第二章 慈善学校

22:誰がやったの


 その日、アデラは朝から違和感を覚えていた。周りが浮き足立っているような、興奮しているような、それでいてコソコソしているような、そんな奇妙さがあったのだ。
 そのことが明確化されたのは、朝の食事の時だった。いつもは座って神にお祈りをする時間なのに、ロージーが徐に立ち上がり、コニーを連れて、食堂の前に立ったのである。様子が分かっていないコニーをそこに一人残し、ロージーは離れたところに戻る。そして開口一番。

「コニー、お誕生日おめでとう!」
「おめでとう!」

 わあっとあちこちで歓声が起こる。訳が分からなかったのは、アデラとコニーくらいである。だが、そのコニーも、すぐに合点がいくと、心地よいくらいパッと明るく表情を綻ばせた。

「ありがとー!」
「コニー、俺から贈り物だ!」

 フリックが鼻の下を擦り、立ち上がる。待ちきれない様子で、彼はコニーの元に駆けていった。

「ほら、この前摘んだ花でしおりを作ったんだ。綺麗だろ?」
「うん、とってもかわいい!」
「わたしもコニーちゃんに野いちご摘んできたの。食べて!」
「わあ、野イチゴ大好き! ありがとー!」

 周りをたくさんの子供達で囲まれ、コニーの姿は瞬く間に見えなくなった。我に返ったアデラは、一人離れた場所にいるロージーに慌てて駆け寄った。

「ちょっと」

 そして彼女の脇腹を小突く。

「今日、コニーの誕生日なの?」
「そうよ」
「知らなかったわ」
「昨日言おうとしたけど、あんたさっさと寝ちゃうんだもん」

 悪びれもしないロージーの態度に、アデラは鼻白んだが、すぐに気を取り直す。

「ロージーもコニーに何かあげるの?」
「ええ」
「何を?」
「絵本」
「どんな?」

 ロージーは、しばし黙った。何をそんなに焦らすことがあるのかと、アデラは鼻に皺を寄せる。
 やがて、観念したようにロージーはため息をついた。

「……絵本」
「どんな?」

 続けざまにアデラは訊ねる。ロージーは嫌そうな顔をして答えた。

「お姫様の本」
「お姫様?」

 ロージーの口から似合わない言葉が飛び出してくるので、アデラは変な顔になった。ロージーは早口で言い訳を付け足す。

「あの子、お姫様の話が好きなのよ。魔女にいじめられたとか、王子と結婚しただとか、そんな類いの。ぬいぐるみよりも、人形遊びの方が好きみたいだし、大抵ねだられるのは絵本の読み聞かせかお姫様ごっこだし」
「ふうん」

 必死の言い訳もアデラの前では何のその、自分で聞いたくせに、興味のなさそうな返事を返すアデラ。そのことがかんに障り、仕返しとばかり、彼女は更に付け足した。

「だからアデラにも憧れてるみたい。初めてあんたを見たとき、本物のお姫様が来たって興奮してたもの」
「ふーん……」

 気のない返事は変わらず、ロージーはチラッとアデラに視線を向ける。だが、彼女はそっぽを向いていて、表情は分からなかった。ロージーが更に何か言おうとしたとき、頃合いを見計らったタバサがパンパンと手を叩いた。

