10:苦肉の策


 向こう一月外出禁止というのは、レドリーとノエルから大いに顰蹙を買った。レドリーは、週一日の楽しみである飲み歩ができなくなってしまうことをさめざめと嘆き、ノエルはというと、勉学のための資料を街に買いに行けないことを毒づいた。セシリアとしては、申し訳なさにただただ肩身を狭くするのみだ。門限に間に合わなかったのはソルと一緒にいたからだが、彼自身は門を飛び越えて何とか誤魔化すことができたらしいし、肝心のソルも、セシリアの助けは全く必要としていなかった。彼女のお節介だと言われればそれまでで、つまり、セシリアが門限に間に合わなかったのは、完全なる自業自得に過ぎないのだ。多少歯がゆいような気もしなくはないが、咄嗟に要領よく行動できなかったのは自分自身の問題だろう。

 悔しいことこの上ないが、セシリアは皆にただ謝罪し続けた。彼女以上に悔しいのは、何の責もないのに外出禁止になってしまった同室達だ。あれこれと弁解できるわけもない。
 ただ、これが皮切りになった訳ではないだろうに、セシリア達308の生徒は、ことごとくそりが合わなかった。トラヴィスの授業では、同室生同士で組み、課題をこなすものもあるのだが、これがなかなかに統率が取れない。レドリーは人の話を聞かないし、ソルはそもそも授業をすっぽかす、ノエルはノエルで、周囲のことには我関せずといった様子で、勝手に一人で課題を進めていく。セシリアとハロルドは頭を抱えた。常識人に思える二人の方も、セシリアは忍耐力がなくすぐに言い返してしまう真っ直ぐな性格だし、ハロルドは説教くさくて皆にうっとうしがられる。308の五人は、傍目から見れば個性の強すぎる生徒たちばかりだった。
 教師ももちろん彼らに対して頭を悩ませていた。この五人のせいで授業が進まないし、問題行動も多い。困った教師達は、例年通り監督生であるティモシー達にこの問題を丸投げした。下級生の面倒は上級生含む監督生が見るべきであり、躾けもまた彼らの仕事なのだ。
 ティモシーは、308の生徒全員を自室に召喚した。もちろんソルもである。
 この頃になってくると、もうティモシーもソルのことは怖くなくなっていた。いや、怖いことは怖いのだが、観察するうち、彼がソワルドのように誰かに手を出す姿を見たことがないことに気づいたのだ。
 問題行動は多いが、一応は節度を弁えている。
 それに気づいてからは、ティモシーはもう遠慮なかった。五人を横並びに整列させ、自分はソファに悠々と座りながら、手を組む。

「お前達の統率の取れなさ加減は話に聞いている」

 五人は一斉に目を逸らした。とはいえ、ソルは元々そしらぬ方向に視線を向けていたが。

「普通一月も経てば、自然と同室生は仲良くなるものだが、お前達には全く当てはまらない。そもそも、五人という人数だからなのか、それとも一人一人の個性が強すぎるのか」
「それはないですよ、ティモシー先輩」

 堪らずセシリアが声を上げた。

「僕やハロルドはちゃんとしてます。でも他の人たちが」
「言い訳は無用だ、セシル。他の同室生を御せない時点でお前達も同罪だ」
「全くその通りです」

 項垂れ、ハロルドは真剣に話を聞いていた。上に立つ者として、指揮を執る機会は今後幾度となく訪れるだろう。そんなとき、思うように配下を動かせなければ、それは全て己の結果として返ってくる。そこには言い訳の入り込む隙も無い。

「話を元に戻す。とにかく、僕はお前達の中で室長を決めることにした。今後一切、お前達の何人たりとも、室長に逆らうことは許されない。室長の命令は絶対だ。ソル、お前もだぞ」
「なんで俺が言うこと聞かなきゃなんねーんだよ。そんな義理もねえのに」
「監督生の言うことに逆らうのか? 下級生の躾けも我々に一任されている。規律に従わない生徒を退学させる権限もまた、な」
「ちっ」

 忌々しげに舌打ちをし、ソルは顔を逸らす。ティモシーは空咳をして話を続ける。

「それに、お前は何か勘違いをしているな。なぜ始めから誰かに従わないといけないと決め込む? お前が室長になる確率とて、充分にあるのだが」
「先輩、ソルが室長になったらこの世の終わりですよ」

 折角ソルを手懐けようとしていたのに、セシリアが余計な茶々を入れる。案の定ソルは彼女を一睨みした。

「おい、それはどう言う意味だよ」
「そのままの意味だけど」
「おい、喧嘩をするな」

 やれやれとティモシーは首を振った。一向に話が進まないのは、やはり問題児だらけの308室生のせいだと。

「喧嘩っ早いお前達のために考え出した案だ。同列だからこそ、互いに牽制し合う。ならば、リーダーを決めたらどうだ? リーダーの言うことは絶対。そういう決まりを始めに決めてこそ、規律が守られるのだ」

 ティモシーは立ち上がり、後ろ手を組んだ。

「恨みっこ無しの一本勝負。用意は良いか?」

 厳しい眼差しで、一人一人を順に見やる。

「このトラヴィスにおいて、全ての生徒は平等だから、本来は室長などという制度はあってはならないのだが、お前達だけは特別だ。そうでもしない限り、永遠にお前達に頭を悩まされそうだからな」
「で、その室長とやらは、どうやって決めるんだ? 体力勝負か?」

