第二章 慈善学校

21:格が違うのよ


 アデラは、やられたらやり返す性分だった。単純に許せないのだ、自分という存在を侮られることが。軽んじられたが最後、ひいては己の母や父までもが貶められたように感じて、我慢ならなかった。
 その上、ただやり返すだけではない。相手よりも狡猾に鋭敏に、そして何倍にもしてお返しするのがアデラの中で無意識に確立された仕返しの流儀だった。
 ものを隠されれば、アデラは相手の机ごと隠し、ケラケラ軽口を叩かれれば、呼びかけられても完全に無視し、足を引っかけられそうになれば、思い切り足を踏みつけてやったり。
 やるのであれば徹底的にやり返すのがアデラのやり方だった。だからこそ、いじめの主犯カルロは余計苛立つ。やり返されていることに対してではない。今までは相手の反応が面白くて助長している節があったのに、今回はどうだ。カルロが居もしない場所では二倍、三倍とやり返してくるのに、面と向かってカルロが話しかけたときには、彼女は何の反応も示さない。
 そんなことでは、いじめられる反応を楽しむカルロとしては全く面白くなかった。
 何をすれば嫌がるのが。どうすれば泣くのか。
 そんなことを考えている間も、数日時が流れた。


*****


 慈善学校では、生徒の自立も支援されている。学校を卒業しても生計を立てられるように、専門的な技術を教えたり、働き口を斡旋したり。自立のために、何でも生徒にやらせるという風潮なのだ。単に職員の人手が足りないというのもあるが、それ以上に、家の手伝いしかしたことがないような子供達に、様々な経験をさせることも、授業の一環なのである。
 ――さて、そういうことをつらつらと述べられた後、この度、学校に必要な備品の調達にアデラ、あなたが選ばれたのよとトリシアはそう言った。長々とした前口上に、アデラは反論する元気もない。
 大方、見るからに買い物などしたことなさそうなアデラに、経験を積ませるにはこれ以上ない良い機会だと思ったのだろう。アデラにしてみれば、余計なお節介というものだが。
 私だって買い物くらいしたことあるわよ、とアデラは内心非常に不服だったが、異を唱えるのも面倒だったので、黙って受け入れた。トリシアは熱心な教師なので、相対するこちらの方が疲れてくるのだ。
 だが、さすがのトリシアも、アデラを一人で市場に向かわせるには早すぎると判断したらしい。アデラくらいの年齢であれば、おつかいなど母親から幾度となく頼まれ、飽き飽き……といったような年頃だが、何を隠そう、相手はあのアデラだ。計算すらできないかも、と最悪の事態を想定した結果、伴をつけることにした。
 トリシアは頭を悩ませる。ロージーとは仲が良いようだし、荷物持ちとしては、同じ孤児院のフリックでも良いかも。でも、これを機に、他の子とも仲良くなるのもいい。
 散々悩んだ結果、何を思ったか、彼女が指名したのはカルロだった。
 カルロは巧妙で、決して教師には感づかれないよう注意しながらいじめを行っていた。だから、トリシアがアデラとカルロとのことに起こっている事態に気づいているというわけではない。だが、それでもアデラとカルロの、何か良くない雰囲気を感じ取ったのだろう。
 実際、彼女の勘は当たっていた。当たっていたからこそ、その組み合わせは避けねばならなかったのだが、そこまでこの二人の関係が複雑だということまで突き止めることはできなかったようだ。
 指名された手前、断ってしまうと、邪推される恐れがある。
 そんな理由で、カルロはトリシアのお願いを断ることはできなかったし、アデラはアデラで、これを挑戦状と受け取った。トリシアから提案されたことではあるが、断れば、カルロを前に怖じ気づいたと思われるかもしれないと思ったからだ。
 結局、相手が断れば良いのにと思いつつも、両者共々断りはしなかったので、嫌々ながら、二人肩を並べて歩く羽目になったのだ。
 市場へ向かう道中、言葉すらかわさない冷戦状態が続く。今日の目的は、授業で使う紙や羽根ペン、インクの購入等などだ。それさえ終われば、早々に帰路につくことも可能。というわけで、アデラ達の足取りはいつになく速い。隣を歩く人物に負けたくなくて、自然と足捌きが早くなるのも原因の一つだ。
 人混みの中、そんな風にして歩く子供が邪魔でないわけがない。
 アデラが人にぶつかるたびカルロは笑い、カルロが人の足を踏んで怒られるたびアデラは鼻で笑い。
 紆余曲折でありながらも、二人はようやくにして目的の店にたどり着いた。息を切らせながら、目的のものを店主にお願いする。

