第二章 慈善学校
25:どうして
孤児院の子供達は、皆が仲いい。年齢は上から下まで十は離れているが、上の子が下の子の面倒を見たり、下の子が上の子に甘えたり、年齢の垣根を越えて仲が良い。コニーにやったように誕生日の催しなどよくあることだし、皆で出掛けることも多い。何をするにしても、常に周囲には誰か人がいるのだ。
そんな状況下で、たった一人でいるというのは、非常に目立つ。最近はアデラが多かったが、それがまさかのコニーという事態は、珍しいだけに留まらず、むしろ心配になってくる。
皆の輪から離れて一人でいる姿は、本当にもの珍しい。いじめられるわけがないので、おそらく自分から離れたのだろう。一人になりたい気分だったのか。そうだとしても、甘えん坊のコニーとしては信じられない行動だが。
ロージーも、そんなコニーが気になるようで、何度か話しかけようと試みてはいるようだが、返ってくる反応が薄いので、失敗続きのようだ。
アデラとしても、コニーのことが気になっていた。またあのダフネとかいう少女にいじめられてるのではないかと思ったのだ。もしそうなら、自分が出て行ってぎゃふんと言わせてやらねばと考えていた。自分の大切なドレスを奪われ、我が物としていたことにアデラは立腹していたし、正直まだ腹の虫が治まらなかった。
だからこそ、アデラは勇んでコニーの隣に腰を下ろした。もちろん、周りに誰もいないのを見計らって、である。
「おねーちゃん?」
アデラから近寄ってくるのがよほど珍しいのか、誰に声をかけられても生返事を返していたコニーが、目をパチパチさせて彼女を見上げる。
「…………」
だが、アデラは何も言わない。否、言えなかった。
何を、どんな風にして聞けば良いのか。
アデラはさっぱり分からなかった。それとなく聞こうにも、まず聞き方が分からないし、単刀直入に聞こうにも、ダフネの名前を出せばコニーの顔が暗くなりそうだし。
アデラは思考を止めたまま固まった。やがてアデラに興味をなくしたのか、コニーが再び膝の間に顔を埋める。失敗した、とアデラは思ったが、コニーは徐に口を開いた。
「……おねーちゃんのおかーさんって、どういう人?」
「お母様?」
思いも寄らないことを聞かれ、アデラはただ聞き返した。が、数瞬経つうちにコニーの質問の意味がようやく理解でき、己の中で答えをまとめる。そう時間はかからなかった。
「とっても綺麗な人よ。誕生日にはいつもドレスを買ってくれるし、時々外でお散歩したりもするわ。いつも堂々としていて、とっても格好いいの。私の憧れよ」
アデラが嬉しそうに話すので、コニーも釣られていつしか笑みを浮かべていた。
「わたしのおかーさんもね。わたしが裁縫上手にできると褒めてくれるし、時々読み聞かせもしてくれるの。お誕生日にはいつも手作りの服とか小物を作ってくれるの。ここに預けられた後も、誕生日には手紙を送ってくれて……。でもね、今年の誕生日ね、手紙が来ないの」
「…………」
コニーの元気がなかった原因はこれか、とアデラはその時ようやく分かった。誕生日の当日も、次の日も、その次の日も。二週間経った今でも、コニーは母親からの手紙を待ちわびているのだ。
だが、アデラにはどうしようもない。母親からの手紙を心待ちにする気持ちは十二分によく分かる。だからこそ、何て声をかければ良いのか分からない。
「もしかして、忘れられちゃったのかなあ……」
ポツリと紡がれた言葉に、反射的にアデラは叫んでいた。
「そんなわけないじゃない! お母様がコニーのこと忘れるなんて、そんなわけないじゃない! きっと……そうよ、何か来れない事情があるのよ。お金がないとか、病気とか」
「病気?」
アデラの不用意な発言に、コニーの表情は一層曇る。慌てたアデラは、頭が別の方向へ回転し始める。
「そうだ、会いに行ったらいいんじゃない?」
ひとまずと発した言葉だったが、声に出してみると、案外悪くない案である。アデラは目に勢いを取り戻した。
「会いに来られないのなら、コニーから会いに行けばいいのよ。お母様は今どこにいるの?」
「……たぶん、家にいるかも」
「コニーが前住んでいた家?」
「うん」
「それなら会いに行きましょうよ。コニーだって、お母様に会いたいでしょ?」
コニーは顔を俯かせ、じっと地面を見つめた。握られた拳に、気持ちが表れていた。
「会いたい、けど」
「じゃあ行きましょう。私がついていってあげるわ」
「本当?」
「もちろんよ」
乗りかかった船だ。アデラはやる気満々だった。母親を恋しがるコニーは、まるで自分のことを見ているようで、じっとなんてしていられなかった。
