01:繋がりが欲しい
昔からそうだった。
「ほら芋虫ー!!」
「ちょっと……止めて! こっちに来ないでよ!」
「あはは、だっせーの! たかが芋虫ごときで」
「何よ、自分だってカマキリ怖いくせに!」
「べ、別に怖くなんかねーし! ただあの顔がちょっと不気味に見えるだけだし!」
「それが怖いって言うんじゃない! いいわ、見てなさいよ。今度カマキリ見つけたら、絶対あんたの部屋に放り込んでやるんだから!」
顔を合わせれば口論ばかり。
「いい御身分ね、いろんな人から誕生日の贈り物貰っちゃって」
「何だよ、羨ましいのか?」
「誰が。私はただあんたがようやく私と同じ歳になれたことを祝いに来てあげただけよ」
「同じ歳って、たった二週間しか変わらないだろ!」
「でも早いことは早いんだから私がお姉さんね」
「そういう所が子供っぽいんだよ……」
「何か言った?」
素直になれたことなんて一度もない。
「街へ一週間泊まり込むって本当?」
「ああ、親父の手伝いだよ」
「ふーん……」
「何だ、寂しいのか?」
「はあ!? そんな訳ないでしょ!? うるさい隣人がいなくなって清々してるのよ!」
「それはこっちの台詞ー。これで一週間うるさい小言と離れられるぜ」
「何ですって!?」
いつもいつも口論ばかり。そして今も。
「サイラスが騎士……ねえ? 想像つかないわ」
「うるさいな。お前こそメイドなんてやっていけるのか? お淑やかとは程遠いお前が」
「失礼ね! 私はこの日のためにきちんと学んできたんだから」
「都会は怖いぜー? 田舎出身のメイドが太刀打ちできないくらい洗練された所なんだろうな」
「あんただって人の心配してる余裕ないんじゃないの? 騎士は貴族出身も多いし、小さい頃から訓練を受けてきた人も多いはずよ。田舎で畑仕事ばっかりやって来たあんたがちゃんとやっていけるかどうか……」
リディアとサイラスは今年十五になり、昨日無事に成人の儀も終えた。そうして今日、街へそれぞれの夢をかなえるために出立するのである。
「向こうでも元気でやんなさいよ」
「お前も軟派な貴族にうつつを抜かさないようにな」
「――っ、そっちこそ、その辺の女に有り金全部はたかないようにね!」
互いに叫びながら、ふんっと顔をそむける。そむけた先に、透けるような空の色を確認してようやく、二人は後悔し始めるのであった。
いつもこうだった。二人の口論は日常茶飯事なのだが、全てを相手にぶつけてすっきりした後、ようやくやってしまったという後悔が押し寄せてくる。が、全ては後の祭り。口をついて出た言葉は、もはや無かったことにできない。
そんな後悔を抱えながら、日々少しでも素直になれるよう精進しているのだが、幼馴染と顔を合わせたが最後、どちらからともなく憎まれ口を叩いてしまうのだから世話ない。
いつもなら、どうせいつものことなのだからと割り切ってしまうのだが、しかし今日はそれぞれの出立の日。もしかしたらもう一生会うことも無いかもしれない日なのである。そう簡単に割り切れる訳がない。
「……じゃあ、ね。サイラスも頑張ってね」
「お、おう。リディアもな」
しかし、こちとら伊達に十数年口論し合った仲じゃない。それこそ、そう簡単に素直になることなんかできない。
ぎこちなく二人は背を向け、歩き出した。行き先は一緒なので、結局は同じ乗合馬車に乗ることになるのだが、緊張のあまりそのことがすっかり頭から抜け落ちている二人である。
さて、所変わってサイラスの家。子供たちがいよいよ街へ出立するというので、二人の母親は集まってその準備をしていた。そして準備も終わったところで、二人を呼ぼうと窓に近寄ると……先の光景が目に入った。いつもと変わらず売り言葉に買い言葉、どんどん口論は激化……と見せかけて鎮火。
不思議なことに、リディアとサイラスは今まであまり大喧嘩をしたことがない。大喧嘩に発展する前にどちらからともなく口をつぐむのだ。そして次の日、顔を合わせた時にはもう二人ともカラッとしている。派手に喧嘩するよりは、ただの口論に留まることは望ましいと言えば望ましい。が、だからこそ仲が発展しないとも言えるのが悲しい所だ。
今だって互いを気にして、歩みを鈍くし、時折後ろを振り返ってはいる。しかし運が悪いのか、その振り返りの瞬間が互いにかみ合わず、視線が交じわることは無かった。互いが気になるくせに、その想いも決して交じり合うことは無いのである。
二人の母親はしばらく待ってみたが、外の子供たちの関係が発展するような出来事は何も怒らない。いい加減変化のない光景に飽き飽きしてきて、母親達は重いため息をついた。
全く子供というものは、いつまで経っても手が掛かり、そしていつまで経っても可愛いものだ。
「おい、あんたたち!」
「二人ともー」
二人の母親は、家から出るとすぐに叫んだ。子供たちは驚いたように目を丸くして振り返り、そして再び幼馴染の方を見る。今度はバッチリ目が合ったが、しかしすぐに口をひん曲げてそっぽを見る。見守る側としては、素直じゃないを通り越して、もはや面倒くさい。
何もかもを放り出したい気分になるのを必死で堪え、母親たちはそれぞれ己の子供に小包を渡した。茶色のそれは、見た目とは相反してなかなかずっしりとした重量がある。戸惑いながら二人は両手でそれを抱えた。
「な、何? これ」
「あたしたちからの餞別さ。持っていきな」
「何が入ってるの?」
「手紙だよ、封筒も一緒にね。偶にはそれであたしたちに手紙書くんだよ。待ってるからさ」
唖然としながらリディアは茶色のそれに目を落とした。
手紙……これが?