「さあさ、皆さん。今日がめでたいのは分かりますが、朝食が冷めてしまいますよ。続きは夜にでも」
「はあい」

 足音を立て、騒がしく子供達はテーブルへと戻っていく。アデラとロージーもその後に続き、それ以降会話はなかった。


*****


 慈善学校には、お昼休みというものがある。昼食も兼ねた、休憩時間である。いつもであれば勉強道具を持ってロージーに尽きっきりで勉強を見てもらうアデラだが、今日はなんとなくそんな気分になれなかった。一人分の昼食を持ち出し、一人に慣れる場所を探して校舎内を渡り歩く。
 ――アデラにとって、誕生日は特別だった。母や父から誕生日の贈り物をもらえる日かも知れなかったし、その日は母もとびきり優しくしてくれた。
 誕生日は、その人が主役の日だと思っていた。アデラにとって、誕生日は自分のものと、母のもの、そして父のものしかなかった。両親の誕生日には欠かさず贈り物をしたし、特別な日なのだから当たり前の行動だった。
 ただ、アデラにとって、コニーの立ち位置がよく分からない。そもそも、ものを贈るくらいコニーと仲が良いわけではなし、贈るとしても何を贈れというのか。
 とはいえ、何もしないというのは、少しだけ後ろめたい。アデラにとって誕生日が特別だったからこそ、何もせずに知らぬ振りをするという選択肢はないのだ。
 らしからず頭を悩ませているうちに、アデラはいつの間にか校舎の端まで流れ歩いていた。この辺りに並ぶのは滅多に使われない教室ばかりで、人の気配はまずない。
 アデラは人が多いところよりも静かな場所の方が好きなので、むしろ都合が良かった。軽やかに階段を降り、他人に見つからなさそうな場所はないかと分かり歩く。だが、その足はすぐに止まった。アデラの耳が、泣き声を捉えたからだ。
 それは本当に小さな泣き声で、時折混じる嗚咽に、アデラは心臓をつままれるような気がした。
 思わず身体を乗り出し、階下を見下ろす。
 泣き声の主と接触するつもりなどとんとなかった。どうして泣いてるかなんて興味がなかったし、自分が慰める必要を感じなかった。そもそも、こんな所で泣いているのなら、誰かに見られたくないと言うこと。声をかける方が野暮だ。
 だが、彼女を見たとき、アデラは反射的に階段を降りていた。先ほどまでつらつらと考えていたことがすっかり頭から抜け落ち、彼女の中を様々な感情が激動した。

「どうしたのよ!」

 怒鳴られるようにして声をかけられ、コニーは涙に塗れた顔を上げた。咄嗟には反応はできず、彼女はただただ突然現れたアデラを見つめる。

「何があったの!?」

 コニーは薄い下着一枚きりだった。アデラは眦を吊り上げる。そんな彼女の顔があまりにも恐ろしくて、一瞬止まっていたコニーの涙がまたあふれ出した。

「ふえっ、ごっ、ごめんなさい……」
「だから何があったの!?」
「おねーちゃんの、きれーなドレス、とられちゃって……」
「誰に!」

 短い詰問に、コニーはビクッと肩を揺らす。表情を歪めながら、拙く答える。

「ダフネちゃんにちょうだいって言われたの。でも、コニー、おねーちゃんからもらったものだから、それはだめだって言ったの。でも、脱がないと、ドレス切るって言うから……」

 コニーの声は最後まで言葉にならなかった。アデラの顔がますます般若のようになるので、止まりかけていた嗚咽が再開したのだ。

「ごめんなさい……」
「あ、謝ることないわよ……。悪いのはその子じゃない」
「でも……でも、折角おねーちゃんがくれたのに」

 でも、なんて言いたいのはアデラの方だった。折角の誕生日なのに、なに泣いてんのよ、と。
 何て声をかけたら良いのか分からなくなって、アデラはため息交じりに持っていたパンを突きだした。コニーはおどおどとアデラを見上げる。

「おねーちゃん?」
「あげるわよ。どうせお昼食べてないんでしょう」
「でも、おねーちゃんの……」
「私は良いわよ。食欲なくなったもの」

 ふんと鼻を鳴らし、アデラは立ち上がる。腰をパンパンと払い、砂を落とした。

「食べ終わるまでそこにいなさいよ。歩きながら食べたらお行儀が悪いから」

 まるでタバサのようなことを口にしながら、アデラはその場を立ち去った。コニーはこくりと頷いた。手の中のパンを見つめながら、涙が止まってから食べようと思った。