「さっさと金出せよ」

 顎でしゃくり、カルロはアデラに命令した。アデラは澄ました顔をしながら財布を取り出した。トリシアから預かった財布である。

「言われなくても分かってるわ」
「どうせ計算もできないくせに」

 カルロは腕を組み、数歩下がった。計算のできないアデラの手助けをするつもりなど、もとからさらさらなかった。お釣りを間違えてトリシアに怒られれば良いとすら思っていた。

「はい、丁度もらったよ」

 だが、カルロの想像を余所に、買い物は流れるように終わった。後ろから伸びをして盗み見をしたが、アデラが店主に渡した金は、確かにピッタリだった。
 あのアデラが。学校に始めてきたときは、読み書きすら覚束なかったくせに。
 なんとなく面白くない。
 カルロは一層不機嫌になった。そんな彼を、アデラはきょとんと振り返る。

「ほら、持って」

 アデラは肩をすくめて、袋に入れられた商品を見やった。あまりに彼女が自然に言うので、店主も釣られて荷物をカルロに突きだす。カルロもカルロで、差し出されたものを受け取ったのは自然な行動だった。何かがおかしいと気づいたのは、完全に受け取った後だった。

「お前も持てよ!」
「あら、どうして私が?」

 思わず憤慨してそう言えば、アデラは腹立たしいほど純粋に首を傾げた。

「こら」

 二人のやりとりを見ていた店主がため息をついた。

「お嬢様に向かって何て口の利き方だ。全く、使用人らしくしたらどうだ」
「なっ……」

 思いがけない言葉に、カルロは一瞬絶句する。

「誰が使用人だと!? 誰がお嬢様だって!?」
「年上に何て口の利き方だ」

 やれやれと店主は首を振る。その間に割って入ったのは、全てを許すような笑みを浮かべたアデラだ。

「ごめんなさい。この子、最近雇ったばかりで、まだその辺りのことよく分かってないのよ。よく躾けておくわね」
「はっ……」

 カルロとしては、もはや、言葉もない。ただ口をパクパクして、アデラと店主とを見比べる。ようやく我に返ったときには、既にアデラは店を出ようとしているところだった。

「こいつは孤児院で生活してる乞食だぜ!」

 慌ててカルロはアデラを指さした。どうしても許せなかった。孤児院で暮らしている生意気な奴がお嬢様で、ちゃんと両親もいて仕事もしている自分が使用人だなんて。
 だが、カルロのそんな必死の感情も、店主は笑って受け流す。

「面白いこというなあ、坊主。こんな綺麗なドレスを着たお嬢さんがそんなわけないじゃないか」
「そうよ。あまりお店の人を困らせないで。行くわよ」

 小馬鹿にしたような笑みを浮かべながら、アデラは店を出て行った。カルロは一層鼻を膨らませてアデラを睨み付けたが、それで彼女が戻ってくるわけではない。逡巡した後、ドンドンと足音を踏みならしながら、彼女の後を追った。アデラの後ろ姿はすぐ見つかった。

「身の程を知れよ」

 彼女を追い抜きざま、カルロは嫌味を放つ。アデラはツンとして言い返した。

「身の程を知るのはあなたのほうなんじゃない?」
「何だと? 高そうな服着てるくらいで偉そうにしやがって。良かったな。服装くらいでお嬢様だって勘違いされて」
「あら、それはどうかしら」

