第一章 孤児院

05:私に掃除をしろと?


 次の日の朝も、アデラはロージーにたたき起こされた。硬い寝台のせいで昨夜はあまり寝付けなかったと文句を言っても、ロージーは全く聞き入れてくれない。ぶっきらぼうに箒を押しつけられた。

「水くみくらいであんなに時間がかかってたら堪らないわ。今日は庭の掃き掃除をやってもらうから。いいわね、ちり取りはエントランスの階段の右にある物置部屋にあるから。集めたゴミは袋にまとめてエントランス前に出しておいて。じゃ」

 一息で説明すると、ロージーはそのままさっさと身を翻した。アデラはその勢いにポカンとしていたが、やがて寝台から飛び降り、彼女の裾をガシッと掴む。

「ちょっと待ってよ! この私に掃き掃除をしろって? そんなの冗談じゃないわよ」
「掃き掃除の何が嫌なのよ。水汲みはあんたの要領が悪いから下ろされたの。掃除はちゃんと真面目にしてよね」
「掃除は嫌!」

 アデラは一際大きく叫んで箒を突き返した。が、もちろんロージーは箒もアデラの言い分も聞き入れるわけがない。

「我が儘言わないで。ここはあんたの家じゃないのよ。いつまでもそんな我が儘が通用すると思って?」
「そうよ、ここは私の家じゃないわ! もうすぐお母様が迎えにきてくれるんだもの。そうしたらこんな所すぐにおさらばしてやるわよ!」
「はいはい。早くその時が来ればいいわねえ」

 ふっと鼻で嘲笑すると、ロージーは背を向けた。

「とにかく、掃き掃除はきちんとやりなさい。でないと、今日の朝ご飯は抜きだから」

 偉そうにそう言い放つと、ロージーは今度こそ寝室を出て行った。アデラは箒を睨み、唇を噛みしめる。
 どうして私が掃除なんか。
 アデラの家には、かつてたくさんの使用人達がいた。執事やメイド、料理長に御者。中でも、屋敷や庭を掃除しているメイドの姿はよく目立った。本来は、アデラ達主人の目につかない時間帯に掃除をするべきところだが、アデラがあまりに屋敷内を駆け回っているので、掃除をしている場面に立ち会うことが多かったのだ。
 ――メイド達が同じ仕着せを着て、掃き掃除をする光景。
 それこそ、幼いアデラの記憶に一番残った「使用人」の姿だった。
 主人である自分が遊んでいる傍ら、彼女たちは掃除をしている。主人である自分が屋敷を汚す傍ら、彼女たちが掃除をしていく。
 それなのに――お嬢様だった私が、どうして掃除なんかしなくてはならないの。
 アデラは口元をひん曲げると、箒を投げ捨て、寝台に飛び込んだ。まだ眠たかった。すぐにウトウトと瞼が落ちていく。
 結局、アデラはそのまま寝付いてしまった。日が昇り、朝の仕事をしていた子供達が返ってきたことすら気づかない。

「アデラ!」

 寝室にロージーが駆け込んできて、眉をつり上げてアデラの毛布を剥ぎ取った。それでもアデラが目を覚ます気配はなく、ロージーは彼女の頬をつねった。

「い、いたっ!」
「あたし、ちゃんと掃除してって言ったわよね? なんでこんなところで寝てるわけ?」
「私、掃除なんかしたくないもの」

 そっぽを向いてアデラはそう呟く。もう用は終わったでしょとばかり、彼女は毛布に手を伸ばすが、ロージーはもちろんそれを許さない。

「じゃあいいわ。あんた、もう今日はそこでずっと寝てればいい。朝食は抜きだから」
「どうしてよ! お腹ペコペコなの。私ちゃんと食べるわ!」

 慌ててアデラは寝台から飛び降りたが、彼女の頭に手を乗せ、ロージーは押しとどめた。

「無理よ。掃除すら真面目にしない子に食べさせる朝食なんてない。諦めなさい」
「嫌!」

 寝室にも薄らとスープの匂いが漂ってきていて、アデラのお腹はもう限界である。無理矢理彼女はロージーの手から脱出する。

「食堂に行ったって無理よ。あたしが食べさせないから」
「馬鹿言わないで! 偉そうに!」

 この私が朝食抜きですって?
 まるでお仕置きのようなこの屈辱――アデラは今まで一度も味わったことがなかった。だからこそ、悔しくて堪らない。
 貧相で量も少ないあんなご飯で我慢してるのはこっちの方だっていうのに!
 アデラは食堂に駆け込み、昨日と同じ席につく。そのすぐ後にロージーがやってきた。食堂を一望し、アデラに目をとめると、彼女のテーブルに用意されていたスープとパンを、これ見よがしに取り上げた。

「何するの!」
「だから朝食は抜きだって言ったでしょう。仕事もちゃんとやらないで、ご飯が食べられると思わないで」
「あなたね――」
「ちょっと二人とも!」

 院長にしては珍しく大きな声で、タバサは一喝した。

「ここは食事の席よ。喧嘩なんかしないの」
「だって」
「ロージー、これは一体どういうことなの? アデラが朝食抜きって」

 不思議そうな子供達の視線が集まる中、タバサは二人の元へ歩いて行った。

「聞いての通りです、院長先生。アデラが朝の掃除をしなかったので、朝食を取り上げるんです」
「アデラ、それは本当?」

 困ったような目で見つめてくるタバサに、アデラはふんっとそっぽを向く。

「本当よ。だって私、掃除なんかしたくなかったもの」
「アデラ……」

 何をどう言ったものか、タバサは口をパクパクさせていたが、やがて観念してロージーに顔を向けた。

「ロージー、後でアデラには私から言っておくから、今は朝食はちゃんと食べさせましょう?」
「院長先生!」
「院長先生はこの子に甘すぎます! これではこの子がいつまでも図に乗ります」
「図になんか乗ってないわ」

 これが普通だもの。
 言外にそう言う意図を込め、ロージーを見返してやれば、彼女は目つきを鋭くした。

「あんたね――」
「ロージー!」

 もう一度声を大きくしてロージーを窘めると、タバサは両手を組み合わせ、食堂内を見渡した。小さな子供達皆が三人に注目している。

「寄付金が少なくて、子供達に十分なご飯をあげられないことは、私たちもすごく申し訳なく思ってるの。ただでさえ育ち盛りなのに……。だからこそ、ご飯抜きだなんてさせられないわ。栄養も摂れなくなってしまうし、何より夕食まできっと持たない。ロージー、分かってくれるわよね?」
「……分かりました」

 長い間を開けて、ロージーは渋々頷いた。その際、チラッとアデラを一瞥することも忘れなかった。もちろん、アデラも口元を歪めてお返しした。

「じゃあこの話はこれで終わりね」

 ようやく食事を始められる、とタバサもホッと息をついて長テーブルの一番端についた。ロージーも乱暴にアデラのスープを元に戻すと、タバサの隣の席に移動する。

「皆さん、今日も慈悲深き神に感謝して頂きましょう」

 タバサの声を合図に、皆は食事を開始した。
 しばらくして朝食を終えた後、タバサが個人的にアデラに話しかけてきたが、彼女が意見を変えることはなかった。
 何をどう言われたって、掃除なんてまっぴらごめんよ。