第三章 伯爵邸

51:なんてこと言うのよ!


 コニー達とのお茶会当日、アデラは非常にソワソワしていた。朝食のときもそうだったし、昼食のときは尚のことだ。

 急く気持ちはそのままにゆっくりゆっくり昼食を食べ、グレイディが食堂から出て行ったのを見届けると、すぐにエリックを引き入れた。

 手はず通りに、エリックにはコニーとミンネを迎えに行ってもらい、今は門を入ってすぐの木陰に待たせているという。

 テーブルに出ていたパンや焼き菓子をナプキンで包みながら、アデラはエリックにも指示を出した。

「そこのティーカップと食器も東屋に持って行って。私、先に迎えに行ってくるわ」
「こんな……まるで盗人みたいにコソコソしなくても、友達とお茶会するから、お菓子の用意をしてとメイドに伝えたら良いのでは?」
「いいのよ。それに、あんまり大々的にしたくないの。また何か言われるかもしれないでしょ」
「それはそうですが」

 内緒にしてと一言添えれば、メイドだって約束は守る。何もここまでしなくともとエリックは思ったが、楽しそうなアデラに水を差すのも申し訳なく、それ以上苦言は口にしなかった。

 一足先にエリックが東屋へ向かうと、アデラはコニー達を迎えに門の前まで出て行った。もちろん辺りをキョロキョロしながら、人目を憚りながら、である。

「おねーちゃん、こっち!」

 コニーは手を振ってアデラに存在を示した。アデラはホッとした笑顔で近づいた。

「コニー、そのドレスそろそろ小さいんじゃない?」

 コニーは、以前アデラがあげたマリーゴールド色のドレスを着ていた。昔のアデラのように、裾から脛がはみ出していた。

「おねーちゃんからもらったものだから、大切にしたいの!」

 きゅっとドレスを守るように抱き締められれば、もうアデラに言えることは何もない。実際、少し嬉しかったので、照れ隠しに素っ気なく頷いた。

「そ。じゃあ早速行きましょう。お気に入りの場所があるの」
「あっ、その前に……」

 ミンネが声を上げ、コニーと顔を見合わせた。何が始まるのかしら、とアデラは目を丸くする。

「お招きありがとう、アデラ」

 ミンネは気取った令嬢のように礼をしてみせた。彼女に倣って、コニーもドレスの裾をちょこんと持ち上げる。

「今日はたくさんお話ししようね」
「――もちろんよ。ようこそ、コニー、ミンネ」

 アデラも同じように礼をした。ここ数週間でパトリスに鍛えられたアデラの礼は、見よう見まねのコニー達には到底及ぶものではなかった。二人は感嘆してほうっと息を漏らしたが、顔を上げたアデラが悪戯っぽく笑うので、笑い声をたてて笑った。

