで。
「四人部屋に五人ってとこは変わらねえんだな」
そんな言葉が吐き捨てられたが、ブレンダは反応しなかった。
「本当にごめんなさいね。後で下に敷く物持ってくるから。一週間だけ我慢してね」
あくまで低姿勢でブレンダは部屋を出て行った。向かい合う五人の間には、誰が床で寝るのかという哀愁が漂う。
「俺は床なんかで寝ないからな。元はといえばお前らがあいつの提案を承諾したからこうなったんだからな」
ソルは早速話し合いから離脱した。ベッドに腰掛け、ニヤニヤ笑う。
「おい、お前らの中で、俺が床で寝てやるーって奇特な奴はいないのか」
ソルのからかうような声に、四人は視線を彷徨わせた。
「僕はもちろんベッドがいい」
「俺もできればベッドがいいな」
「ぼ、僕も……」
セシリアも恐る恐る流れに便乗する。気まずい空気が流れる。
「おい、赤毛。お前さっき騎士道精神がなんちゃらかんちゃらとか言ってなかったか? こういう時にそれを発揮しろよ」
「女性や弱者を守るという意味で言ったのであって、同い年には効力は発揮されない」
「はっ、随分都合のいい騎士道なこった。おい、じゃあ眼鏡は。お前、俺たちに迷惑かけたんだから自分が床で寝てやろーって気にはなんねえのか」
「故意に迷惑をかけたわけじゃない。それとこれとは話が別だろ。それに少なくともお前には迷惑はかけてない」
「俺の服にゲロを引っかけておいてよく言うぜ!」
「もう既に汚いんだから、更に汚れてもそんなに変わらないだろ」
「何だと!?」
ソルはいきり立ってノエルの胸ぐらを掴んだ。慌ててレドリーが制止に入る。さすがに入学初日で問題を起こすのは駄目だ。
セシリアがハラハラしていると、ずっと黙っていたハロルドが、重々しく四人の前に立った。
「もういい! 寝る場所くらいで喧嘩になるなら、私が床で寝る!」
「えっ」
「それでいいだろう。ほら、喧嘩は止めろ」
冷静な声でそう言われれば、ソルも引き下がるしかない。
セシリアはホッとしながらも、おずおずとハロルドを見上げた。
「でも、いいの……?」
「気にするな。私はどこででも寝られる」
にこやかに笑うハロルドは、まさしく紳士だった。
尊敬の眼差しでセシリアが彼を見つめれば、ソルは馬鹿らしいとばかり鼻で笑い、二段ベッドの梯子を登った。
「俺はここにする。文句はねえな?」
「馬鹿と煙は高いところが好きだって言うしね」
「てめー、今なんて言った!」
ノエルは小さく呟いたつもりなのだろうが、ソルには聞こえていたらしい。上のベッドから顔だけ出して睨みをきかせたが、その格好ではなんとも威厳がない。
「じゃあ僕はここにする。うるさい奴の下でなんか寝られるか」
ノエルが選んだのは、ソルの反対側の下段ベッドだ。後に残ったセシリアとレドリーとが、視線を合わせた。
「君はどっちがいい?」
「僕は……できれば下がいいかな」
「じゃあ俺はここにしよう」
軽く頷き、レドリーはノエルの上段ベッドに移動した。彼に礼を述べると、セシリアは下段のベッドに荷物を置く。
すぐ上のベッドからはうるさい軋み音といびきが聞こえるし、目の前の下段ベッドには、我関せずと読書をしている者もいる。
協調性など皆無の彼らに、セシリアは今後の学校生活に不安を隠せずにいた。
「大丈夫かな、これから……」
思わずそう呟けば、余計空しくなるばかりで、セシリアは首を振って心を入れ替えると、荷物の整理を始めた。