第一章 孤児院
09:弱点見つけちゃった
ルイスは、それからもちょくちょく姿を現すようになっていた。決まって、アデラが掃除をしている朝の時間にやってくるのだ。
アデラが渋々掃除をしていれば、いつの間にか背後に忍び寄っていて、やれここが汚いだの、やれあそこはまだ掃除してないねだの、まるで小姑のように口を出してくるのだ。うるさいったらありゃしない。
そのくせ、合間を縫って仕事を手伝ってはいるようで、ちゃっかり自分も朝ご飯にありついている。小うるさいルイスの顔なんて見たくもないアデラは、正直なところうんざりしていた。誰だって、眠たい朝から嫌の人の顔は見たくないものだ。
朝食を終えると、決まってルイスは帰っていくので、アデラにとっては、その時がようやく人心地つく瞬間だった。朝食を食べている最中、早く帰れ帰れと心の中で念じている甲斐があるというものだ。
朝食を食べた後、アデラ達の行動は様々だ。みんなで庭で遊ぶときもあれば、朝の仕事の続きをすることもある。だが、今日はいつもと違って、女子だけが室内に集められた。男子は外で畑仕事をしているようで、それなら、女子はまた掃除をしないといけないのか、とアデラは内心げんなりしていた。しかし、アデラにとっては意外なことに、タバサは掃除道具を持って現れなかった。代わりに彼女が手に持つのは、大きな裁縫道具だ。
「じゃあ今日は久しぶりにお裁縫をしましょう。皆さん、作りかけのものはちゃんと持ってきてるわね?」
「はあい」
「分からないことがあったら各々私たちに聞きながら、各自進めましょう」
「はあい」
間延びした返事を返して、子供達はワーッとテーブルに置かれた裁縫道具に群がった。いち早く針を取ったり、糸を切ったり。あっという間にそれぞれの行動を終えると、彼らは自分の席に着き、熱心に縫い物を始めた。アデラは目をぱちくりとさせて、呆然と一連の行動を見つめたままだった。
「アデラ、じゃああなたもお裁縫を始めましょう」
「裁縫……私が?」
アデラは驚嘆の思いで聞き返した。裁縫が何をするものなのか、知識として知ってはいたが、実際に見るのは初めてだったのだ。アデラの母は、裁縫なんて決してしたことがなかったし、メイド達だって、アデラの目の届く場所で裁縫はしなかった。自分とあまり年の変わらない――いや、むしろ年下の――女の子達がするすると縫い物をしているのを見て、アデラは驚きよりも、ちょっとした感動の方が勝っていた。
「女の子にとって、お裁縫はとても大切なものなのよ。教養の一つとして嗜んでおくことに超したことはないし、結婚したときにとても重宝するの。ほつれた服を自分で直したり、小間物を仕立てたり。女の子が自立して生きていく場合にも、お針子という道が残されているのよ」
「お針子?」
聞き慣れない言葉にアデラは小さく呟いた。だが、もとより興味はなかった。結婚や自立なんて自分には関係ない。お母様が迎えに来てようやく自分の人生が開かれるのだから。
それでも、糸と針とが見事に布の上を行ったり来たりする様は、見ていて心地が良く、アデラは食い入るようにその光景を見つめていた。
「ほら、見るだけじゃなくって、実際にやりましょう。やったことはあるでしょう? お裁縫。どのくらいできるのか、少し見せてくれない?」
タバサは布と針、糸を持ってくると、アデラに差し出した。アデラは目を丸くして彼女を見上げる。
「私、やったことない」
「え? お母様に教えてもらわなかった?」
「…………」
ゆっくりとアデラは首を振った。一瞬タバサは戸惑って視線を彷徨わせたが、すぐに微笑んだ。
「そう。じゃあ一から教えてあげるから、隣にってくれる?」
「……ええ」
珍しいことに、アデラは大人しくタバサの隣に腰を下ろした。この私が裁縫なんて! との、いつものような反発を想定していたタバサは拍子抜けする思いだった。しかし、そんなことではアデラに悪いかと、すぐに彼女も思い直す。
「まずは針に糸を通すのよ。ほら、この小さな穴に」
「穴なんかないじゃない」
アデラはすぐに言い返した。ただでさえ針は細くて短いのに、これのどこに穴があるというのか。
「あるわよ。ほら、目を凝らしてみてみて」
「……ある、けど」
確かにあった。しかし、なんとなく釈然としない思いでアデラは黙り込んだ。こんなに小さな穴を穴と呼んでいいのか。そもそも、なぜこんな所に糸を通さなくてはならないのか。
だが、アデラがそう疑問に思った矢先、タバサは手慣れた動作で小さなその穴に糸を通した。あまりの早業に、アデラは瞬きをしている間に終わってしまった。
「えっ」
「そうしたらね、布と布の端をあわせて針を刺す」
驚くアデラを置いてけぼりに、タバサはどんどん先に進んでいく。出たり入ったりしている針を見ているうちに、作業は終わったのか、タバサは布を広げて見せた。
「ほら、これできちんと縫い合わさっているでしょう? 見ていてもつまらないから、まずはやってみましょうか。ほら、アデラも針に糸を通して」
言われるがまま、アデラはなんとかやってみようと目を細めた。針の穴は、注視してみないと見落としてしまいそうなくらい小さい。アデラが集中していると、小さな足音を立てて、コニーがタバサの元までやってきた。
「せんせー、できました!」
「まあ、もうできたの? ちょっと見せてくれる?」
「はい」
もじもじと恥ずかしそうにコニーは持っていた小物入れを手渡した。隣からアデラも覗き込み――。
「凄いじゃない!」
堪えきれなくて、思わずアデラは大声を上げた。
「あなた一人で作ったの?」
「う、うん……」
アデラはまじまじと小物入れを観察した。小さく等間隔な縫い目に、隅には花の刺繍まで施されている。自分よりも遙かに年下の少女が作ったなどと、にわかには信じがたかった。
「本当に凄いわね」
「うん……。おかーさんに教えてもらったの」
恥ずかしそうに言うコニーに、アデラはちょっと目を見開いた。しかしそれも一瞬のことで、嬉しそうに口元を緩めた。
「そう! とっても優しいお母様なのね」
「うん」
アデラが小物入れを返すと、コニーはまたそれを持ってロージーに見せに行った。縫い物の手を一旦止め、ロージーも優しく出来映えを褒めてやった。その隙に、アデラはロージーに忍び寄り、彼女の後ろからひょいと覗き込んだ。
「……あなたは下手なのね」
「うるさいわね。こういう細々とした作業は苦手なのよ」
まだ作り始めたばかりなのか、出来上がりが何になるかは予想はつかない。が、それにしても、縫い目が均等ではないし、ガタガタに見えた。
「そこ、歪んでるわよ」
「言われなくたって分かってるわよ」
思わず口を出すアデラに、ロージーは口元をひん曲げながら応戦した。
「人の心配してないで、あんたこそ自分のやりなさいよ」
「今はやる気がないの。今日はみんなの見学をすることにする」
「何がやる気がない、よ。どうせ自信ないんでしょ。下手な言い訳してないで、さっさとやればいいのに」
「あー、ほら。会話に気を取られてたらまた縫い目が歪んでるわよ。私のことは気にせずにどうぞ?」
「……っ!!」
顔を真っ赤にしてロージーはまた裁縫に注意を戻した。アデラは意地の悪い笑みを浮かべて、彼女の傍らで気をチラスばかりだ。
一方のタバサは、二人の光景を、眩しい思いで見つめていた。