「さ、行きましょう。こっちよ」

 アデラは少しだけ人目を気にしながら、二人を庭園の中に招き入れた。そして東屋に到着すると、予想通り女の子二人組は歓声を上げた。

「わー、可愛いね、ここ!」
「でしょう? 食後はいつもここで休憩するの」

 アデラが設計した訳ではないのに、得意げに胸を反らした。

「ほら、早く座って。お茶しましょう」
「うん! どれもおいしそうだね!」

 テーブルに並べられていたのは、昼食の余り物だ。お茶というには品目は少ないが、コニー達は全く気にしなかった。

 早速手をつけようとするコニーを、ミンネは慌てて制した。

「ほら、コニーちゃん。あれ忘れてる」
「あ、そっか!」

 一体何なのよ、とアデラが眺めていると、ミンネは手提げ袋の中から花束を取りだした。色とりどりの不揃いの花束が、ぎこちなく新聞紙でラッピングされている。

「折角お呼ばれしたから、作ってみたの」
「おねーちゃん、どうぞもらって」
「あ、ありがとう……」

 アデラは恐る恐る手を伸ばして受け取った。東屋の近くに花は咲いていないので、余計に花束からかおる香りが鼻をくすぐった。

「可愛いわね。二人が摘んだの?」
「うん。たくさん花が咲いてある場所があってね」
「今度連れて行ってあげる」
「…………」

 まるで初めて花を見たと言わんばかり、アデラがじいっと花束を見つめるので、ミンネは笑ってしまった。

「アデラちゃん。早く花瓶に飾らないと、萎れちゃうよ?」
「あ、そうね。私、ちょっと……」
「僕が部屋に飾ってきます」

 生け垣からにゅっとエリックが出てきた。

「いいの?」
「はい」
「おにーちゃんも一緒に食べようよ」

 コニーがフォークを握ったまま話しかけた。エリックは苦笑を返す。

「僕は大丈夫です。折角の水入らずですから、三人でどうぞ。何がご用がありましたら、お呼びください。すぐ近くにおりますので」

 小さく礼を返し、エリックは花束と共に屋敷へ歩いて行った。ミンネはその後ろ姿をいつまでも見つめていた。

「エリックさんって格好良いね! 執事? エリックさんって執事?」
「従僕よ」

 パンを千切りながらアデラは答えた。

「じゅうぼく?」
「護衛? みたいな……」
「へえ、そうなんだ!」

 二人ともよく意味の分かっていない顔だったが、アデラは気にしなかった。自分だってよく分からないのだから。

「アデラちゃんは毎日どんなことしてるの?」
「私? 主に勉強ね」
「学院に受かったのに、まだ勉強するの?」

 ミンネは興味津々に尋ねた。

「ああ、そういう勉強じゃなくて、マナーの授業よ」
「マナー?」

 聞き慣れない言葉に、コニーはこてんと首を傾げた。

「挨拶とか、綺麗に食べる練習をするんだよ」

 お姉さんらしくミンネが答えた。へえ、とコニーは何度も頷いた。

「おねーちゃんは頑張り屋さんだね!」
「そんなことないわよ」

 ふんとそっぽを向くアデラを、コニーはニマニマして眺めた。

 それからも、しばらく孤児院の近況や、最近あった出来事を話した。たくさん子供がいるアトラリアでは話題は事欠かないようで、主だってコニーが話し、その合間合間をミンネが補う形でお茶会は進行した。

 コニーの高い声を、突如ガラガラと響く車輪の音が遮ったのは、太陽が傾き始めた頃だ。馬車とみられるその音は、グレイディ家に入ってきていた。

「誰かお客さんかな?」
「お母様が帰ってきたのかも」

 アデラは嬉しそうに答えた。

 シェリルは、朝から出掛け、夜遅くまで帰ってこない日が多い。日中に帰ってくるのは珍しい。中はアデラの方も授業があるので、どちらにせよ、母娘水入らずで話せる機会などほとんどないのだが。

「コニー、おねーちゃんのおかーさんに挨拶がしたいな」
「私も会ってみたい」
「止めた方が良いかも」

 アデラは浮かない顔で答えた。ほぼ反射的だったので、自分で自分の返答に驚いた。

「どうして?」
「…………」

 アデラが答えないうちに、馬車が止まった。エリックとシェリルが話している声が聞こえた。

 もしかして、自分を探しているのだろうか。

 アデラはそわそわとした。ついで、コツコツとヒールの音が辺りに響いた。

「エリック? アデラはそこにいるの?」

 シェリルの声に、アデラは弾かれたように立ち上がった。その顔には明らかにしまったと焦りが浮かんでいた。

 そう間を置かず、生け垣からシェリルが姿を現した。アデラは為す術もなくその場に立ち尽くす。

「お、お母様……」
「その子達は?」

 シェリルはよそ行きの格好をしていた。誰か人と会ってきていたのかも知れない。

 彼女がわざわざ自分に会いに来てくれたのは嬉しかったが、今はまずかった。

「……友達」
「友達?」

 値踏みをするかのような目つきで、シェリルはコニー達を上から下まで見つめた。その鋭い視線に、コニー達はすっかり笑みを引っ込め、おろおろとアデラとシェリルとを見比べる。