ただの紙の束と封筒だけというには、重量があり過ぎる。十数センチはあるだろうか。
リディアはひくっと頬を引き攣らせた。
「で、でもお母さん。これ無駄に量多くない……?」
「いやあ、一度にたくさん買う方がお得だって行商人が言うもんだからさ、つい乗せられて買っちゃったんだよ、ねえ?」
「そうなのよ。しかも二人一緒に買ったら更にお得にするって言われてね。ほら、サイラスも面倒くさがらずにちゃんと私とお父さんに書くのよ?」
淑やかに微笑みながら、しかし田舎のお母さんらしく、母はガシッと息子の肩を掴む。逃げきれないと悟ったサイラスは、曖昧な笑みを浮かべた。
「いや……でもこれ、絶対に使いきれないだろ。量多すぎ」
「量? あなたたちこれから何年も……いえ、きっとそのまま向こうに住み着くことになるのよ? それならその手紙の量、多すぎるなんてことはないわ」
ポカンと口を開ける子供たちに向かって母は諭す。言いながら、次第にそのことを己の中で再確認してしまったのか、不意に涙を浮かべた。
「寂しく、なるわね……」
湿っぽくなるのは嫌だと思って我慢していたのだが、これが一生の別れになるのかもしれないのだ。堪え切れるわけがない。
物は壊すしたくさん食べるし騒がしいし。
一か月くらいどこか遠くに行ってくれないものかと何度思ったことか。しかしそれすらも懐かしい。これからはもう、どんなに願っても家に帰って来てはくれないのだから。
目を抑えて黙り込んだ友人の肩を抱き、リディアの母は指をビシッと子供たちに突き付けた。湿っぽく別れたくないね、二人がいつまでも仲良くいてくれればいいね、という友人の願いを遂行するためだ。
「はっ、量が多い? じゃあ何ならあんたたち二人で手紙交換でもし合ったらどうだい? 近況報告とかさ」
ハッとしてリディアとサイラスは顔を見合わせた。しかし目が合った瞬間すぐに顔ごと逸らす。初々しい、というか思春期真っ只中の二人の反応に、母親二人は生暖かい気持ちでそれを眺めた。
「いくらあんたたちがメイドやら騎士やらに憧れているからってね、仕事ってのはそんなに甘くないんだ。偶には同郷の者と手紙交換したり、二人で会って言葉を交わしてみたりっていう息抜きも必要だと思うよ?」
シーンと静まり返る。子供たちは二人とも黙ったままだ。さすがにそう上手くはいかないか……と母親同士不安そうに顔を見合わせた、その時。
「確かに……勿体ないものね、この量を使い切らないのは」
「折角値切って買ってもらったんだからな」
自分に言い訳するかのように二人は頷いた。目の前の異性のみならず、自分にすら素直になれないようだ。
全く先が思いやられることだと、母達が呆れた表情になるのも仕方がない。
「サイラス。手紙……送ってあげるから住所教えてよ」
「――お前もな。着いたら連絡しろよ」
ニヤニヤ笑う母の視線を大いに気にしながら、思春期二人はこそこそと住所を書き留めた。そうしてそれが終わると、二人は達成感に頬が緩むのを必死で堪えながら、互いに背を向けた。決して相手に弱みを見せないのが二人の常だった。
「じゃ、じゃあ俺行くから……」
「私も。その、じゃあね……」
短く挨拶すると、二人は同時に歩き出し――。
「ってちょっとあんた達!? 何ここで別れ話みたいなことしてるんだい? 同じ馬車に乗るんだから、それはまだ先だろ?」
「もう、やーね、二人とも。まだ別れは先なんだから、それまで一緒に居たらいいのに」
「ったく……」
母にそれぞれ首根っこ掴まれ、リディアとサイラスは無様にもう一度引き合わされることとなった。視線は交じわらないが、それでも口元には笑みが浮かんでいる。
「おーい!」
遠くで父親が叫ぶ声が聞こえた。馬車を調達して来てくれたようだ。子供の様に大きく手を振っている。
「馬車の準備ができたそうだ! 早く来い!」
「っと、もうそんな時間か。じゃあゆっくりもしてられないね」
「そうね。荷物を持って行きましょうか」
それぞれの家に一旦姿を消し、荷物を持った。これから生活する中で増えていくかもしれないので、荷物は必要最低限だ。革製のリュックを担ぎ、先ほど母から貰った手紙の束を小脇に抱えれば準備は万端。
緊張した面持ちで、リディアとサイラスは馬車の前に並んだ。泣き笑いのような表情の母と、どこか誇らしげな父がその前に立つ。
「リディア、元気でな! お父さんにいつでも会いに来ていいからな!」
「ったく、相変わらずうるさいねえ、この人は。リディア、あたしはあんたが元気でいることが一番嬉しいんだからね。無理するんじゃないよ」
「サイラス……。偶にはこっちに顔を出してくれると嬉しいんだがな。月に一度、休みもあるんだろう?」
「そうね、寂しくなったらいつでも遠慮なく帰ってくるのよ。手紙も待ってるからね!」
両親に涙ながらに挨拶をされた後、リディアとサイラスは無事馬車に乗り込んだ。散々揉みくちゃにされたので、髪も服もよれよれだ。
「お父さん、お母さん、行ってきます!」
街への憧れと寂しさを抱きながら、リディアは窓から手を振った。
「父さん、母さん、行ってくる」
将来への期待と不安を抱きながら、サイラスは窓から微笑み返した。
ガラガラと音を立てながら馬車は街へ向かう。二人の長い道のりの第一歩であった。