第二章 慈善学校
29:あっちへ行って!
誘拐から一月――アデラは、持っているドレスの中でも、地味なドレスを着るようになった。学校から帰るとき、ロージー達の少し後ろを歩くようになった。元気がなくなった。
目に見えて沈んでいる彼女を、ロージー達は気にしないわけがなかった。だが、以前のコニー以上に、アデラに対しては、声をかけづらい。何を考えているのか分からない。深層心理では、きっと助けを必要としているだろうに、どう寄り添えば良いのか分からないのだ。単純なのに気難しくて、繊細なのに堂々としていて、その内面は計り知れない。
話しかければ突っぱねられそうで、突っぱねれば、彼女はもっと殻に閉じこもりそうで。
迂闊に声をかけられない、そんな状況だった。
そんな状況を打ち破ったのは、コニーだった。以前、コニーが落ち込んでいるとき、彼女の相談に乗ったのはアデラだったし、そのことで何か恩を感じたのか、もしくは自分と似たものを感じたのかもしれない。
アデラは、夕食後、一人ベッドの上でドレスの手入れをしていた。お気に入りのドレスは全て丁寧にトランクに詰め、代わりに、しばらく着ないだろうと奥底に詰めていた古いドレスを取り出す。そんな折だった、コニーが寝室に入ってきたのは。
アデラは、コニーが入ってきたことにいち早く気づいたが、声をかけることはなかった。もじもじとその場で立ち尽くしていたコニーだったが、やがて意を決して話しかける。
「……元気、ないね」
「そんなことないわよ」
即答だった。その素っ気なさは、いつもと変わらないようにも見える。実際、アデラは元々そう簡単に笑みは見せなかったし、目を合わせて会話をすることもそうない。だが、コニーは、アデラの声の調子が、いつもと違って僅かに影があることは肌で感じていた。コニーが幼いが故の直感か。
コニーはアデラのベッドに腰掛けた。
「怖かった?」
「別に」
「おかーさんに会いたい?」
「いいえ」
コニーはへにゃっと眉を下げた。そうして伺うようにアデラを見る。
「本当に?」
「ええ」
短く答え、アデラは一層口元をひん曲げた。
「もういいでしょ。私はもう寝るわ」
言いながら、ドレスをトランクに仕舞うと、大切そうにベッドの下にしまい込む。わざとらしくベッドを整え、寝る準備に入った。
「一緒に寝ても良い?」
「嫌よ」
コニーのお願いを無碍に断り、アデラは照明もそのままにベッドに横になった。目を瞑りはしたが、少しきつい言い方だったかと、アデラは付け足す。
「そんな気分じゃないの」
「おねーちゃん……」
これで用は終わったとばかり、アデラはいよいよコニーに背を向けた。だが、彼女は諦めなかった。
「寂しい?」
「…………」
アデラの背は、しばらく動かなかった。が、コニーが視線を落としたその瞬間、彼女はパッと身を起き上がらせ、コニーを鋭い目で睨み付けていた。
「うるさいわね! さっきから何よ! もう話しかけてこないで!」
大きく叫ぶと、アデラは頭から毛布を被った。
暑い。が、アデラはその状態から動こうともしなかった。全てを遮断したかった。前までは可愛いと思っていたコニーも、今は憎たらしくて仕方がなかった。放っておいて欲しかった。全てが嫌で、この世界から消えてしまいたくなってくる。
「おねーちゃん」
コニーは力なくポンポンとアデラの背を撫でた。
「泣かないで」
「泣いてないわよ! 馬鹿言わないで!」
籠もった声でアデラは叫び返す。コニーは毛布の上からアデラを抱き締めた。
「コニー、おねーちゃんが無事戻ってきてくれて良かった。本当に嬉しかった。皆もそうだよ。心配してる」
「そんなの知らない!」
駄々をこねるようにアデラが叫ぶので、コニーは途方に暮れたように悲しそうな貌をする。しばらく迷った後、やはりトントンと丸まった毛布を叩く。
「おかーさんに、会いに行こう?」
「嫌!」
「おかーさんに会えば、おねーちゃんも元気出るよ」
「そんなわけない!」
「会いたいなら、会いに行けばいいんだよ。おねーちゃんもこの前そう言ってくれたでしょ?」
「行かない……別に行きたくないもの!」
「嘘だよ」
コニーは静かに言い返した。瞳には悲しみが宿っている。
「本当は行きたいんでしょ?」
「うるさい!!」
一際大きく叫べば、コニーは驚いたように口をつぐんだ。これで大人しくなるだろうとアデラは思った。すぐにでもどこかへ行って欲しい。そう思っていたのに、コニーは懲りずに話しかけてくる。
「……コニー、おねーちゃんにおかーさんの所ついてきてもらって嬉しかった。ずっと会いたかったけど、勇気が出なかったの。でも、おねーちゃんが背中を押してくれたの。すごく嬉しかったよ。だからね、コニー、今度はおねーちゃんの力になりたい」
アデラはギュッと目を瞑った。聞かないようにしていても、コニーの言葉はアデラの耳に飛び込んでくる。アデラはため息をついた。
「……お母様の居場所、私知らない」
「おとーさんは?」
「お父様は……分かるけど」
「じゃあ行こうよ」
コニーはパッと喜色を浮かべた。
「おとーさんに聞いたら、きっとおかーさんの居場所も教えてくれるよ」
「…………」
「この前のこと教えたら、おかーさん、おねーちゃんのこと心配して、迎えに来てくれるかも」
「……そうかしら」
思わずアデラは聞き返していた。その声色には、隠しきれない期待が潜んでいる。コニーは元気よく頷いた。
「コニー、おかーさんに会えて元気出たよ。おねーちゃんも、おかーさんに会えたら元気出るよ?」
「…………」
コニーにおかーさん、おかーさんと言われ、アデラはもはや母親のことしか考えられなくなっていた。押さえつけていた感情が溢れ出す。息苦しくなって、毛布からガバッと押し上げた。コニーと目が合う。
「……行くわ」
「うん!」
何がそんなに嬉しいのか、コニーはニコニコと笑う。彼女を見ていると、自分の悩みがちっぽけなものに思えてきて、アデラは呆れたように息を吐き出した。