「孤児院の?」
「……ええ」

 小さく返ってきた返事に、シェリルの顔は大きく歪んだ。

「言ったわよね。もうあそこには行かないって」
「……行ってない。行っちゃ駄目って分かってるから、遊びに来てもらったの」

 言い訳のようにアデラは付け足す。アデラとしては、事実を述べたまでだ。だが、シェリルにとっては、それが口答えと感じた。

「何よその言い草。それで言いつけは守ったつもり? はっきり言わないと分からない? 孤児院の子供にはもう会うなって! アデラとこの子達では住む世界が違うのよ」

 まるで自分が怒鳴られたかのように、コニーとミンネは萎縮した。そして二人揃って立ち上がる。

「ご、ごめんなさい。私たち、アデラちゃんに会いたくて……」
「ごめんなさい……」

 悪くもないのに、二人はおろおろと何度も謝罪を繰り返した。シェリルはコニーに目を留め、大きく目を見開いた。

「それに――何よ、そのドレス」

 ツカツカとコニーに歩み寄り、シェリルは彼女を見下ろした。

「アデラのじゃないの? それ……そのオーダーメイドのドレス――信じらんないっ!」

 コニーのマリーゴールド色のドレスは、特徴的だった。色合いだけでなく、デザインも、今となっては時代遅れではあるが、その当時流行った流行の型で、だからこそ余計に目がつく。

「あ、あの、これは……」

 急に怖い顔で詰め寄られ、コニーはおどおどとドレスの裾を握りしめた。

「おねーちゃんに、もらって……」
「はっ、盗っ人猛々しいわ! 何よこの子、アデラのドレス着ておいて言い訳するつもり?」
「違うの! 私があげたの! 小さくなって着られなくなったから!」

 アデラは慌ててシェリルに縋り付く。小さなコニーが怯えていて見ていられなかった。

「あげた? だとしても、恥ずかしく思わないの? アデラの古着よ? 人様の古着を着てお茶会?」

 シェリルは唇の端を吊り上げてテーブルを見回した。こっそりくすねてきただろうお菓子やパンに、あちらこちらに零れているパン屑。

「私の方が恥ずかしいわ。アデラのお古を着てのこのこやってきて。身の程を知りなさいよ」

 よくよく見れば、コニーのドレスには染みや皺がたくさんある。背丈にも合ってないし、何回もゴシゴシ擦ったのか、よれよれだ。シェリルは呆れてもうものも言えなかった。

「ごっ……ごめんなさっ」

 ポタポタと大粒の涙がコニーの膝元へ落ちていく。シェリルは腕を組み、東屋にもたれかかった。なんとかしなさいよ、という視線をアデラに送るが、彼女は茫然とコニーを眺めるだけだ。

「コニーちゃん、行こう?」

 ミンネがコニーの背を撫でた。コニーは小刻みに頷いた。

「お、お邪魔しました……」
「本当にね。もう二度とうちの敷居を跨がないで」

 吐き捨てるように言うと、二人の少女は逃げるように東屋を出て行った。エリックが呼び止める声がし、一瞬遅れてアデラも叫んだ。

「コニー! ミンネ!」

 だが、もう遅かった。アデラは追いかけることもできず、二人が消えた方向を見つめていることしかできなかった。後ろから小さくないため息が聞こえたとき、ようやくアデラは我に返った。

「お、お母様……どうしてあんな言い方したの? 私がプレゼントしたドレスに、あんな言い方……。確かに私のお下がりだわ。でも、コニーは喜んでくれた。私だってコニーに着てもらって嬉しかった。お母様にもらった宝物だったから……」
「じゃあどうしてあげるのよ。自分でずっと持っておけば良いでしょ。孤児院の子供なんかにあげなくてもいいじゃない」

 シェリルは悪びれもせず東屋に腰掛けた。

「着るものがなくて可哀想だったの? それならまだ許せるけど」
「そうじゃ……そうじゃない」

 アデラは言葉もなく首を振った。

 タンスの肥やしにしておくのはもったいないと思った。可愛くてまだ着られるドレスに、日の目を見せたかった。時々トランクから出して眺めるよりも、誰かに着てもらって、それを見る方が、よっぽど目に楽しいと思ったのに。

 アデラの頭の中をぐるぐる回るのは、コニーの泣き顔と、しょんぼりしたミンネの顔だ。それを思い出すだけで、アデラの胸はきゅうっと締め付けられた。

「もうあんな子達とは関わっちゃ駄目よ。そのうちお金までたかられるようになるかも」
「――っ」

 アデラは息をのんだ。信じられない思いでシェリルを見上げる。

 何も知らないくせに、どうしてそんなことを言えるのか――!

「お母様なんて大っ嫌い!」

 アデラの中の激情は、もう止めることなどできなかった。自分が何を口走ったのかも分からないまま、アデラは走り出した。

「アデラっ!」

 愛する母の声が聞こえてきたが、アデラの足は止まらなかった。闇雲に突っ走って屋敷を飛び出した。