*****
コニーの家には、夕方に行くことになった。夕方から朝方にかけて仕事をしているコニーの母親は、昼間は寝ているので、この時間が良いとのことだ。一番機嫌が良いのは仕事終わりの朝らしいが、早朝に孤児院を抜け出せば目立つことこの上ないので、その意見は棄却された。コニーの家に行くことは、院長先生や子供達には内緒にしたかったのだ。知られたら、何かしら院長先生には言われそうだし、コニーと仲良くしていると思われるのも気恥ずかしくて嫌だった。
そういう訳で夕方、コニーと示し合わせて孤児院を抜けだした。直接コニーの家に行く気満々だったアデラだが、どうしても行きたいと言うコニーに根負けし、何故だか野原に向かうことになった。
一生懸命花を摘むコニーを見つめながら、浮かんだ疑問をそのまま口にする。
「どうして花なんか?」
「おかーさんにお花あげるの」
「……どうして誕生日のあなたがプレゼントをあげるのよ」
「久しぶりに会うから、よろこんでほしいの」
そう笑みを零すコニーは無邪気だ。あまりにも純真なので、アデラは毒気を抜かれてしまった。それに、彼女の気持ちは分からないでもなかったので、それ以上の追求は止めた。
花を摘み終わると、ようやくコニーの家に向かった。その頃にはすっかり待ちくたびれていたアデラだが、軽やかに歩くコニーを見ていると、そんな気分も吹き飛ぶ。
コニーの家は、歓楽街の裏通りにあるらしかった。闇に包まれていく空模様とは裏腹に、賑やかな街を抜けると、本来の静けさが辺りを覆う。
「もうすぐだよ。ここを抜けたところにあるの。赤いレンガのおうち」
コニーの言うとおり、路地を抜けた先に、彼女の家はあった。軒先に人影が見える。
「おかーさんかな?」
コニーは駆け足で向かっていく。彼女の気配に気づいた影は、もぞもぞ動き出す。その影は、一つに重なっただけの、二人分の影だった。
「おかーさん!」
「何……エレンお前、子持ち?」
男はコニーを見て笑った。女は何も応えず、無言だ。
「ははっ、なら最初からそう言えよ。貢ぐんじゃなかった。……まあ、よく考えれば、あんな場末の飲み屋やってる女が訳ありじゃないわけないよな」
一人で納得すると、男はヒラヒラ手を振って立ち去った。コニーは状況が分かってない顔でオロオロと立ち尽くす。エレンは深々とため息をついた。
「コニー、こんな時間に一体何なの? 知ってるでしょ、今の時間帯が一番忙しいって」
素っ気ない物言いに、コニーはスカートの裾を握りしめた。
「……誕生日。コニーの誕生日、だったから……」
「誕生日? ああ、もうそんな時期なのね。なに、プレゼントが欲しくてここまで来たの?」
髪を掻き上げ、エレンは天を仰ぐ。コニーが何も応えないので、彼女は肩をすくめ、ポケットの中を探る。
「ほら」
差し出されたものを見て、コニーは困惑したように母親を見上げた。
「早く受け取って。それで好きな玩具でも買いなさい」
「…………」
右手で花束を握りしめながら、コニーは左手でお金を受け取った。それで用は済んだとばかり、エレンはようやく微笑んだ。
「あたしは今から開店準備だから。コニーも早く帰りな」
コニーはこくりと頷いた。聞き分けの良い、とても良い子だった。だが、アデラは違う。我慢がならなかった。つい感情そのままに言葉が口をつく。
「……それだけ?」
「は?」
「久しぶりに会って娘にすることが、たったそれだけ?」
急に口を挟むアデラに、エレンは驚きよりも困惑が勝った。黙って彼女を見やる。アデラはキッとエレンを睨み付けた。
「どうして分からないの? 誕生日プレゼントはただの口実じゃない。お母様に会いたくて会いたくて、それで口実にしただけじゃない。どうして分からないのよ!」
コニーが泣きそうになって下を向く。アデラは一層拳を強く握った。
「お母様に会えるだけで、ただそれだけで良かったのに、どうして抱き締めてもくれないのよ! コニーが、コニーがどれだけお母様のことが大好きか、あなたには一生分からない!!」
一際大きく叫ぶと、アデラはコニーの手を引いて駆けだした。人通りも多い道のりを、脇目も振らず走り抜ける。
エレンのことが腹立たしくて仕方がなかった。しかしその怒りは、歩みを進めるうちにみるみる萎んでいく。
アデラの足はやがて止まった。
「おねーちゃん?」
「ご、ごめんね、コニー……」
アデラは鼻をすすった。
「わ、私、あなたのお母様怒らせちゃった。ごめんね……」
「お、ねーちゃん……」
コニーの顔がくしゃりと歪む。こみ上げてくる嗚咽を堪えようと唇を噛みしめるが、そんなのは些細な抵抗だ。
アデラは見ていられなくて、コニーの頭を抱え込んだ。誰かを抱き締めるなんて初めてのことで、ぎこちない抱擁だった。しかし、コニーは構わずアデラの胸に顔を押しつけた。
漏れ出る嗚咽が、アデラの感情を揺さぶった。
抱き合いながら、アデラとコニーは大きな声を上げて泣いた。