 カルロの嫌味も、アデラはものともしない。

「仮にあなたが立派な服を着ていたとして、貴族に見えるかしら? 貴族はね、生まれながらにして違うのよ。言葉遣いも、風格も、立ち居振る舞いだって。たとえあなたがスーツを着て、私が汚い格好をしていたとしても、私はあなたに負ける気がしないわ」

 流れるような口調に、カルロは茫然とした。何か言い換えさねばと思う一方で、頭は何の言葉も生み出さない。カルロが口ごもったのを見て取ると、もう彼に用はないとばかり、アデラは身を翻して歩き出した。その両手には何の荷物もなく、カルロの手は先ほどよりもずっしりと重さを実感する。

「――っ、待てよ!」

 人の波をかき分け、カルロは慌ててその後を追うが、なかなかアデラのオレンジ色のドレスには追いつかない。ようやく追いついたと思っても、ふいっと急にその後ろ姿が身を躱す。どうしたんだと疑問に思う間もなく、カルロは何かと盛大にぶつかった。

「いってえな!」

 怒り狂った男の声が上から降ってきた。カルロが状況を把握するよりも早く、何者かに首根っこを掴まれる。その拍子にカルロは荷物を地面に落とし、辺りにインク壺が散らばる。

「どこ見て歩いてやがんだ、このガキ! 俺の靴が汚れちまっただろうが!」

 見れば、カルロの手から離れたインク壺のいくつかが割れ、確かに男の靴を汚していた。カルロは身を縮こまらせ、上目遣いに男を見上げる。

「くそったれ! 何か言ったらどうなんだ!?」
「使用人が失礼したわね」

 凜とした声が、空気を割った。カルロが顔を上げれば、己の前に、派手派手しいいつものドレスがあった。

「なんだ、てめえ。こいつの主か?」
「ええ。カルロが失礼したわ。でも、あなただっていけないのよ。よそ見していたじゃない。私は避けることができたけど、この子は鈍くさいから避けられなかったみたい」
「俺が悪いってのか!? ガキのくせに――」
「そもそも、ちょっと端っこにかかったくらいでしょ。洗い落とせば良いじゃない」

 悪びれもなくアデラは言ってのける。男の米神がピクピク動く。カルロは恐怖におののきその様を見つめていた。
 やり過ぎだと思っていた。殴られる、そう思った瞬間。

「それとも、これ以上騒ぎを大きくする?」

 アデラが、堂々とその文言を口にした。その時になった初めて、男ははたと気づく。周囲の野次馬達に。
 強面の男と、年端もいかない少女との口論。その光景は、この往来では非常に目立っていた。
 男は、乱暴にカルロを地面に下ろした。カルロはよろめいたが、何とかして己の足で地に足つける。男はチッと舌打ちした。

「その下僕、しっかり躾けておけよ」
「言われなくてもそうするつもりよ」

 男は再度舌打ちした後、足音も荒々しくその場を去った。面白そうなことは過ぎ去ったと、野次馬達も次第に止めていた足を動かし始める。アデラはため息をつき、地面に散らばった荷物を回収していった。
 そうして、全てが集まったと思ったら、黙ってカルロに荷物を差し出す。反射的に荷物を受け取れば、アデラは再び前を向いて歩き出した。
 また自然に荷物を持たされた、とカルロは思ったが、今度はもう何も言い返さなかった。言い返せなかった。
 見上げるほどの巨体に、言葉遣いも乱暴な男。彼に対して、カルロはただひたすらに身体を小さくすることしかできなかったのに、アデラはどうだ。言葉を交わすどころか、凜として言い返しすらした。
 ――自分が恥ずかしいし、腹立たしくもある。
 慈善学校への帰路、カルロはただ黙ってアデラの後ろ姿を睨み続けていた。