 さっさと本題に入れとでも言いたげな口調だ。ティモシーは若干青筋を立てたが、ここで怒れば彼らと同列になってしまう。
 眉間の皺をもみながら、ティモシーは深々とため息をついた。

「僕も随分頭を悩ませた。知力だと差が酷すぎるし、体力もまた公平性に欠ける。誰にも文句を言われないような、そんな妙案――」
「ティモシーの部屋はここだったかな?」

 またしてもティモシーの話を遮る輩が現れた。ボサボサの長い髪をくくりもせず、ひょろっとしたひ弱そうな男だ。制服の上から羽織った長衣は埃っぽく、彼が動くたびにかび臭いような、煙臭いような臭いを漂わせた。彼はドカドカと遠慮なく部屋に押し入り、五人の姿を認めると、その前に並び立つ。

「君たちか、サライユを採ってきてくれるのは」
「サライユ?」

 セシリアとレドリーの声が被る。侵入者は鷹揚に頷いた。

「紫色の花をつける植物で、見た目は可憐だが、誤って口にすれば中毒症状を起こす毒草だ。口にして間もなく、舌の痺れから始まってやがて全身に痺れが行き渡る。嘔吐、腹痛、下痢を起こし、最終的には痙攣や呼吸不全に陥る場合もある。だが、きちんとした手順で毒素を抜けば、風邪薬にもなるし、香りの良い茶にもなる。それに加えて――」
「パスカル。その辺りにしておいてくれ。皆面食らっているだろう。先に自己紹介でもしたらどうだ」

 長くなりそうな話に、ティモシーがやっとのことで割って入る。男はうっとおしげに髪を掻き上げた後、肩をすくめた。

「パスカルだ。よろしく頼む」

 彼の自己紹介はなんとも簡潔なものだった。しかし、先輩から挨拶をされ、それに応えないわけにはいくまい。
 セシリアとハロルドは礼儀正しく挨拶をし、レドリーはのんびりと名を名乗り、そして残り二人は、三人の挨拶によりうやむやになって、結局挨拶をすることはなかった。とはいえ、パスカルがそれを気にする素振りは全くなかったが。

「どうしてサラーユを採ってくることが妙案なんですか? 珍しいものなんですか?」
「サライユだ」

 憤慨してパスカルは間違いを正す。サラーユでもサラユでもどうでも良かったセシリアは、聞かなかった振りをして再度尋ねる。

「で、どうしてそれが妙案になると?」
「サライユは、それほど珍しいものではない。山に行けば群生しているし、高価だが店でも売っている。需要がないから、売っている店は少ないけど」
「だからこそ、自慢の体力を駆使して、山から採ってきても良いし、財力を駆使して店から買ってもいい。そのどちらもない者は頭でも使うんだな」

 パスカルの言葉を引き継いで、ティモシーが説明した。セシリアは難しい顔で考え込む。自分は体力もないし、財力なんてもってのほかだ。だったら頭を使えとのお達しだか、頭を使ったとして、どうやって高価で群生地も遠いサライユをとってこいというのか?
「おや、そうか。君も308か。妙な縁だな」

 パスカルは、唐突にノエルの方を向いてそう口にした。途端にノエルの顔色が悪くなり、セシリアは首を傾げる。

「どうしたの?」

 小声でそう問えば、彼は同じく小声で答える。

「僕のファッグの先輩だ」

 てっきり無視されるものかと思っていたセシリアは拍子抜けした。そんな彼女の様子は気にもとめず、ノエルは口早に囁く。

「気味悪い人だよ。薄暗い部屋から滅多に出てこないし、変な水薬を作ってるし。この前なんか、ただただ苦い薬の実験台にされた」
「失敬な物言いだな」

 隣のセシリアにしか聞こえないほどの声量だったが、パスカルはそれでもノエルの声を聞きつけた。片眉を吊り上げ、両手を広げる。

「苦い薬はその分効果が高いんだ。どうだ、あれからよく眠れるようになったろう?」
「ただ眠れるようにするだけなら睡眠薬で充分です。何のためにあの薬を開発しているのか、僕には全く理解できませんが」
「既存の睡眠薬ばかりに頼っていては面白くあるまい? 人間は常に成長しなければ。研究し続けなければ、新たな発明も生まれないのだよ」
「それなら、既にある薬の効果をもっと上げることに尽力した方が効率的です。どうして茨の道を進もうとするんです」
「未知の分野に挑戦してこそ思ってもない発見に出会うものなのだよ。君にはまだ分からないかも知れないが」
「分からなくて結構です」

 ふいとノエルは顔を背ける。もう会話は続けたくないとの意思表示のようだ。パスカルは、全く気にした素振りも見せず、ただ肩をすくめた。

「君は賢い。僕の望む答えをすぐにくれる。たとえ考え方が相反していても、そのおかげで分かることも多々あるだろう。君が後輩で良かったよ」
「全然嬉しくない……」

 げそっとした表情でノエルが呟いた。だが、パスカルはそれをケラケラと笑い飛ばす。
 話が大分逸れてしまったので、そこでティモシーがようやく動き出す。パンパンと手を叩き、己に注目を集める。

「とにかく、どんな手を使っても良い、サライユを取ってこい。外出は許可しよう。ただし、寄り道は厳禁だ。互いに協力するのもだ。あくまで己一人で遂行するのだ。行け!」

 ティモシーは右手を掲げ、まるで犬でも追い払うかのようにシッシと手を振った。

「犬じゃあるまいし……」

 セシリアと同じことを感じたらしかったレドリーは、小さく呟き、まるでそれに同調するかのように、ハロルドは苦笑を漏らした。